4話 誰かのかわり(3)

「もういいかしら?」

 マリアンヌがうんざりした顔で言ってから、エミリーを見上げる。

「とりあえず、あなた着替えてらっしゃい」

 ナイトドレスに布を巻いたままの姿だったことを思い出して、エミリーは頷いた。シンティアもいるのだから、今後はうかつに無防備な格好をしないように気を付けなくてはいけない。

 マリアンヌに促されて、一緒に作業場のドアまで歩いていくと、マリアンヌがどこかきまりの悪い表情をしていることに気付いた。心なしか頬が赤い。もしかして、と頭の中でつながる。

 大人びているから忘れそうになるが、マリアンヌはまだ半分子どもといってもいいくらいの少女なのだ。シンティアのあけすけな物言いが恥ずかしかったのかもしれない。

 作業場のドアを開けると、マリアンヌがふとエミリーを見上げてきた。

「ねえ、あなた昨夜……イルキと何をしていたの?」

 マリアンヌの頬は赤いままで、まなざしにどこか軽蔑の色が混じっているように見えた。

 昨夜、と思い出して、イルケトリに触れられた感触が蘇ってきてしまい頬が熱くなるが、ハニールの言葉を思い出して血の気が引く。

「ごっごめんなさい、うるさかったですか?」

 昨夜はドアを開けたまま会話していたので、廊下に丸聞こえだったはずだ。夜遅い時間だったので余計にだろう。

 マリアンヌは視線をさまよわせて、意を決したように強い目でエミリーを見据える。

「ど、どうかと思うわ! あんな大声で嫌とかだめとか遊ばないでとか」

 マリアンヌの真っ赤になった頬を見て、エミリーは固まった。そんないかがわしい話はしていなかったはずだが、と思った矢先、嫌な感覚が広がる。

(いやまさか……コルセットのとき?)

 イルケトリがコルセットを締めにくるなどと言うものだから、必死で叫んだ記憶がある。まさかそこを誤解されたというのか。

「ち、違います! ただイルキが心配して郵便を届けてくれただけです! 雇い主として!」

 イルケトリがいぶかしげに振り向いて、エミリーは大声を出してしまったことを後悔する。もはや逃げ出したい。

「わ、わたしに力説されても困るわ……とにかくもう少し声を落としたほうがいいのではないの?」

 マリアンヌはそっぽを向いてしまう。誤解をときたかったが、マリアンヌはこれ以上話したくないと言いたげだし、説明を重ねれば重ねるほど逆効果な気がする。

 ハニールが腕組みして見つめていることに気付いてしまい、エミリーは「うるさかったのはごめんなさい。でも本当に荷物を受け取っただけで、イルキに悪口言われて叫んじゃっただけです」と言い置いて、慌てて作業場を出た。

「ああまた変なことに……」

 自室に向かう廊下で独白してしまい口を塞ぐが、遅い。もういいやと開き直る。

 マリアンヌがエミリーの言葉をどう受け取ったか、分からない。言葉どおり受け取ってくれればいい、と思う。

 同性の直感だが、マリアンヌはイルケトリのことを好きな気がするからだ。


 数日後、ようやく家具が届き、エミリーはシンティアの部屋からヒフミの隣の部屋へ移った。イルケトリの部屋のソファーで寝るのを嫌がったシンティアは、食堂にあった長椅子で寝ていたらしい。さすがにそれは申し訳なかったので、エミリーはやっと人心地がついた。

 少しずつ仕事にも慣れてきて、ポーラとラナの手紙を読み返したり、返事を出して毎日楽しみに郵便馬車を待ったりして、ため息をつきそうになる回数も減ってきた。ヒフミとの厨房での会話も少しずつ身構えなくなってきている。

 シャーメリーに自由に行けないのがつらいが、食事のあとにイルケトリを捕まえて訴えていたら、「次の買い出しまで待て」と言われた。次は一週間か二週間後らしい。食料品は毎朝馬車が来て届けてくれるので、日用品や服飾材料の買い足しということだろう。外に出してくれる気はあるのかと、少し意外だった。

 そうやって少しずつ日々のうれしいことが増えていき、気持ちが上向きになってやる気も出てきた。目の前の仕事を精いっぱいやろうと、そう思っていた矢先だった。


 その日、エミリーがいつものように倉庫に掃除道具を取りにいくと、庭用のほうきやバケツなどいくつかがなくなっていることに気付いた。

「あれ? 片付け忘れた?」

 エミリーは首をひねった。それにしてもなくなっている数が多い気がする。掃除をしつつ捜してみて、なければイルケトリに移動したのか聞こうと思っていたら、中庭の木陰にまとめて置かれているのを見つけた。置いた覚えはないし、誰かが使ってそのままにしてしまったのだろうか。エミリーは疑問を抱えたまま、掃除道具を倉庫へ戻した。

 数日後、仕事が終わり、エミリーは自室でドレスの取れかけたボタンをつけようとしていた。いつも裁縫箱を入れてある引き出しを開けたが、見当たらない。どこか別のところにしまったのだろうかと思って部屋の中を捜してみたが、見つからない。シンティアの部屋から移ったあとに一度使っているから、どこかにはあるはずだ。

「どうして?」

 裁縫箱は、外側の箱は火事で焼けてしまって新しくした。けれど無事だった中身は九歳のころからずっと使っている、とても思い出深いものだ。

 ふと、数日前、掃除道具がなくなっていたことを思い出した。たまたま物がなくなりやすい時期なのだろうか。絶対ここにしまったのに、と思いつつ、明日部屋の外も捜してみようと気持ちを吹っ切ることしかできなかった。

 けれど、数日後。

 シャーメリーで一番最初に手に入れた真紅のドレスが、クロゼットから消えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る