7.1話 指(1)

「ねえ、そういえばイルキの魔飾って、前に『脱がないと見せられない』って言ってなかったっけ」

 昼食後の気だるい、けれど心穏やかな時間。エミリーはふと思い出したことを目の前のイルケトリへぶつけた。

 先ほどまで、エミリーはいつものように二階の廊下でドアノブ磨きをしていた。そこへ通りかかったイルケトリに、「従業員の話を聞くのも雇い主のつとめ」ということで話しかけられたのだ。そうして思い出した。たしか、夜にイルケトリがエミリーの部屋に謝りに来たときに言っていたのだったか。

 イルケトリは「ああ」ともらしてあごに手をあてた。

「あれは『直感』のカムフラージュ用の魔飾のことだ。白いレースのリボンで、ここにつける」

 イルケトリは肩に近い、左の上腕をさす。

「そこなら袖まくれば見せられるんじゃないの?」

「まくるより上から脱いだほうが早いだろ。それにふだんはつけてないから、あのときはどっちにしろ見せられなかった」

 さすがにいくらエミリーでも脱いでまで見せてほしいとは言わない。そういうことだったのか、と納得した。けれど白いレースのリボンとは、イルケトリのイメージと合わない。

 そう思っていたら、イルケトリの瞳が柔らかくなった。

「リリーの魔飾だ。優秀な装縫師だった。俺は使えないから、お守りみたいなものだ」

 つまり、形見だ。つらいことを思い出させてしまっただろうかと神妙な気持ちになったが、イルケトリの表情は穏やかで、エミリーは静かに頷くだけにした。

 イルケトリの瞳が、不意に艶めいた色をもって細まる。

「もしかしてずっと考えてたのか? 『脱がないと見せられない魔飾』のこと」

 つい先ほどまでの穏やかな表情は欠片かけらもなく、女性よりよっぽど色気のある笑みを浮かべている。いつもどおり、からかうように。

 何を言われたのか理解して、エミリーは体が熱くなった。

「考えてないから! 何言ってるの?」

 それではエミリーが四六時中はしたないことを考えていた変態みたいではないか。けれどイルケトリは面白がるような強い笑みを崩さない。

「今日はしてるか脱がして確認してみればいい」

 そうして、手を取られた。黒いネクタイの結び目まで持っていかれる。

 すぐに振りほどくつもりだった。けれどイルケトリの笑みが消えて、伏せられた瞳が、引き寄せたエミリーの手を見つめる。指で、指をゆっくりとなぞられて、触れられたところから体のほうまで痺れが駆け抜けた。あのときと、オニギリ事件で腰に腕を回されたときと、同じように。

「血が」

 爪のつけ根をなぞられる。ささくれがむけて血がにじんでいるのだ。こんな荒れ放題の手をこれ以上見られたくないと手を引こうとするが、動かない。体が熱くて、固まってしまって、逃げられない。

 イルケトリが、動く。血のにじんだ指先へ、顔を寄せていく。唇が、触れそうに。

 全身の肌を逆さに撫でられたようだった。体の熱が、沸騰した。

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