2話 ミス・ドレス・メイド(3)

 柔らかい光が目の前に広がる。部屋の奥にある窓にはレースのカーテンがかけられ、差しこむ朝日を浮かび上がらせている。

 壁沿いの棚には丸太のように巻かれた布や糸が色とりどりに並んでいて、ところどころに裸のトルソ、作りかけのドレスをまとったトルソが立っている。部屋の真ん中には大きなテーブルが二台置かれ、ペンや定規、布やハサミや針山で埋め尽くされていた。

 そこに、少女、男性、少女が、座ってエミリーのほうを見つめている。

「おはよう。イルキ」

 一番手前に座っていた少女が立ち上がって、歩んでくる。

(わあああ、お人形さんみたい!)

 エミリーは変な興奮が態度に出ないように抑えながら、少女を見つめた。

 きちんと結い上げられた茶色い髪に、意志の強そうな若草色の瞳。顔立ちはまだ幼く、十二、三歳くらいだろうか。首元には白いレース編みの、滴型のビーズがきらめくチョーカー。ドレスは身頃に生成の切り替えがある水色で、スカートが優美なドレープを描いている。

 まさに、幼いころ遊んだ人形のような、愛らしい少女だった。

「彼女が昨日言っていた人?」

 少女がエミリーを見て、隣のイルケトリを見上げる。しゃべり方が見た目よりつんとして大人びている。

「そうだ。おはよう、マリアンヌ」

 イルケトリが微笑ほほえむと、マリアンヌと呼ばれた少女は気恥ずかしそうに目線を外した。何となく、エミリーの中に「あ、この子はイルキのことが好きなんだろうな」と直感が走る。

 マリアンヌがエミリーに視線を移して、見上げてくる。どこか値踏みされるような、手放しで歓迎されているわけではないような目だった。もしかしてイルケトリの恋人か何かと間違えられているのだろうか。

「ハニール、ヒフミ、おはよう。昨日話した新しい従業員を紹介する」

 イルケトリがよく通る声をテーブルのほうへ向けると、男性と少女がイルケトリに注目する。マリアンヌも元いた席へ戻って座り直す。

 エミリーは自分の鼓動を聞きながら、姿勢を正した。

「今日からメイドとして働くエミリーだ」

「エミリー・ローズドメイです。よろしくお願いします……って」

 スカートをつまんで、ひざを折ってお辞儀をしたところで、エミリーは勢いよく隣のイルケトリを仰いだ。

 何か、思っているのとまったく違う単語が聞こえた気がしたのだが。

「今、何て?」

「お前の名前を言っただけだが」

「違う! もう一回」

「今日からメイドとして働くエミリーだ」

 エミリーは呆然ぼうぜんとした。聞き間違いではなかったのだ。

「メイド、だったの? 装縫師だと思ってたんだけど」

 装縫師として勧誘されたのだから、装縫師見習いとして雇われるのだと思っていたのだ。

 イルケトリはけげんそうに首をかしげる。

「装縫師にはなりたくないんじゃなかったのか?」

 たしかにそうだ。それなら、イルケトリは本当に惑いの真紅を調べるためだけにエミリーをかくまったのだ。装縫師にならなくて済むならありがたい。けれど、大きな問題に気付く。

「あの、メイドなのは分かったんだけど……あたし、火がほとんど使えないの。火事のせいで……怖くて」

 言いづらかったが、隠しておくわけにもいかない。居候先で料理はしていたが、すべて火を使わないものだ。

 火事から五年もたつというのに、今も火を見ると足がすくむ。炎の赤が目の前いっぱいに広がる。大きな火には近付くこともできないし、見つめることもできない。ろうそくや赤くなった石炭、ガラスに覆われたランプなど、小さい火なら扱えるようになった程度だ。

 イルケトリも思い当たったのか、吐息のような声をもらす。

「ちょっとイルキ。火の使えないメイドを連れてくるなんてどういうこと?」

 鋭い声が空気を裂いた。エミリーは振り向く。

 短く整えられた赤毛。強い灰色の目は物言いたげにイルケトリを睨んでいる。白いたっぷりとしたタイにキャメルの上着を着た男性は、昔の青年貴族を彷彿ほうふつとさせた。見た目は男性なのに、言葉遣いは女性のようだ。心なしか声も高い。二十代くらいだろうか。

 イルケトリは男性に視線をやる。

「俺の確認不足だ。ただメイドがほしかったのは事実だから、火を使わないことはやってもらう」

 まったく悪びれずあっさりとしたイルケトリに、男性は眉をひそめる。

「なあに? 欠陥メイドでも雇うなんて、まさか恋人なの?」

「違います!」

 エミリーは反射的に叫んでいた。イルケトリがあきれたように深く息を吐き出す。

「安心しろ。恋人ならもっと色気のある女を選ぶ。ここで雇わなかったらこいつが路頭に迷って俺が恨まれる」

「ちょっと何さりげなく失礼なこと言ってるの? 頼まれても別にあなたの恋人になんかならないから!」

 たしかにエミリーは色気がないのは自覚しているし、イルケトリのほうがよっぽど色気があるが。

「イルキ、時間が押しているわ。とりあえずまとめてほしいのだけれど」

 マリアンヌが頭痛をこらえるように額に手を当てる。

「とにかく」

 イルケトリは仕切り直すように声を張った。

「今日からエミリーをメイドとして雇う。前から順番に名前を言ってくれ」

 イルケトリの言葉を受けて、マリアンヌの瞳がエミリーのほうを向いた。

「マリアンヌ・ウィルエイムウッドです。よろしく」

「あ、エ、エミリー・ローズドメイです。よろしくお願いします……ウィルエイムウッドって」

「お察しのとおりウィルエイムウッド商会の娘よ」

 見た目の幼さに反して、マリアンヌは淡々と答える。ウィルエイムウッドといえばナパージ国で指折りの大商会だ。働く必要などない身分のはずだが、大商会の娘が縫い手として働くこの店は、一体何なのだろう。

 奇妙な間があく。次はあの男性の番だが、心底面倒そうな顔をして、あさってのほうを向いている。

「ハニール、一応名乗れ」

 イルケトリの声に、ハニールと呼ばれた男性が視線だけよこす。

「必要ないわ。一緒に仕事することなんてないんだし」

 イルケトリは特に表情も変えず、エミリーのほうを向く。

「ハニール・アルバーン。男だ」

「ちょっとイルキ。何悪意乗せてんのよ」

「自分で言わないからだ。むしろ言ってやったことに感謝しろ」

 イルケトリが挑発するように微笑む。オーナーにまで反抗的な従業員がいるこの店は、大丈夫なのだろうか。

 エミリーは一番奥に座っている少女に視線を移す。ずっと気になってはいたのだ。一言も発さず、置物のように表情を変えない、珍しい服装の少女が。

「わたしの名前は、ヒフミ・ツヅラ、です」

 初めて聞いた少女の言葉は、たどたどしく、発音とイントネーションが母国語のものではない。やはり外国人だったようだ。

 目の上と首元でまっすぐ切りそろえられた漆黒の髪に、小動物のようなこげ茶色の瞳、赤みのない白い肌。服は薄ピンク色の布を胸の前で交差させ、幅の広い薄緑の布を胸下に巻いている。袖の下が妙に長く、広がった裾とつながるように、小さな花と葉の模様が散りばめられていた。

 外国人の顔立ちなのでよく分からないが、エミリーより少し年下だろうか。エミリーも名乗ってあいさつを添える。

「ヒフミは移民だ。今まで家事をやってたのはヒフミだから、分からないことがあったら聞くといい」

 エミリーは頷いてはみたものの、不安でイルケトリを仰いだまま目をそらせない。

 やったことのないメイドの仕事に、大人びた大商会の娘、敵意しか感じない女言葉の男性、たどたどしい移民の少女。

「どうした?」

 イルケトリが不思議そうな顔で見つめてくる。

「いや、頑張り、ます」

 エミリーはかろうじて言葉にした。

 今はまだ、うまくいく未来がまったく見えていなくても。

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