4話 誰かのかわり(1)
妖精に頭を
耳元で時計のベルが聞こえて、エミリーはいつもどおり手探りでベルを
腕に何か当たって、理解をこえるものが視界に入ってきた。
まったく知らない青年が、眠っていた。
どれくらい頭が止まっていたのか分からない。けれどじわじわと恐怖が体に染みこんでいく。
エミリーは血の気が引いた。固まる体を無理やり動かして、起こさないように、物音を立てないようにベッドを下りてドアへ向かう。自分の鼓動が聞こえるくらい慎重にドアを開けると、廊下へ身を滑らせて、ゆっくりとドアを閉めた。
エミリーは隣のイルケトリの部屋へ駆けると、必死でノックした。けれど、反応がない。もう一度ノックするが、出てこない。エミリーは自分の部屋のドアに目をやって、階段へ駆けた。
(何で来てほしくないときに来て肝心なときにいないの!)
寝ているのか本当にいないのか知らないが、一階の作業場になら誰かいるかもしれない。エミリーは息を切らして、作業場へ飛びこんだ。
レースのカーテンが淡い光をにじませる作業場には、トルソを挟んで向かい合ったマリアンヌと、イルケトリがいた。驚いたようにこちらを見ているふたりと目が合って、思わず崩れ落ちそうになる。
「ちょっとあなた何て格好してるの!」
マリアンヌの悲鳴に、落ちそうになっていたひざが伸びた。マリアンヌは羞恥に震えた顔をして、慌てたように棚からたたまれた布を取ってくると、エミリーに巻きつけた。
そういえば忘れていたが、ナイトドレス姿なのだった。それどころではなかったし、イルケトリには昨夜見られているから感覚が薄れていた。
「あ、ご、ごめんなさい。ってでもそれどころじゃなくて!」
エミリーは部屋の奥にいるイルケトリに視線を移す。イルケトリは不可解そうな顔でエミリーのほうを見ていた。
「へ、部屋に知らない男の人が寝てた……」
先ほどの衝撃が
イルケトリはさらに不可解そうな顔を強めて中空に視線を投げると、考えるように動きを止めてから、額に手を当てて力ない声とともに顔を伏せた。何か心当たりがあるのかとエミリーが恐怖と戸惑いのはざまをさまよっていると、背後のドアが開く音がした。思わず体が跳ねてしまい、振り返る。
妖精がいた。
白に近い金色の髪は、重さを感じさせない勢いであらゆる方向へ広がっている。もともとだろう緩いカールと寝ぐせとで春の綿ぼうしのようだ。半分しか開いていない目は夜になり始めた空のような青だ。
そして、とにかく線が細い。折ったシャツの袖から見える手首も、ボタンのあいた首元も、青年とは思えないほど、細い。服を着ていても
今さっき、エミリーの隣に寝ていた青年である。
青年は緩やかにあくびをすると、マリアンヌを見て、隣のエミリーを見て、柔らかく
「おはよう」
本当に絵画の妖精のような微笑みだったが、エミリーは思わずマリアンヌの肩にすがりついていた。
靴音を響かせてイルケトリが足早に歩んでくる。
「お前、俺の部屋にカムフラージュして行ったな?」
青年は眠気を含んだ目でイルケトリを見上げる。
「でも何もしてないよ? するなって言われてたし」
「そもそも部屋に行くな!」
「ええ……だってイルキと寝るのなんて嫌だし。女の子になってくれたら考えるけど」
「奇遇だな。俺もお前と寝たいと思ったことなんて一度もない」
エミリーが頭の中に疑問符をつめこみながら応酬を眺めていると、マリアンヌの肩に手を置いたままだったことに気付いた。
「あ、ご、ごめんなさい」
手を離すと、マリアンヌが見上げてくる。
「いいえ」
そしてすねているような、怒っているのを押しこめたような表情で、顔をそらされる。マリアンヌとは話す機会がないので、関係が進展していない。
イルケトリはようやく気付いたように、
「ああ、説明が遅れた。こいつは今まで遠出してたお前の部屋のぬしだ」
「はじめまして。シンティア・ブルームです。営業だからあんまりここにいないんだ。よろしく、エミリー」
シンティアが森の中に人知れず咲く花のように、淡く微笑む。あんな出会い方をしていなければ、無垢な妖精にしか見えなかったのだが。
「あれ、名前……」
名乗ろうとして、エミリーはすでに呼ばれていたことに気付く。
「イルキから聞いてる」
イルケトリはうんざりした様子でシンティアの肩から手を離す。
「部屋を貸してるって手紙は出してたんだが。昨夜こいつが帰ってきて、とりあえず俺の部屋に寝かせて、今朝出てくるときはちゃんと寝てるなと思ったんだが」
「昨夜イルキが寝たあとにソファーにカムフラージュして自分の部屋に戻ったよ」
「堂々と言うな! 少しは悪びれろ!」
変わらず眠そうにしているシンティアに、珍しくイルケトリが声を荒らげてつっこんでいる。昨夜ということはシンティアが帰ってきたのはイルケトリがエミリーの部屋を訪れたあとだろう。
それにしてもいくら自分の部屋とはいえ、知らない女性の隣で眠るとは、一体何を考えているのだろう。まさか本当に妖精で、人間の常識が通じないのだろうか。そうであってほしいとエミリーの思考は逃避した。
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