7話 服の魔法(3)

 今日、夫にお金の話を持ってこられた。あの惑いの真紅を盗むという仕事だ。報酬は惑いの真紅そのもの。内通者がいるから、その人に従ってただ盗めばいいとのことだった。わたしが元装縫師だから持ってきたのだろう。

 受けなければエミリーを育てる金がなくなる、結果的にはエミリーのためになると脅され、引き受けてしまった。これ以上田舎に借金もできないし、お金がないのは本当だ。

 場所は大きなお屋敷で、わたしのほかにふたり集まって、金髪の若い女の人に案内された。彼女はこの家の奥さんだそうで、とてもお喋りで、見つかるのではないかと気が気でなかった。子どもの話をしながら、しきりに巻き毛を指に巻きつけていたのが忘れられない。

 無事と言ってはおかしいけれど、惑いの真紅を盗んで、山分けした。それを換金して、当面のお金は心配しなくてよくなった。

 けれど、どうしても抗えず、真紅を少しだけ手元に残してしまった。惑いの真紅はその名のとおり人が惑うほど美しく、装縫師にとっては一生に一度でも関われるならとても名誉なことだったから。

 わたしは真紅で魔飾ましょくを作った。けれど、だめだった。魔飾にならなかった。考えるまでもなく当たり前で、盗んできた真紅で、罪人の手で作っても、真紅が応えてくれるはずがなかったのだ。

 それでも諦めきれずに、真紅を手元に置いておいた。けれど、そうしたら夫に知られてしまって、換金しろと脅された。換金したふりをして田舎に送ったが、脅しは日に日に強くなっていって、今も後ろから刺されるのではと、もう精神がまいってしまった。

 最初から、断るべきだったのだ。脅されようが、殴られようが、引き受けてはいけなかったのだ。もう遅いけれど、こんなことをしてはいけなかった。当たり前だ。刺されても、逮捕されても、はたまた口封じされても、罪を犯してしまったわたしにはどれも正当な罰なのだ。


 折りたたまれた紙の中に、一枚だけウサギの形をした紙が、入っていた。


 親愛なるエミリー

 まず、ラピの中にこんなものを入れてしまってごめんなさい。

 本当は一生伝えるつもりはなかったんだけど、あなたがこれを読んでいるということは、あの手紙があなたに渡って、わたしはもうこの世界にはいないということだから、やっぱり懺悔ざんげしておきたかった。

 あなたのためだと言い訳しながら、わたしは罪を犯しました。本当にごめんなさい。それでも、装縫師を嫌いにならないでほしい。

 昔、装縫師になりたいって言ってましたね。ラピを作って見せてくれたときのこと、ちゃんと覚えてます。もう装縫師になってるかな?

 普通が一番幸せとはよく言ったものだけど、普通とは言いがたい装縫師でも、そうじゃなくても、エミリーが選んだ道で幸せに生きていけたらいいですね。

 幸福を祈っています。

 愛するエミリーへ。母より。


 エミリーはゆっくりとローテーブルに手紙を置いた。かたわらのイルケトリを仰ぐと、不安そうな、案じる顔で見つめられた。言わなければいけないことはたくさんあるのに、体の内側がいっぱいなのか、空っぽなのか分からずに何も出てこない。

 ひざの上にあった右手を、握られた。驚いたが、それ以上に今は自分のものではない体温が現実に存在をつなぎとめてくれて、ありがたかった。

「ごめん……ちょっと……ごめんなさい」

 イルケトリは何も言わず、ただ黙っているだけのエミリーの手を握っていてくれた。

 エミリーは体中の全部を吐き出すように限界まで息を吐いて、イルケトリを見上げた。

「ありがとう。その……何から話せばいいのか……」

 せっかく上げた視線が、落ちてしまう。

 惑いの真紅は、盗品だった。はっきりとは書かれていないが、屋敷の夫人が手引きした、というのはぎぬだったとしてもイルケトリの話と一致する。

 たしかに、手がかりはあったのかもしれない。けれど、リジエッタの無実を証明することは何も書かれていない。それに、母が元装縫師だったこと、罪を犯していたことが絡み合って、飽和して、思考できなくなる。

「いや、礼を言うのはこっちのほうだ。一番大切なことが、分かった」

 エミリーは思わずイルケトリを見る。

「どういうこと? だって、これじゃリジエッタ……リリーさんの濡れ衣は晴らせないのに」

「分かる」

 イルケトリの声は揺るぎなく、目は混じりけがなかった。

「まず、手引きしたリリーがよく喋って見つからないかと気が気でなかったってところだが、普通そんなときによく喋るわけがない」

 たしかに、ごく普通に考えれば見つかる危険があるのだからそのとおりだ。

「ただ、それだけだと何の証明にもならない。緊張して無意識に喋りすぎたのかもしれないし、あえて喋ることでまわりに怪しい集団じゃないと思わせたかったのかもしれない。けど、決定的におかしいところがある」

 イルケトリは自分の髪を指差した。

「『しきりに髪を指に巻きつけてた』。リリーは自分の巻き毛が嫌いだ。嫌いだからまっすぐになりたかったと引っぱるのはくせだったが、巻きつけてるのは一度も見たことがない」

 エミリーはローテーブルに置いた手紙を片手で取り上げた。イルケトリの言ったとおりの文面があって、言葉をなくす。

「くせは簡単に変えられるものじゃない。必要以上に喋ったのも、今ここにいるのが誰か、わざとまわりに知らせないといけない人物だったからだ……このリリーは、偽物だ」

 エミリーは目を見開いて顔を上げた。イルケトリははっきりした目をしていて、つと目線を下げる。

「ただ、お前の母親の記憶が正しければの話だし、この手紙だけじゃリリーが偽物だったっていう確実な証拠にはならない。けど」

 イルケトリと、目が合った。笑おうとして失敗したような、胸のつまる、微笑ほほえみ未満の表情を浮かべていた。

「やっと、ほんの少しでも、手がかりを見つけられた。ただの勘かもしれない、けど俺にはリリーじゃなかったって、『分かる』。今はそれだけで充分だ……ありがとう」

 泣いてしまうのではと思うくらい、イルケトリは綺麗に微笑んだ。なぜか、コムセナで抱きしめられて、「よかった」と言われたときのことを思い出した。

 イルケトリの役に立てたのなら、よかった。めぐりめぐって、真実がつながれたのなら。

「こちらこそ。手紙、出せてよかった。でもそれにしてもひどい親だよね。母は真紅を盗んだし、父はちゃんとお金稼いでなかったみたいだし、もしかして、火事も……」

 笑い話として軽く流すつもりだったのに、言葉が小さく沈んでいった。冗談を笑い飛ばすようにでもしないと、心にのしかかるものが重すぎて、耐えられそうになかったからだ。

 ずっと握られたままになっていた右手にわずかな力がこめられて、エミリーは体を震わせた。

「これは勘だが」

 イルケトリがいつものように冷静な瞳でエミリーをのぞきこむ。

「リリーの偽物を用意して、そのあとリリーを殺したくらいだから、火事は口封じかもしれない。別に単なる事故かもしれないし、お前が考えたとおり、父親が関わってるかもしれない。それは分からない。ただ……犯罪を認めることはできないが、母親がそこまでしてお金を手に入れたのは、お前を守るためだろ」

 エミリーは息をのんで、目をまばたかせた。

 そう、なのだろうか。

 母のことは、好きだった。けれど火事が起きる前、十二歳ごろには、「何でお父さんと結婚したの」と恨むまでになっていた。恨んでいたけれど、完全に恨みきれない部分もたしかにあって、火事で感情が固定されたまま、ここまで来た。

 手紙に書いてあった懺悔を、幸せを願う言葉を、素直にそのまま受け取ることはできない。

(けど、全部作り物だと思うのは悲しいから、やっぱり少しは信じてたかったよ)

 涙になりそうな感情の波が寄せて、引く。また。何度も。

 おさまって、エミリーはいたずらっぽく笑ってみせた。

「でも、ただ真紅がほしかっただけかもよ」

「まあ、あれはそういう布だ。人が惑う。装縫師は抗えない。お前の母親も職人だったんだろ。まさかお前が無資格で魔飾を作るとは思ってなかっただろうが」

 イルケトリは真剣な、けれどどこか柔らかい顔で見つめてくる。

「でも、こうして今、つながった」

 イルケトリの言葉の意味が、落ちてきた。

 エミリーが作った真紅のリボンで、つながったのだ。過去から、今この瞬間まで、すべて。

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