6話 寄りかかればいい(5)

 馬車から降りると、森の上の空は明るくなり始めていた。

「イルキ、エミリーに変なことしてないだろうね」

 御者台から降りたシンティアが疑いのまなざしでイルケトリを睨む。

「お前と一緒にするな」

 イルケトリは呆れたように返したが、寄りかかってきたことは『変なこと』のうちには入らないのだろうか。わざわざ掘り返すことでもないので、エミリーは気まずいながらも黙っておく。

 たどりついたミス・ドレスの鉄柵の門から中庭に入ると、玄関からヒフミが出てくるのが見えた。

 駆け寄ってきたヒフミは、どこか安堵あんどした顔をしていた。

「おかえりなさい」

 イルケトリとシンティアが「ただいま」と微笑む。エミリーは「ただいま」と言いあぐねて、返事だけしておいた。

 また、玄関に人影が現れる。マリアンヌだった。エミリーと目が合うと、マリアンヌはおびえたように体をすくませたが、ゆっくりと歩いてくる。

 エミリーの前に立ち止まったマリアンヌは、赤みがかった木の箱を抱えていた。エミリーの裁縫箱だ。泣きはらしたのだろう目で、エミリーをまっすぐ見つめる。

「ごめんなさい」

 絶対に泣くまいと、必死にこらえている顔をしていた。

「わたしの魔飾は、氷。魔飾は、これ」

 マリアンヌは首元のチョーカーをさす。レース編みの、滴型のビーズがついた、マリアンヌがよくつけているものだ。意図が分からなくて、エミリーは首をかしげる。

「氷で、あなたの部屋の鍵を作って、中に入ったの。話したからって、許してもらえるなんて思ってないけれど、でも、本当に、本当に、ごめんなさい……!」

 マリアンヌはうつむく。唇を、引き結んでいる。ふとエミリーがまわりを見ると、イルケトリも、シンティアもヒフミも、マリアンヌを見つめていた。

 魔飾のことを教えるのは近しい相手だけだと、イルケトリに聞いたことを思い出した。

 まだマリアンヌへの怒りが完全に消えたわけではない。けれど、マリアンヌはまっすぐだ。

 イルケトリへの好意も、その好意からハニールにそそのかされたことも、本当はただの年相応の少女で、今泣く資格などないと必死でこらえてちゃんと言葉にして謝ってきたことは、どこまでも、まっすぐだ。

 エミリーはマリアンヌが抱えている裁縫箱に手を伸ばした。マリアンヌが涙をいっぱいにためた顔を上げる。

「本当はそんなに心広くないので、まだ怒ってるんですけど、ちゃんと謝ってくれたから……分かりました。でも今度からは嫌がらせなんかしないで、ちゃんと直接言ってください。そのほうがマリアンヌさんらしい」

 エミリーはマリアンヌの手から裁縫箱を受け取った。マリアンヌは今にも泣き出しそうな目をしている。エミリーは自然に、マリアンヌに近付いて片手で抱きしめるように背中を叩いていた。

 ごめんなさいと言うマリアンヌの声は潰れて、嗚咽おえつに変わった。エミリーは不思議と穏やかな気持ちになって、マリアンヌの背を撫でた。

 玄関が開く音がして振り向くと、ドアに隠れるようにしてハニールがこちらをうかがっていた。エミリーが反射的に身構えると、なぜかハニールも身構えたように見えた。

「な、なあにアンタ、戻ってきたわけ?」

「ハニール、エミリーにちゃんと謝って」

 エミリーが言い返す前に、不機嫌そのものの顔でシンティアがハニールを睨んでいた。

「う、うるさいわね!」と返すハニールの様子がどこかおかしい。いつもなら迷わずやってきて嫌みを並べ立てそうなものなのに。マリアンヌも異常を感じ取ったのか、泣きやんでハニールを凝視している。

「ハニール、こんなにおおごとになると思ってなかったから、一応責任感じてるらしいよ」

「ち、違うわようるさいわね! アタシは自分が悪いことしたなんて思ってないわ!」

「実は必死にエミリー捜してたのに? エミリーが出てっちゃったあと捜しに行ったとき、俺てっきりハニールはさぼってたと思ってたのに、かなりあとに帰ってきてたよね?」

「何なの? 監視してたの? 気持ち悪いわね! 頭の中花畑のくせに勝手な予想立ててるんじゃないわよ!」

「ハニール」

 よく通る声が空気を断つ。イルケトリが静かにハニールを見ていた。

 ハニールは苦い顔になって、とうとうエミリーのほうへ歩んできた。目の前で立ち止まって、眼光を鋭くする。

「今でもアンタを追い出したいことに変わりはないわ。ついでにそこの小娘もね」

 ハニールがいつもと同じ冷ややかな視線をマリアンヌに投げる。マリアンヌの肩に置いたエミリーの手に、小さな震えが伝わる。

「アタシ人間が嫌いなの。特に女。まあでも、まさかアンタが館を燃やしたり誘拐されたりするまでになるとは思わなかったわ。だからその、結果的に……」

 ハニールの声に勢いがなくなる。

「アンタを追いつめたのは……そ、その」

「その?」

「ああもう、悪かったわ! これでいいんでしょ!」

 言葉とは裏腹に、ハニールの頬は赤みを帯びていた。いつものばかにしたような笑みはない。

「どうしたんですか? 火事のショックでおかしくなったんですか?」

 謝られたことが信じられなくて、エミリーは真剣にハニールを案じてしまった。

「なってないわよ! 言っとくけどアンタを認めてないのは同じなんだから。謝ったのは館のことと誘拐されたことだけよ、勘違いしないでちょうだい!」

「こいつは極度の人間不信なだけだ。恋人とか上司に散々裏切られてちょっと性格が曲がっただけだ。気にするな」

「ちょっとイルキ勝手に話すんじゃないわよ!」

 あいだに入ったイルケトリは、ハニールへ意地の悪い笑みを向ける。

「これくらいの罰は必要だろ。むしろ言ってやったことに感謝しろ」

 ハニールが口惜しそうに唇をかんで、エミリーに指をつきつける。

「とにかく、認めない、認めないわよ!」

「あーはいはい。ていうか謝るならもっと素直に謝ればいいのに。つんつんして可愛いのは女の子だけだよ」

「黙りなさいよこの花畑男が!」

「ていうかいいかげん中入ろうよ。疲れた」

 ハニールとシンティアが言い争いながら玄関へ向かい出す。ああ戻ってきたのだな、とエミリーが妙な感慨にひたり始めたとき、ヒフミが歩んできた。

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