7話 服の魔法(7)

 エミリーは顔を上げて、笑った。

「ありがとう。イルキみたいに令嬢をきらきらさせられるドレスが作れるように、頑張る」

 イルケトリは口元を緩めて、ほんの少し意地悪そうな瞳をする。

「それは結構。普通の半分の期間で装縫師にしてやるから、覚悟しておけ」

 エミリーは悲鳴を飲みこんだが、自分の決めたことなのだ。二言はない。それに、イルケトリのドレスを着た令嬢は、本当に幸せそうで、弾んでいて、光があふれていた。まるで魔法にかかったように。

『クリムアさまは本当に、魔法使いです』

 瞬間、エミリーの頭の中に光がきらめいた。思わず叫んでしまい、イルケトリが何事かというように身構える。

「イルキ、魔法使いだったの?」

「はあ?」

 思いきり奇妙なものを見る目で見下ろされた。

 令嬢は魔法にかかっていた。エミリーも、シャーメリーの服を着ると魔法にかかる。うれしくて、可愛くて、心がふわふわなものに満たされる。既製服も注文服も、貴族も庶民も同じ、服の魔法だ。

 魔法の服を作り出すのは、魔法使い。エミリーが小さいころ夢見た、装縫師の使うそれはそれは幸せな魔法そのものだ。

 心をこめて作ったものを身につけると、魔法が使える。

 イルケトリが話しかけてよいものかという不審さしかない顔でエミリーを見ていた。

「あ、えと、何でもない。やっと全部分かっただけ。イルキを超えられるように、頑張るね」

「はあ……もしかして熱でもあるのか? 最近ばたばたしてたしな」

 どうやら本当に心配してくれているらしい。イルケトリは白い革の手袋を外して、エミリーの前髪を分けて額に触れた。思いきり構えてしまったが、イルケトリは純粋にエミリーを案じてくれているのだから、意識したら悪い。

 このあいだのことを思い出しそうになってしまい、必死で目についたイチゴの葉を数える。けれどもう頬が熱い。夕日に紛れてくれるのを祈るしかない。

「熱くはないが……」

 イルケトリにのぞきこまれて、エミリーはあからさまに顔をそらしてしまった。絶対に気付かれたとエミリーが心の中で絶叫していると、小さな笑い声がした。

「やっぱり風邪か? 治してやろうか……口移しで」

 ものすごく意地の悪い、ほとんど吐息の声でささやかれた。あのときと同じように、耳元から半身へ痺れが走る。

「は……ちょ、な、何言ってるの? 変態なの?」

「風邪はうつすと治るって言うだろ」

 エミリーの叫びもむなしく、イルケトリはエミリーのあごを取って、めまいがするほどの色気をはらませて目を細める。

「え、ちょっと、待って、う、うそでしょ?」

 イルケトリの前髪が流れて、まつ毛の先に夕日がともる。橙を混ぜたエメラルドは、面白がっているようでもあり、熱を含んで揺れているようでもあった。

 バニラと、ほんの少し残るジャスミンの香りに、息が止まる。イルケトリの瞳が、近付いてくる。

「って、なな何するのばか! 変態!」

 正気に返って、エミリーは力の限りイルケトリをつきとばした。

 半歩後ずさったイルケトリは、目を丸くして、思いきり吹き出した。口元に手をあてて、素直におかしそうな目を向けてくる。

「仕返しの仕返しだ」

 一瞬がすぎ去って、エミリーは叫んで崩れ落ちたくなった。少しでも本気だと思ってしまった自分を消し去りたい。今すぐ逃げたい。

「イルキのばか! 変態!」

「ばかでも変態でも結構だ。ちゃんと体で返してもらうって言ったはずだが?」

「分かったから! ちゃんと働いて返すから近付かないで!」

 泣きそうな気持ちで距離を取ると、イルケトリは笑い声をもらした。その表情がとても自然で、エミリーを見つめる瞳に不思議な慈しみが混じっている気がして、鼓動が速まる。駆けた鼓動にどうしていいのか分からなくなって、エミリーはやはり今すぐ逃げ出したくなった。

 あのときの、これから先どうなってしまうのだろうという不安は、完全に消えたわけではない。けれど、きっとうまくいく。

 この場所と、ここにいる人たちと、服にこめた心があれば。

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