7話 服の魔法(6)
エミリーは目を見張った。陽で橙色に染めあげられたドレスは流れる羽のようで、散りばめられた光の粒がさざなみのように見えた。イルケトリの部屋で見た、あのドレスだ。
令嬢が来るのは知らされていたし、お茶も運んだが、まさかドレスを着て帰るとは思っていなかった。もしかしてとても楽しみで待ちきれなかったのだろうか。エミリーもシャーメリーの新作を買ったとき、早く着たくてたまらなくなるから、そうであったらいいと、思った。遠目だが、令嬢の横顔はドレスと同じくらいいきいきとして、弾んで、きらめいていた。
イルケトリと、令嬢が歩き出す。なびいた髪飾りに、柔らかく小さな羽根がついていたのが見えた。
ドレスの光の軌跡を追うように眺めていた。やがてイルケトリが戻ってきて、エミリーは思わず走り出して中庭に出ていた。
「ねえ、髪飾り、羽根つけてくれたの?」
いきなり飛び出してきたエミリーに、イルケトリは何事かと不思議そうな顔をしていた。
「つけたが。でも別にお前に頼まれたからじゃない。俺がつけたほうがいいと思ったからつけただけだ」
「うん。知ってる」
エミリーは思わず吹き出した。エミリーが頼んで素直に聞き入れるイルケトリなど想像できない。本当にそうしたほうがいいと思ったから羽根をつけたのだ。
「参考にしてくれてありがとう。遠くからしか見られなかったのが残念」
エミリーは門のほうに目をやって、イルケトリに視線を戻す。
「やっぱり、すごく綺麗だった。あのね、前にイルキの作ったドレスなんか絶対に着たくないって言ったけど、あれ訂正する。イルキのドレスには、ちゃんと着る人のことを想って、心がこめられてる」
不思議そうな顔のままのイルケトリに、エミリーは通じていないのかと慌てる。
「その、たとえば究めた音楽が人を感動させるみたいに、持てる力を精いっぱいこめたドレスっていうか。あたし、世の中のものは何でもそうだって思ってて、服を着るのでも精いっぱい考えて、自分ができる全力の形で着れば、人を感動させられるんじゃないかなって思っていつも着てるんだけど……ってそういう話じゃなくて。つまり、イルキのドレスには精いっぱい心がこもってて、あたしはすごく好き!」
イルケトリは呆然としているようで、エミリーは語りすぎたかと恥ずかしくなる。けれどイルケトリは目をそらして、少しむくれたような表情になった。
「まあ、分かった。ありがとう」
「ありがとう」が小さすぎて、ああ照れているのか、とエミリーは吹き出した。与えるほうは慣れているけれど、与えられるほうは慣れていないのかと、このあいだのオニギリ事件のことを思い出しそうになる。
けれどあれからイルケトリは何事もなかったように接してきたし、今エミリーはドレスのことで頭がいっぱいで忘れていたので、このままいつもどおり話していたい。
エミリーは緩む口元を押さえてから、しっかりとイルケトリを見つめた。
「あのね、あたし装縫師になることにした」
イルケトリはまた呆然とした顔になって、戸惑いを浮かべる。
「本気か? 何で急に」
「急といえば急かもしれないんだけど、小さいころは装縫師になりたかったの。でも魔飾は軍事兵器だし、名誉でも綺麗じゃない職だなって思うし、だから子どものときはやめたんだ。でも、どうしても『惑いの真紅』のリボンがつけたいの。直したんだけど、このままずっとつけられないのは、悲しい」
きっかけは、母の手紙の中にもあった。母はエミリーが装縫師になりたいと言っていたことを覚えていてくれた。
「イルキが、ヴァイオルトのところでリボンは『守る力だ』って言ってくれたとき、ああそうなんだって思った。装縫師になったとしても、傷付けなくていいんだって」
言えないけれど、イルケトリのことも守れるかもしれない、と思った。
「だから、ここで見習いとして雇ってほしいの。お願いします」
イルケトリの表情が変わるのが怖かった。けれど、目をそらさない。
イルケトリは戸惑いよりも深い影を落とした顔をしていた。
「俺に巻きこまれて危険な目にあうかもしれないのに、ここにいたいのか?」
「うん。危険じゃないほうがいいに決まってるし、魔飾を作らない装縫師を雇ってくれるところはもしかしたらあるかもしれないけど、ここがいいの」
それでも、イルケトリは影をまとった表情を残していた。
やがて、イルケトリの表情からゆっくりと影が薄れていく。晴れて、迷いのない目に変わる。
「分かった。今からお前を装縫師見習いとして雇う」
「ありがとう! よろしく、お願いします」
臆せず主張していたが、断られたらどうしようと怖かったのだ。
イルケトリは強い目でエミリーを見ていた。
「魔飾は普通、材料から織り手、縫い手まで同じ属性でそろえると強いものができる。丁寧に、正確に、完成度が高ければ高いほど強くなる」
脈絡が分からず、エミリーは首をかしげながらも相づちを打つ。
「逆に属性がそろわなかったり、雑に作れば弱くなる。最悪魔飾にはならない。だから、いくら魔力を持った布でも素人が魔飾を作れることはない。けど、お前は作った。技術のなさを上回るくらい、強い気持ちをこめたってことだ」
『心をこめて作ったものを身につけると、魔法が使える』
母の言葉が、わき上がった。
そういう、ことだったのか。あのリボンは、最初のシャーメリーのドレスに合わせて作った。今日からこの服が似合う自分になるために生きていこうと、鏡に映る真紅のリボンとドレスを身につけた自分へ、誓った。こめた心は、エミリーの生きていく意味そのものだ。
「だから、素質はあるはずだ」
あのときの救われた想いが蘇ってきてしまって、エミリーはほんの少しだけ泣きそうになりながら頷いた。ずっとリボンはエミリーのそばにあって、エミリーの想いを持ち続けてくれていたのだ。
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