6話 寄りかかればいい(3)

 馬車が揺れて、エミリーは体をこわばらせた。窓を見ると木々はなくなっていて、森を抜けたらしい。

「それから、惑いの真紅を盗んだっていう従業員が逮捕された。ただ、リリーに盗めと言われたの一点張りで、追求しようとした矢先に自害した。手がかりがなくなった」

「それであたしのリボンを調べようとしてたの?」

「そうだ。お前の真紅は出所が分からない。どんな可能性でもいいからすがりたかった。手がかりがなくなって、俺はシンティアとマリアンヌとラッチェンスを離れることにした」

「マリアンヌとも知り合いだったの?」

「ラッチェンスの優秀な装縫師だ。自分から来たいって言ったから連れてきた。独立してからしばらくはヴァイオルトの嫌がらせがひどくて、話し合いもしたが話し合いにならなかった。そこはあいつの言ったとおりだ。けどそのうちなくなったから、諦めたんだろうと思ってたんだが……そんなとき、お前を見かけた」

 見つめられて、エミリーは首をかしげる。

「あたし?」

「そうだ。後ろ姿が、リリーに似てた。そんなわけないと思ったが、追いかけてた」

 記憶を巻き戻すと、初めて会ったときイルケトリはマスカルに駆けこんできたのだった。恐ろしく整った顔立ちの王子なのに、態度は妙だったという印象がある。

「お前が魔飾をつけてて、もっと驚いた。嫌がらせがあってから自衛できる装縫師しか雇わないようにして、ちょうど人を増やそうと思ってたから、何かのめぐり合わせだと思って勧誘した。まあ、結果的にお前は装縫師じゃなかったが」

 あの出会いの裏にそういうことがあったのかと、エミリーは神妙な気持ちで相づちを打つ。

 イルケトリはまた苦しそうな顔をする。目はエミリーを見つめたままだ。

「お前が断って、本当はそれで終わるはずだった。けどお前は逮捕された。ヴァイオルトに目をつけられたからだ。ヴァイオルトは俺がお前を助けるとふんで、そのうえで今回みたいに人質にするつもりだった。だから俺は警察署でお前に会ったとき、とうとう無関係な人間まで巻きこむのかと呆然ぼうぜんとした。助けないつもりだった。けど助けざるを得なくなった。お前を雇ったのは、あのまま放っておくとまた狙われると思ったからだ」

「もしかして外に出してくれなかったのもそのせい?」

「そうだ。やかたにいても狙われる可能性は同じだから、保険程度だが」

 イルケトリの言葉の裏に隠されていたものに、エミリーは信じられない気持ちになる。

(もしかして今までのこと、全部?)

 そうして、思いが口をつく。

「どうして言ってくれなかったの?」

 責めているつもりはなかったが、それ以上口にできなかった。言ってくれればもう少し協力できたかもしれないのにという思いと、巻きこんだと分かっていながらどうして黙っていたのかという不信感が混ざり合う。

 イルケトリは叱責を受けたように目を伏せて、それでもエミリーを見つめる。

「どんなに確証に近くても、証拠がないうちはまだどこかでヴァイオルトを信じたい気持ちがあった。俺の考えすぎかもしれない、お前に何も起こらないかもしれない。もしそうだったとしても、言えばお前は絶対に出ていくと思った。それならこのまま黙って館にとどめておいたほうが安全かもしれない」

 イルケトリはあらたまるようにエミリーのほうへ体を向き合わせて、居ずまいを正す。

「お前をこんなことに巻きこんだのも、無理に連れてきて縛りつけたのも、全部俺の自己満足だ」

 イルケトリは言葉を続けたそうに口を動かして、顔を歪めた。とても、苦しそうだった。

「本当に、すまない」

 痛みを持った瞳が、エミリーをずっと見つめていた。

 言いたいことは、たくさんある。けれど、分かってしまった。ヴァイオルトがずっと繰り返していた言葉の意味が。

 イルケトリは、優しいのだ。

 真実を隠したままでいたことが正しいとは思わない。けれど真実を隠して、エミリーを守ろうとしてくれた気持ちは、本物だ。

 エミリーはイルケトリをなじればいいのか、礼を言うべきなのか分からなくなって、重い気持ちで目線を下げた。

「これからのことだが、俺はつてを使って外国の知り合いにお前を預けるのが一番安全なんじゃないかと思ってる」

 間を裂いたつぶやきに、エミリーは「はい?」と顔を上げる。

「ほとぼりが冷めるまで外国にいるといい。生活は保障する。最初から考えてたんだが、もっと早くするべきだったな」

「どういうこと?」

「どうって、そのままの意味だが。どこにいても狙われるなら、なるべく遠くに行くしかない」

 エミリーは眉をひそめて、思いきり首をひねりたくなった。イルケトリが助けに来たから、無条件にミス・ドレスへ戻るのだと思っていたのだ。先ほどから感じていたもやのような不満がエミリーの中で形になっていく。

「ねえ、あたしがこれからどうするかって、何でイルキが勝手に決めてるの? あたしの意見聞いてないよね? 働き続けたいって言うとは思わなかったの?」

 イルケトリは完全に虚をつかれたという顔になった。

「働きたいのか?」

「それはちょっとまだ考えさせてもらいたいけど、問題はそこじゃなくて、何で目の前にあたしがいるのに何も聞かないでひとりで決めちゃうの? 今までのことだって、そりゃあ黙ってたほうが都合がよかったからだろうけど、イルキ全然顔に出ないし、言ってることとやってることが反対だから何考えてるのか全然分かんない」

 エミリーが訴えるようにイルケトリを見上げると、イルケトリはいぶかしげな顔をした。

「そうなのか?」

「いや、そうなのか?って! 自覚ないの?」

 エミリーは思わずつっこんでしまう。不満を通りこして呆れてしまい、イルケトリを眺める。

「もしかして、あたしがヴァイオルトに狙われるかもしれないってことも誰にも話してないの?」

 イルケトリは責められてようやく居心地が悪くなったのか、目をそらす。

「話してない」

(ああ、やっぱり……)

 エミリーは額に手を当てて、あさっての馬車の壁を見つめる。逃避はほどほどにして、イルケトリへ視線を戻す。

「あのね。今回あたしに言わなかったのは逃げるからとか理由があったからまだいいけど、みんなには言ってあげたほうがよかったんじゃない? 結構くせのある人たちだけど、それでもイルキのところで働き続けてるのは、イルキのこと尊敬してるからでしょ? 何で全部ひとりで抱えこもうとするの? 言わないと伝わらないんだから、ちゃんと話して、頼って、寄りかかりなよ」

 反論されることはなく、イルケトリは驚いた顔をしていた。あぜんとしているように見えて、エミリーは我に返る。

(って何あたし説教してるの!)

「あの、その。あたしはそう思ったっていうだけだから……これからどうするかとかは、もう少し考えさせて」

 気まずさに視線を落とせば、「分かった」と声が降ってくる。本当はまだ聞きたいことがあったのに、口を開きづらくなってしまった。

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