6話 寄りかかればいい(1)

 馬車の揺れに合わせて、車内の薄い影がうねる。座席の両側上部につけられたランプの心もとない光が、エミリーと左に座るイルケトリにそそいでいる。

 ラッチェンスの敷地から森を進んだ先には馬車道があり、小型の四輪箱馬車がとまっていた。「この貸しは高くつくから」とシンティアがイルケトリにふくれっ面を向けながら御者台につき、馬車を出した。

 エミリーは窓の外に目をやる。あれから少し走ったはずだが黒い木々が連なっていて、まだ森の中のようだった。ひっきりなしに揺れているので、悪路なのだろう。シンティアは馬車を御することもできるのかとか、ミス・ドレスに馬車はなかったはずだから貸し馬車だろうかとか、とりとめのないことが浮かんでくる。エミリーはずっと握りしめていた左手をほどいて、真紅のリボンをひざに乗せた。

 緊張の糸が切れたのか、あふれる水のように先ほどまでの場面が押し寄せてくる。赤い火柱の立つ部屋、ヴァイオルトの炎に包まれた腕、そして焼けただれた、腕。

「あた、し……ヴァイオルトの腕を、火で……」

 自分を傷付けようとした相手のことなど気にする必要はないのかもしれない。けれど、エミリーはたしかに意思を持って攻撃してしまった。魔飾ましょくで、人を傷付けた。

 体の奥から震え出す。頭に何か触れて、飛び上がっていた。目線を上げると、かたわらのイルケトリがエミリーの頭に手を置いていて、落ち着いた目で見下ろしていた。

「いい。あれはああしないとお前も俺も危なかった。ありがとう。かばってくれて」

 そうしてイルケトリはエミリーの髪をでる。落ち着かせるように、穏やかに。

 イルケトリをかばったとはいえ、人を傷付けたことに変わりはない。けれど、イルケトリを守れたと、ほんの少しだけ救われた気がした。

「もう、大丈夫。ありがとう」

 髪を撫でてくれる手に震えがおさまってきて、エミリーは顔を上げた。イルケトリの手が離れていく。

 イルケトリは気遣う表情をしていて、けれどそれとは別に心なしか覇気がないように見えた。そういえば馬車に乗ったあとから力なく座席の側面にもたれかかっていた気がする。頬には切り傷が残ったままで、シンティアの『治癒』では完全に治っていないのだろうかと不安がよぎる。

「約束どおり全部話す。何から……」

 そこでイルケトリが強く顔をゆがめる。エミリーの目の前に、倒れて動かなくなったイルケトリの姿がよみがえって、血の気が引く。

「イルキ、痛いの?」

 近付くと、イルケトリは驚いたように身構える。

「別に、何でもない。大丈夫だ」

「うそ。酔ったの? 気持ち悪い?」

 エミリーが思わず距離をつめると、視線の端に何かが引っかかった。強い違和感にさらに身を乗り出すと、イルケトリは観念したように顔をそらした。

 隠すように座席に置かれた左手の、甲に赤い模様があった。よく見ると、皮膚の下で出血したような、生々しく引きつれた曲線のあざだ。

 エミリーは息を飲んだ。どうしたの、と言おうとして、言葉が止まる。

 イルケトリが手袋をしていたのは、左手だ。

「痛い、の? もしかして、ずっと痛かったの?」

 拳銃を消したとき、手を押さえていたことを思い出す。シンティアに抱え方を指摘されたとき、片手が使えないと言っていたことも。

 イルケトリはばつが悪そうに顔をそらしたままだった。

「お前が気にするほどのことじゃない」

「そんなわけないでしょ? 魔飾のこともちゃんと話してくれるって言ったでしょ? 何で今さら隠そうとするの? ちゃんと全部話して」

 必死にイルケトリをのぞきこむと、イルケトリはようやく気まずそうながらも目を合わせてくれた。

「分かった」

 そうして、左袖の金のカフリンクスを取る。シャツを折り返して、ひじの上までまくり上げていく。

 エミリーは思わずひざの上でドレスを握りしめた。

 ランプの頼りない明かりにさらされたイルケトリの腕は、肌の下をミミズが暴れ回ったように、いびつな血のつる草模様に覆われていた。

 魔法で床に描かれた黒のつる草は、見入ってしまうほど絵画めいていて、幻のようだった。けれどイルケトリの腕に描かれた血のつる草は、あまりにも生々しくて、むごい。

「すまない。無理やり見せるようなものじゃないんだが、見せるのが一番早いと思った」

 イルケトリは痛むのか顔をしかめて袖を下ろす。

「ううん。ありがとう……すごく、痛いの?」

「我慢できないほどじゃない。魔飾の副作用だ。シンティアの治癒は効かない。けがみたいな、呪いみたいなものだ」

 イルケトリはカフリンクスを留めて、エミリーに向き直る。

「俺の魔飾は『混沌こんとん』だ。手袋で触ったものに侵蝕しんしょくして、拒絶反応を起こさせて『消す』。使ったぶん、自分も侵蝕される。これがそうだ」

 イルケトリが手の甲にある血のつる草をさして、エミリーは頭の中が疑問で埋めつくされる。

「ちょっとよく分からないんだけど……副作用なんてあるの?」

 エミリーもシンティアも魔法を使ったあとどこかが痛むなどなかったはずだ。

「俺は魔飾との親和性が異常に高い特異体質だ。だからそういうことが起きる」

 完全に理解できないながらも、エミリーは重々しい気持ちで頷く。そして、思い出す。

「『直感』は? ふたつ使えるの? それともうそだったの?」

「あれはこの体質の副産物みたいなものだ。うそじゃないが魔飾ではない。親和性が高すぎるから、何もしなくても勝手に『分かる』」

 エミリーは驚きと、痛々しい感覚をもってイルケトリを見つめていた。自然と、ヴァイオルトが言っていた言葉が滑りこんでくる。

「イルキは特別だって、ヴァイオルトが言ってた。これのことなの?」

 イルケトリはわずかに瞳を細めた。

「あいつにどこまで聞いた?」

 エミリーは一瞬、ためらった。

「えっと……異母兄弟だってことと、イルキを憎んでる理由」

「俺が人を殺したことは?」

 イルケトリの目はあまりにもまっすぐで、エミリーは思わず目をそらしてしまった。

「事故でそういうことがあったっていうのは、少しだけ聞いた」

 イルケトリは何も言わなかった。エミリーがそっとうかがうと、険しい目と、目が合った。

「ちゃんと、全部話す。お前がもう聞きたくないと思ったら、言え。俺はそんなにいい人間じゃない」

 エミリーはほんの少しひるんで、唇をきつく結ぶ。

「別に、イルキがいい人だなんて思ってないから。賄賂わいろ使うし、優しいのか冷たいのか分かんないし、すぐからかうし、助けに来ないと思ってたし。散々巻きこんでおいて今さら何言ってるの?」

 口をとがらせて見上げると、イルケトリは「そうだな」と小さく笑った。

 そして、口を開く。

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