7話 服の魔法(5)

 ほんの少し、言った言葉の意味を理解する時間があって、エミリーは息が止まった。

(ちょっと……待ってこれ……何か……好きって言ってるみたいな)

 違う。断じてそういう意味ではない。そうだ、親愛だ。ヒフミも言っていたではないか。

 力いっぱい否定しようと顔を上げると、目を奪われた。

 イルケトリの瞳が、朝日に透けるエメラルドの虹彩こうさいが、見開いていく。目元がうっすら赤みを帯びる。頬まで、ふわりと赤みがかっていく。

(赤、い? 何で? ……照れた?)

 疑問と行きついた答えが混ざり合った瞬間、体から頬に熱が流れこんできた。

(え? 何で? 本当に? いつもからかってくるくせに、自分から言うのはよくても言われるのはだめなの?)

 体が動かなかった。オニギリをつっこむことも、後ずさることもできず、ただ頬の熱さを感じながら、目が、離せない。

 腰に何かが絡んできて、エミリーは文字どおり飛び上がった。視線をずらすとイルケトリのひじが脇腹に触れていて、腰に絡みついた腕の感触から、びりびりと半身がしびれる。

「ご、ごごごめんなさい! 違うの、好きとかそういうのじゃなくて、いつもからかわれてるから仕返ししようと思って、やるふりしてオニギリ口に入れようとしてただけなの! ごめんなさい!」

 必死で胸の前に右手をかざすと、イルケトリはまたたいて、うろたえたように目をそらした。

「いや……まあ、そんなことだろうとは思ったが」

 イルケトリの頬が、赤い。はっきりと分かるほど。てっきり怒られると思っていたのに、何だか慌てたような顔をしている。そっとエミリーが後ずさろうとすると、腰に回された腕の感触が引っかかって、体が固まった。

「あ、あの……手」

 イルケトリはなぜか目を見開いて、エミリーの腰を抱いていた腕を解いた。

「す、すまない」

 そうしてまた顔をそらして、気まずそうな表情になる。頬を染めたまま。

 なぜだろう。エミリーと同じように、冗談だと思っていたのではないのだろうか。それとも、本当に。

「あああの、あたしもう行くから! し、仕事頑張ってね!」

 これ以上考えてはいけないと歯止めがかかって、エミリーはオニギリを皿に戻して逃げるように部屋から飛び出していた。大階段を一気に駆け下りて、思わず一番下の手すりにすがって、しゃがみこむ。

 今のは、何だったのだろう。反射的に思い返してしまいそうになり、必死で阻止する。どうしてああなったのか、分からない。

 イルケトリが赤くなるのを、あんな顔をするのを、初めて見た。

 触れられた腰から感覚がよみがえって、痺れが駆ける。急いでかき消して、心の中で目いっぱいうめいた。

『別にイルキのことを特別に思っていないんでしょう?』

 マリアンヌの言葉が蘇ってくる。

(思ってない! あたしも向こうも!)

 うめき声をもらしてしまわないよう、顔を伏せる。

「何なの……」

 好きではない。けれど。

 嫌いでは、ない。


 手紙を読んだ週の日曜日。

 陽の差しこむ自室で、エミリーは真紅のリボンをデスクに置く。かたわらにはいつも使っている裁縫箱を出す。

 今から、リボンを手直しする。

 まず、リボンを縫い合わせている糸を小さなハサミで切って、布を分解していく。

 陽の下で見ると、シルクサテンの表面がけば立っているのが分かる。気に入ってかなり使いこんでいたのだから当然だろう。けれど陽の光を吸いこんでできる真紅の影と控えめな光沢は、奥行きがあって引きこまれる。人を惑わすほど美しい、『惑いの真紅』の由縁だろう。

 分解した布の、切られてしまったループの部分を、定規で薄く線を引いて大きなハサミで断つ。このまま縫い合わせればループの部分は少し短くなるが、ほぼ元どおりだ。短くなるぶんシワの入った部分が見えてしまうので霧吹きをかけようとしたとき、思いつく。

 エミリーは布を折って、「どうしよう、でもこっちのほうが?」と独り言で自分に問いかけ、布を針で仮止めして頭に当てて、手鏡で確認した。

「いやでもこっちのほうがシワも目立たないし。うん」

 決心して、真紅の糸を針に通した。布を中表にして縫い合わせる。自分が遠くから見ているように、意識しなくても手が動く。

 一度糸を切って、布をひっくり返す。細い棒を入れて、角を出す。返し口をまつって、布をすべて組み合わせて、結び目の部分を縫い合わせた。手で形を整えて、眺める。

「できた!」

 髪にコームをさして手鏡をのぞくと、短いループがふたつになった真紅のリボンが映る。元の形とは違うけれど、とても可愛かわいいと頬が緩む。

(でも、つけちゃいけないんだよね)

 エミリーはリボンを外してデスクの上に戻す。

 これは魔飾だ。また何かのはずみに炎を放ってしまうかもしれないし、本当なら装縫師でないエミリーは持っていてはいけないものだ。手直ししたリボンを、この先もずっとつけられないのはやはり心が沈んだ。

 エミリーは形の変わったリボンを、しまえずに眺めていた。

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