4話 誰かのかわり(2)

「大体イルキが早く家具買わないのが悪いんだよ。今まで何してたの?」

 シンティアの口調は嫌みではなく感想を述べるようだった。イルケトリが痛いところをつかれたというふうに顔をそらす。

「その……忘れてた。すまない」

 忘れていたのかと、エミリーは心の中で冷静につっこんでいた。衝撃的なことが起こりすぎて特に怒る気力もわいてこない。

「いや、昨夜思い出して今朝注文しようとしてたんだが」

 子どもが言い訳するときのようなすねた顔が珍しく、エミリーは思わず見つめていた。完璧そうに見えて意外と抜けているのだろうか。

 すねたイルケトリと目が合ってしまい、エミリーは体に力を入れる。

「とにかく今日注文する……怖い思いをさせて悪かった」

 若干言い訳の残る、けれど真面目な顔をしていた。イルケトリに謝られるのは何だか違う気もするが、ひとまず素直にうなずく。少しだけ、鼓動が速くなって、目をそらす。

「はい。じゃあイルキが悪かったってことで」

「待て。一番の元凶はお前だ。ちゃんとこいつに謝れ。一応未婚の娘だぞ」

「一応って何? 一応って」

 イルケトリがシンティアとエミリーを交互に見て、エミリーがイルケトリに抗議の視線を向けたところで、作業場のドアが乱暴に開かれた。

「ちょっとアンタたち! うるさいのよ何時だと思ってんの! まだ始業前よ!」

 ハニールが殴りこみのように入ってきた。エミリーは思わず肩を跳ねさせて、一番うるさいのはあなたでは、と言葉を飲みこむ。

 ハニールはエミリーに目を留めると、ものすごい勢いでつめ寄ってきた。

「主にアンタよアンタ! ノックと走る音がうるさいのよ!」

 イルケトリの部屋に助けを求めに行ったときのことだろう。それは反論できず、エミリーは「すみません気を付けます」と半ば気圧けおされるように謝った。

 ハニールはまだ不満そうに顔をそらすと、シンティアに気付いたように視線を向けた。

「あら、シンティア。戻ってたの」

 ハニールはいつものように面倒そうな顔をした。シンティアに対しても例外ではないらしい。

「ハニール、相変わらずでかいね。声も背も態度も」

 シンティアは当たり前のように特に感情を乗せていない声を出した。

「ひょろいアンタに言われたくないわよ!」

「老け顔の人に言われたくない」

 敵意をむき出しにしているハニールとは対照的に、シンティアは怒るでもなく笑うでもなく、ただ平然としている。妖精は人間のどうでもいい怒りなど受け流せるのかもしれない。

 それにしても老け顔とは、ハニールは一体何歳なのだろう。尋ねると怒声が飛んできそうで、エミリーは怖くて口を開けない。

 ふとシンティアと目が合うと、そよ風のように柔らかに微笑まれる。

「ちなみに何歳だか忘れちゃったけど、ハニールは俺とイルキより年下だよ」

 思わず驚愕きょうがくの声を上げそうになって、すんでのところで抑えた。

「ちょっと何よその顔は! アンタだって女の中じゃ一番老け顔じゃない!」

 ハニールがむきになったようにエミリーに怒声を放ってくるが、あまり悔しくない。マリアンヌはまだ子どもといっても通じる年齢だろうし、ヒフミは外国人なのでそもそも顔立ちが違う。

「ハニール、女の子にそんなこと言うなんて失礼すぎ」

 シンティアは初めて不快そうに少しだけ目を細めた。けれどエミリーに顔を向けると、うそのように笑顔になる。

「俺が二十三で一番上だよ」

「え、イルキより上なんですか?」

 華奢だからかもしれないが、シンティアは男性というより青年という印象だった。

「イルキは一個下だっけ? 二個下?」

 シンティアがイルケトリを振り返る。イルケトリは至極興味のなさそうな顔をしていた。

「二十二だ。今はそんなことどうでもいいだろ。さっさとこいつに謝れ」

 イルケトリがエミリーのほうを見てきて、まだその話が続いていたのかと驚く。

 シンティアは「はあい」と返事して、エミリーの前まで歩んでくる。立ち止まると、儚さを感じさせる微笑みを浮かべて、手を差し出してきた。

「今朝はごめんね、エミリー。あらためてよろしく」

「あ、は、はい。こちらこそよろしくお願いします……」

 エミリーは恐る恐るシンティアと握手した。こうしていると、本当に無垢な青年にしか見えない。なぜ今朝当然のように隣に寝ていたのかと理由を尋ねようとした瞬間、握られたままだった手に力がこめられる。

「じゃあ、部屋行こうか」

 エミリーは一拍おいて、疑念とともに首をかしげた。

「え、な、何でですか……?」

 シンティアはどこまでも妖精のような清らかな笑みを向けてきた。

「だってエミリーはメイドでしょ? 俺の体に奉仕し」

 言葉の途中からイルケトリが駆けてきて、勢いを乗せてシンティアの頭を思いきりはたいた。

「あほうか! 口縫うぞ!」

 イルケトリは信じられないものを見るような目をしていて、握られていたエミリーの手をシンティアから引きはがす。シンティアは不満そうにイルケトリをにらんで、頭をさすった。

「いったい。何すんの、イルキ」

 イルケトリは静かな怒気をひそませた目をして、シンティアを見やる。

「いいかげんにしろ。客にも従業員にも一切手を出すなって言ったはずだ。それ以外なら勝手にしろ。ただし私情を仕事に持ちこむな」

 シンティアは納得がいかなそうに口を結んでいる。

「メイドでも?」

「メイドは従業員だ。よく考えてから言え」

 シンティアは子どものように唇をとがらせていたが、「分かった」と頭に当てていた手を下ろした。

「それってエミリーが同意してて、そう望んでるなら問題ないってことだよね?」

 シンティアは挑発的にではなく、ただ純粋にイルケトリに問いかけた。イルケトリは虚をつかれたような顔をしたが、すぐに怒りを帯びた表情に戻る。

「今はあきらかに同意してないと思うが?」

「だから、今は何もしないってば」

 シンティアは不服そうに口を曲げると、エミリーに向き直った。柔らかく、淡く微笑む。

「というわけで今はだめみたいだけど、エミリーさえよければ俺はいつでも、どんなときでも大歓迎だから」

「え、や、あの、そういうのは、結構です」

 エミリーは思わず後ずさりしそうになった。なぜシンティアが隣に寝ていたのか、分かった気がした。このやかたには心から安心できる男性はいないのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る