7話 服の魔法(2)
イルケトリの部屋はエミリーの部屋より少し広く、ローテーブルとソファーがひとつずつ多かった。デスクのそばにある、朝の淡い光に浮かんでいるドレスへ駆け寄る。
軽やかだった。淡いクリーム色の薄い布が何枚も重なって、羽のようだ。
首元はあいていて、短い袖も薄い布がフリルのように緩く重なっている。何枚ものスカートは波打って、透明からクリーム色の小さなビーズがグラデーションのように縫いつけられている。素材はもちろん絹だ。ビーズのきらめきで華やかなのに、まったく嫌みではない。
硬い音がして、エミリーは振り返る。イルケトリがローテーブルに皿を置いて、エミリーを見ていた。
「これ、全部作ったの?」
「そうだな。あの令嬢は得意客だから俺が全部作った。ここに来てたから覚えてるだろ」
あの、貴族なのに純真そうな令嬢のことだ。遠目だったが、たしかにあの令嬢とこのドレスはあるべきもののように一致した。
「すごいね……飛べそう」
エミリーは夢を見ているように
本当はもっと奥底から感じているものを言葉にしたいのだが、何と言えばいいのか分からない。シャーメリーで、一目見た瞬間に絶対にほしいと思うような、一定のところを超えた服が共通して持っているような、人を引きつける何かがある。
「何かこう、つき抜けてるというか、オーラがあるっていうか、究めてるものがあふれてるというか」
うまく言えないのがもどかしくて、エミリーはうなる。イルケトリを振り返る。
「とにかく、あたしはこれ、好き」
イルケトリは驚いたのかあっけにとられたのか、目を見開いて何も言わない。
「ねえ、これもう完成なの?」
「ああ、いや。仕上げ中だ。もう少し飾りをつける」
まだ飾りつける部分があるのかと、エミリーは圧倒されてドレスを見つめる。ふと、トルソの首に留められていた布が首飾りではないことに気付く。首に巻く部分がない。
「ねえ、これ頭飾り?」
指差してイルケトリを振り返ると、頷かれる。頭飾りはドレスと同じように、薄いクリーム色の絹が重なって、ランダムに留められて波打っている。
「羽根はつけないの?」
「羽根?」
「最初見たとき、羽みたいだな、白鳥みたいだなって思って。真っ白いふわふわの羽根」
イルケトリはエミリーを見たまま、黙ってしまった。余計な口出しをしてしまったかと、エミリーは焦る。
「あの、あたしがそう思ったっていうだけだから。気にしないで」
「別に気にしてない。お前はそう思うのかって思っただけだ」
イルケトリはエミリーの隣に歩んできて、ドレスを見つめながら口元に手をやる。真剣な、縫い手のまなざしをしていた。口元にあてられた左手に、赤の斑点を含んだ青いあざが見えて、エミリーは胸がつまった。生々しい曲線のあざは、まだそこにはっきりと、ある。
「あのね、手紙出したの……
言わなければいけない。エミリーはこみ上げてくるえたいの知れない恐ろしさに飲みこまれないよう、必死にイルケトリを見つめる。
イルケトリがエミリーを振り向く。目を見開く。
「惑いの真紅のこと何か知らないかって。それで、返事が、来たの」
エミリーはエプロンのポケットから、赤い封ろうの封筒を取り出した。
二年前に田舎を飛び出してから初めて、田舎に手紙を送った。いつまでも逃げていてはだめだなどと、綺麗事を思ったわけではない。
ヴァイオルトと話し合いたいと馬車でイルケトリが呟いたとき、手紙が出せるかもしれない、と思った。ほんの少し勇気をもらったのかもしれない。エミリーの手紙でイルケトリが求めている手がかりに少しでも近付けるのなら、知りたかった。
伯母からの返信はさぞかし激怒していて連れ戻されるのではないか、と覚悟していたが、ずっとポーラが連絡を取っていてくれたらしく、すべて知ったうえで好きにさせておいてくれたのだと、初めて知った。
「伯母さんは火事の前に惑いの真紅が送られてきたってことくらいしか知らなかったんだけど、火事のあとに手紙が送られてきて……あたしが大人になったら渡してくれって……それで、今回送られてきたの。母からの、手紙」
エミリーは震えそうになる手に力を入れて、イルケトリに封筒を差し出した。
イルケトリは
「その、ぶしつけで悪いが、真紅のことは何か書いてあったのか?」
エミリーは目をそらす。うつむいてしまう。
「実は、まだ読んでなくて。別に何も書いてないかもしれないけど、何かすごく重大なことが書かれてたらどうしようって……怖くて」
言おうとして、飲みこんで、顔を上げる。
「一緒に読んでくれないかな」
やっと言えた言葉を前に、イルケトリの表情が困惑に揺れる。
「俺は構わないが……いいのか?」
「うん。ひとりで読むよりふたりのほうが落ち着いてられる気がするから……これでただの手紙だったら笑っちゃうけど」
冗談めかしてみせると、イルケトリは真剣な顔でエミリーの手を引いた。ソファーへ連れていかれて、ふたりで並んで座る。
鼓動が速い。急に手を引かれたからか、手の中にある手紙のせいか。
手紙の封に指をかける。赤いバラの封ろうが、小さな音を立てて砕けた。
親愛なるエミリー
魔法使いにはなれましたか? ラピは元気ですか? 紙のウサギ、今度はちゃんとしまっておいたので。
母より
エミリーはもらしそうになった疑問の声を飲みこんで、もう一度文面を追った。ひっくり返して、ほかに何か書かれていないか捜してみるが、何もない。そっとイルケトリを仰ぐ。
「何か……本当に重大なことじゃなかった、のかも? 書いてあることはよく分からないけど」
イルケトリは難しげに瞳を細めて、口元に手を当てた。
「魔法使いって何だ?」
エミリーはあらためて手紙を読み返す。イルケトリも文面をのぞきこんでくる。
「
「ラピは?」
「あたしが初めて作ったウサギの名前。あ、フェルトのマスコットなんだけど」
「紙のウサギは?」
「ええと、昔、紙でよくウサギを作ってて、間違って捨てられちゃうことがよくあって」
瞬間、予感めいたものが頭の中を駆け抜けた。ふだんなら絶対に気付かないだろう、けれど今、空を見ていて前触れなく星が流れたように、降ってきた。
『もうすてないでね!』
『ああうん、ごめんね。でも布ならどこにでも連れていけるし、いつでも持ってられるでしょ? さすがに間違って捨てたりはしないから』
エミリーはソファーから立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
イルケトリへ言い置いて、自分の部屋へ走る。デスクの一番上の引き出し、そこからピンク色のウサギを取り出して、イルケトリの部屋へ戻る。
「これ、なんだけど」
イルケトリの隣に座って、握っていた手を開く。ピンクのフェルトで、ビーズで目をかたどった、ウサギのマスコット。
本当は、怖かった。予感が、真実へたどりつく軌跡が、見えてしまった気がしたから。
ウサギに目をこらすと、つたない縫い目の中に、一部分だけ整っている箇所がある。イルケトリにハサミを借りて、糸を切って縫い目をほどいていく。中をのぞきこむと、木くずの隙間に白いものが見えた。そっと引っぱり出す。
エミリーはイルケトリを仰いだ。イルケトリは落ち着いた目をしていて、頷いた。
入っていたのは、小さく折りたたまれた紙だった。エミリーは震えそうになる指で、紙を開いた。
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