6話 寄りかかればいい(2)

 イルケトリが義理の母と初めて会ったのは、六歳の夏だ。

「はじめまして、イルケトリ。リジエッタです。リリーと呼んでね」

 応接間のソファーで父の隣に座る少女は屈託なく笑う。金の巻き毛を緩く結った、見習いのメイドとそう変わらない十五、六歳ほどの、世間知らずそうな少女だった。

「はじめまして。テンプルお嬢さん」

「イルケトリ」

 精いっぱいの冷たい声を、父がとがめる。

 テンプルはリジエッタの旧姓で、『お嬢さん』は未婚の女性につける敬称だ。イルケトリのかわりの後継者を産むためにリジエッタが来たとうわさで知っていたから、イルケトリは受け入れる気は一切なかった。

 けれどリジエッタはまったく嫌みなく目を輝かせる。

「まあ。そんなお世辞はいいのよ。ありがとう。でもリリーと呼んでほしいの」

 こいつ、頭がおかしいのだろうかと、イルケトリは体を引きそうになる。「なぜですか」と問うと、リジエッタは渋い顔をした。

「リジエッタという名前があまり好きではないの。リジーよりリリーのほうが可愛かわいいでしょう?」

 たしかにイルケトリも自分の名前が東南の外国の響きで嫌いなので、気持ちは分からなくはなかったが。そう思って、慌ててなれ合う気はないと打ち消す。

 結局、リジエッタはまったくめげなかった。イルケトリが大切に思っていたリンゴの木がリジエッタに守られたのをきっかけに、イルケトリはリジエッタを受け入れた。あまりにも諦めの悪いリジエッタに、イルケトリのほうが観念せざるを得なかった。

 自分の名前が嫌いだと打ちあけたら、『イルキ』という呼び名をつけてくれた。恥ずかしいながらもリジエッタの巻き毛をほめたら、「ありがとう。でも本当はあまり好きではないの。まっすぐな髪に生まれたかったわ」と巻き毛を引っぱりながらぼやかれた。

 シンティアと会ったのもこのころだった。父と訪れた得意先の屋敷で、小姓だったシンティアを父に頼みこんで引き抜いた。シンティアが装縫師そうほうしになれそうだったからだ。

 物心ついたときから『直感』、装縫師に関するものを見ると、何となく『分かって』、外れなかった。まだ魔飾は作れなかったから、そういう不思議な力があるのだろう程度に思っていた。

 一年後、ヴァイオルトが生まれた。イルケトリは後継者から外された。

 イルケトリと、ヴァイオルトと、シンティアは三人で兄弟のように育った。時間を見つけては、三人で中庭を駆け回っていた。木もれ日が注ぐリンゴの木の下に行けば、よくリジエッタと会った。

 ヴァイオルトは無条件にイルケトリを慕ってきた。自分から存在価値を奪っていった憎い存在なのに、年の離れた無垢な弟を、イルケトリは完全に憎めなかった。

 十七歳になって、ようやく魔飾が作れるようになった。けれどイルケトリの魔飾は一般的なものとは違っていた。魔法を使うと、自分のほうへ侵蝕してきて、つる草のあざになるのだ。イルケトリの体質が原因なのではないか、と予想が立てられた。

 魔飾との親和性が異常に高い特異体質。現に『直感』は体質の副産物だろうと言われていた。

 イルケトリの魔飾が実用できるかどうか、試用試験が始まった。魔飾は流通させる前に試験をする。自分に合った属性でも使うには訓練が必要なので、ラッチェンスは犯罪者や闇求人で集めた人間を訓練させ、試験に使っていた。

 森に囲まれた試験場で、イルケトリ、父、リジエッタ、ヴァイオルト立ち会いのもと、試験が行われた。中年の男性が、魔飾の手袋をはめる。

 イルケトリの目に、焼きつく。

 手袋から赤く引きつれた血のつる草模様がかけめぐり、広がり、全身におよんで、男性は『消えた』。跡形もなく、悲鳴を上げる前に、一瞬で。何が起こったのか分からない顔をしていた。それが、消えない。

 その力は、イルケトリ以外を『消す』。内も外も同じように侵蝕される。

 イルケトリが一瞬で侵蝕されないのは『自分の魔法は自分には効かない』という法則が働いているからだろうと言われた。けれどはっきりとした確証は得られず、さまざまな要因が混じり合ったものとして、『混沌』とつけられた。

 イルケトリは、ラッチェンスに生まれながら初めて魔飾の恐ろしさを知った。人を存在ごと殺したということに耐えられず、発狂した。部屋にこもり、自害しようとし、止められ、時間の感覚も、自分が何をしているのかも分からなくなってきた。

 数回、ヴァイオルトが訪れてきた。幾度目かで、今までずっと抱えこんできた嫉妬を、憎しみを、みにくいものすべてを、ぶつけた。

 数度、リジエッタが訪れた。食事を持ってきたりしていたが、こんな姿を見られるのに耐えられず、叫んで拒絶した。

「リンゴ。秋になったら、持ってくるわね」

 リジエッタの優しい声が、耳に残った。

 シンティアがやって来た。引いたカーテンから、かすかに陽光がもれていた。

「リリーが死んだ」

 シンティアの声は、はっきり聞こえた。

「惑いの真紅を盗む手引きをしたって疑いをかけられて、自害したって言われた。けどリリーが絶対そんなことするわけない。イルキにもう魔飾を作らせるべきじゃないってずっと言ってたから、反対派に殺されたんだ」

 イルケトリの魔飾は、強力だ。実用に成功すればかなりの金が動く。無理にでも立ち直らせて魔飾を作らせるべきだという意見のなか、リジエッタは反対した。これ以上イルケトリに人を傷付けるものを作らせるべきではないと、搾取しようとする大人たちから、苦しんでいるイルケトリをずっと守ろうとしていた、とシンティアは言った。

 靴音が近付いてくる。座りこんだ床から、胸倉をつかまれて引き上げられる。

 シンティアの目は、静かだった。同時に、見たこともない凍った憤怒があった。

「俺もイルキも、リリーを守れなかった。ねえ、いいかげん生きるか死ぬかどっちかにしてくれない? すごく、目障り」

 シンティアは興味を失ったようにイルケトリを離すと、部屋を出ていった。

 どれくらいたったのか、食事を持ってきた従僕にリジエッタのことを尋ねると、たしかに自害したと言われた。

 シンティアの言葉は理解できたが、どうすればいいのか分からなかった。立ち上がって、カーテンを開けた。

 目がくらんだ。白い日差しの中で、中庭の木々が広く青い葉を伸ばしていた。たしか最後に見たときは、木々は葉を落とし始めていた。

 夏だった。リジエッタと会った季節だった。

『リンゴ。秋になったら、持ってくるわね』

 そう言われたのはいつだったか。けれどこれだけは、分かる。

 秋は、もう来ない。

 イルケトリは座りこんだ。目が痛かった。涙があふれてきた。シンティアの言うとおりだった。一番大切なときに、一番大切な人を守れなかった。

 イルケトリは自分を殴ろうとした。けれどそれはただの自己満足だ。後悔しても、何をしても、リジエッタは生き返らない。人を殺してしまったことに押し潰されて、ただわめいていた今までと同じように。

 この愚行を二度と繰り返さない。二度と魔飾を作らない。

 リジエッタの無実を、証明する。

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