2話 ミス・ドレス・メイド(1)
ひんやりとした、どこか背筋が伸びるような空気のなか、薄水色の空を背景に赤レンガの
まわりは木々と高い鉄柵に囲まれており、入口の門から中庭と館の玄関が見えた。
「行くぞ」
エミリーは意識を引き戻されて、振り返る。
木々の幹を背にして、イルケトリが立っていた。
今日の服装は白い高襟のシャツに、深い青色のネクタイ。グレーに濃いグレーの細かいストライプが入ったウエストコートに、ネイビーブルーのズボン、
ウエストコートのポケットからボタンホールへ懐中時計飾りの金の鎖が伸びている。ネクタイには金の小さなブローチ。カフリンクスも、ミルクティー色の髪からのぞく
宝石より金が好きなのだろうか。華やかな雰囲気によく映えている。
「ごめんなさい。思ってたより大きかったから」
エミリーは慌ててイルケトリの足元にあるトランクのほうへ駆け戻った。
昨日約束したとおり、エミリーはミス・ドレスで働くために今朝アージュハークからイルケトリとともに馬車に乗った。段々、山中の道なき道に入っていく馬車に不安を覚えつつも、一時間半ほどでたどりついたのがこの館だ。当然あたりには木しかなく、ほかの建物は見当たらない。
食材はどうやって調達しているのだろうとか、夜は怖そうだなと考えながら荷物を下ろしたあと、館に見入っていたのだ。
イルケトリが土の地面に置いてあったトランク三つを両手で持ち上げて、エミリーは面食らった。
「持たなくていいから! 自分で持つから!」
かなり大きなトランクは、先ほど馬車から下ろしたエミリーの荷物だ。これでも厳選したほうなのだが、アージュハークの馬車乗り場で「何でこんなに荷物が多い?」というイルケトリの無言の視線を感じた。
ほとんどがシャーメリーの服だが、裁縫箱、初めて作ったウサギのマスコットなども入っている。持ってこられなかったぶんはポーラの厚意で、居候先に置いたままでいいということになった。
とにかくこれ以上借りを作りたくない。これ以上増えたら何を要求されるか分からない。
エミリーは駆け戻って、イルケトリの手からトランクを取ろうとした。けれど鮮やかにかわされて、顔を傾けて目を合わせるようにのぞきこまれる。
「あいにく女性に荷物を持たせて手ぶらでいいっていう教育は受けてなくてな……なあ、エミリー?」
花の香りが流れてくる。本当に、最後は恋人に向けるほどの秘め事めいたささやきで、エミリーは思考が吹き飛びそうになった。
けれどいいかげんやられっぱなしでは気が済まない。体が情けないほど熱くなっているのを感じながら、必死でイルケトリと目を合わせる。
「あのね、いちいちからかわないで!」
イルケトリが吹き出すのをこらえたように顔をそらす。
「そうだな。遊んでないで行くぞ」
「遊んでるのはそっちでしょ!」
イルケトリが吹き出して、エミリーはイルケトリを
イルケトリがトランクを持って鉄柵の門のほうへ歩き出す。エミリーも口を曲げたまま横に並んだ。
しかし、からかってはくるが、やっていることは紳士的なのだ。
「その……あ、ありがとう。持ってくれて」
悔しいが言っておくべきだと思った。気恥ずかしくて視線がさまよってしまう。
イルケトリが小さく笑ったのが聞こえて、目線を上げる。
「いつもそのくらいしおらしかったら
「余計なお世話です!」
エミリーは顔をそむけた。
イルケトリが鉄柵の門の鍵を外すと、中庭へ促される。玄関まで石畳の道が続いており、両側は柔らかな芝生だ。
歩いていくと、玄関の両脇に花壇があって、主にハーブが葉を伸ばしていた。薄紫の花をつけたローズマリー、カモミールローマン、ラベンダー、レモンバーム、イチゴ。どこからか甘い香りが漂ってきて見回すと、花壇の向こうに背の低い木があって、
玄関まで歩むと、イルケトリが重そうなこげ茶のドアを開く。エミリーが身構えつつ床板を踏むと、視界が開けた。
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