5話 守るための力(4)

 ヴァイオルトは明かりもつけず自室でずっと考えていた。イルケトリには会いに行けばいいと人は言うかもしれない。けれど、ヴァイオルトが望むことはそうではない。

 イルケトリとずっと一緒にいたいのだ。

 ヴァイオルトがラッチェンスの次期当主である以上、ラッチェンスを捨てるわけにはいかない。ラッチェンスはイルケトリの魔飾を広めるために必要だ。

 闇の中で来る日も来る日も痛みと悲しみのあいだをさまよって、ふと、分かった。

 イルケトリが、当主になればいい。当主になればイルケトリは優しいから、途中で責任を放棄したりしないだろう。そうすれば一緒に魔飾を作れる。一緒にいられる。イルケトリをラッチェンスに呼び戻すしかない。どんな手を使ってでも。

 そうして、初めての感情がわき上がってくるのに気付いた。

 イルケトリはなぜラッチェンスを、ヴァイオルトを捨てたのだろう。純粋な痛みしかなかったその場所に、黒い水が流れこんでくる。

 ずっと、イルケトリはヴァイオルトを好きだと、うそをついていた。そしてヴァイオルトを傷付けて、嫌だと引き止めるのを振りきって、出ていった。イルケトリも、同じ報いを受けるべきではないだろうか? 傷付いて、痛みを感じて、自分のしたことを知るべきではないだろうか。ヴァイオルトがどれだけ傷付いたかを。そうして、互いの気持ちを知って、一緒に魔飾を作るのだ。支え合いながら。ずっと一緒に。

 離れるなど、許さない。傷付けたことを、一緒にいることで償え。ずっと、一緒に魔飾を作り続けろ。

 絶対に、逃がさない。


 ヴァイオルトの言葉が途切れた。エミリーはベッドの上で身動きもできず、口を挟むこともできなかった。ヴァイオルトの言葉の強さと、初めて知るたくさんのことに呆然として、頭が回っていない。

 憎しみの深さは、他人が見てもはかれない。それはエミリーも人を憎んでいたので分かる。けれど、やっていることがあまりにも行きすぎている。

 そうして、口を挟めず飲みこんだ疑問を思い出す。

「イルキの魔飾は、『直感』じゃないの?」

 イルケトリの魔飾が人を殺した、とヴァイオルトは言った。『直感』は人を害する能力ではなかったはずだ。

「直感、ね」

 ヴァイオルトは呟いて、おかしそうに微笑んだ。

「イルキは特別なんです。今度会ったときにでも聞いてみてください。イルキは自分の魔飾を憎んでますから」

「ねえ、そもそもこんなことしないで、イルキと話し合えないの?」

「話し合いましたよ。平行線でしたけど。だからイルキにはもっと苦しんでもらって構わない。ぼろぼろになればなるほど、もう二度とラッチェンスから逃げようなんて思わなくなるはずですから」

 ヴァイオルトがエミリーをのぞきこむように、強気な、あやしい微笑みを見せる。

「だから、君をイルキに助けさせたんです。警察署で会うようにして」

 エミリーが意味を理解する前に、ヴァイオルトは口を開く。

「イルキが誰かを自分から勧誘したのは初めてだったから、何かあるんだろうと思いました。別に助けても助けなくても、僕はどっちでもよかったんです。助けなければまた別の手を考えたし、けど、イルキは助けると思いました」

「ちょっと待って、警察署で会うようにって何?」

「何って、そのままの意味ですけど?」

 ヴァイオルトは小首をかしげる。警察署でイルケトリと会ったのは偶然ではないというのか。その瞬間、本当に嫌な方向へすべてがつながる。

 イルケトリは、あのときアージュハークの雑踏で誰かが話を聞いていて、密告したのではないかと言っていた。それしか、考えられない。

「警察に、言ったの? あたしとイルキが話してるのを聞いて? それで引き合わせて、助けさせたっていうの? 人質にするために」

 ヴァイオルトがけがれなく、慈悲深く、微笑む。

「ええ」

 エミリーは思考を止めてしまいたくなった。けれど、無情につきつけられる。まさか、そんなにも前から、最初からヴァイオルトの手の上で踊らされていたなど。

「まあ、正確に言えば聞いていたのは僕ではないです。イルキのことはたまに監視しているので」

 ヴァイオルトが付け加える。

「君を助けたのは、間違いなくイルキの意思です。結果的に助ける理由は充分にありましたけど。まさか、惑いの真紅を持っているなんて思いませんでした。あれは数年前、ラッチェンスから盗まれたんです」

 エミリーは息をのむ。

「ああ、でも君の真紅が盗まれたものかどうかは分かりません。けどイルキは盗難の真相を知りたがってる。それだけで君の人質としての価値は充分です」

 次から次へと真実が押しこまれて、頭が拒否している。もう眠ってしまいたい。けれどふと思い出してしまう。

「あのときは、何で連れていかなかったの? コムセナで会ったとき」

 ヴァイオルトはコムセナでエミリーに道を尋ねている。偶然のわけがない。あのときに誘拐できたはずだ。

「あれは本当に散歩です。君を見に行ったんです。イルキが声をかけるくらいだから、どんな人なんだろうって」

 ヴァイオルトは満面の笑みを見せてから、困ったように首を傾ける。

「イルキは年上の色気がある人が好きなのかと思ってたんですけど、少女趣味のほうが好きなのかな?って」

 エミリーは言葉をよくかみ砕いた。

(今、けなされた?)

 まさかこの状況で、しかもヴァイオルトにからかわれるとは思わなかった。余計なお世話だと叫びたいのをこらえる。

「連れていかなかったのは、まだ早いと思ったからです。イルキの心が君に傾いていなければ、連れていってもイルキを苦しめられないでしょう?」

 ヴァイオルトの薄い笑みに、攻撃的な、残酷なものがにじむ。瞬間、今までの雰囲気はすべてかき消えて、鳥肌が立った。ヴァイオルトの憎しみはエミリーの口先だけではどうにかなるものではないと、分かってしまった。

「思ったより長く話しすぎてしまいました」

 ヴァイオルトは息を吐き出して、エミリーへ乗り出していた体を離す。

「今日はゆっくり休んでください。何か必要なものがあればメイドに言ってください」

 残虐な提案を口にした人物とは思えないほど、ヴァイオルトは柔らかく微笑んで、ベッドから立つ。

「ちょっと待って」

 ヴァイオルトを見送ってしまえば助かるチャンスが失われる。エミリーはベッドから出て立った、つもりだった。すぐに視界が回って、体が揺れる。

 床にひざがついたのと、両腕をつかまれたのは、同時だった。

「ああ、だめです。まだおとなしくしていないと」

 知らない、とがったバラのような香りがした。顔を上げると、ヴァイオルトが心配そうな顔で見つめている。ヴァイオルトは見かけに反する力でエミリーの腕を引いて、ベッドに座らせる。

「おとなしくしていてください、捕らわれのお姫さま。王子さまが迎えに来るまで」

 ヴァイオルトがささやいて、離れていく。引き止めて助かる方法を見つけなければいけないのに、目の前が揺らいでいて何も考えられない。

 ドアが閉じる音がして、エミリーは力が抜けるようにベッドに倒れこんでいた。考えなければいけないことはたくさんあるのに、体が回っているような感覚が気持ち悪くて、目を閉じた。

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