SS

7話+ ラベンダーの砂糖漬け

 部屋の外で、慌ただしく足音が遠ざかっていく。

 イルケトリはソファに座ったまま、エミリーが飛び出していったドアを見つめていた。そうして、ローテーブルに置かれたオニギリに目を移す。今さっきまでエミリーがつかんでいたものだ。

 口移しする、とうそをついて。

 自分が何をしたのか、よく分からなかった。ただ、頬が熱い。

 エミリーが言ったことを信じたわけではなかった。うそだろう、とは思っていた。けれど段々戸惑いが増していって、恥じらうように呟かれた言葉で、思考がふと遠くなった。

『べ、別にイルキのこと好きじゃないけど……嫌いじゃ、ない』

 意識と別に、手が動いていた。

 抱いたエミリーの腰は、細かった。以前、「全然コルセットを締めていない」と口を滑らせてしまったとき思っていたよりも、ずっと。

 見開いた色の薄い、朝の空のような瞳が揺れているのを見た。蜂蜜色の髪からわずかに見える耳が、頬と同じくらい濃く赤くなっているのを見た。胸の奥をつかまれたように、目が離せなかった。

 ラベンダーの、甘い香りが匂い立つ。ラベンダーの砂糖漬け。菓子のような、甘い甘い匂いが。

(何考えてるんだ)

 イルケトリはひざに両ひじを置いてこうべを垂れた。今考えてしまったことも、意識の外で手が出てしまったのも、全部自己嫌悪のような恥ずかしさの中でぐしゃぐしゃになる。体の内側に熱が鈍くとどまっていて、熱い。この気持ちが、何なのか分からない。

 ひとまず、オニギリが乾燥してしまう前に食べようと、手を伸ばした。かじって、味わって、飲みこむ。けれど、米とサーモンの味しかしないはずのオニギリに、鮮やかなラベンダーの甘い香りがかぶさってくる。

(食べてる気がしない……)

 まだ引かない熱を持て余しながら、朝日をまとうドレスに目をやった。

(そういえば羽根つけないのかって言ってたな)

 ドレスの頭飾りに羽根をつけないのか、とこちらを振り向いたエミリーを、思い出した。オニギリを食べ終わって、ソファを立つ。

 仕事に私情を持ちこむつもりはない。切り替えて、羽根を置いてみてどうなるか確認しよう。

 残り香なのか、頭の中に刻まれてしまったのか、甘く食べてしまいたくなるような香りを感じながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る