1話 運命の王子様(6)

「お前、『惑いの真紅』を知ってるか?」

 エミリーは首を横に振る。状況に、理解が追いついていない。イルケトリがなぜ突然入ってきたのか、何をしようとしているのか、何を聞かれているのか、分からない。

「惑いの真紅はある布の通称だ。百年くらい前に織られたアンティークで、かなり強い魔力を持ってる。名前のとおり真紅の絹で、人が惑うほど美しいからそう呼ばれるようになった。装縫師にとって、惑いの真紅の作品に関われるのはとても名誉なことだ。それくらい手に入らない。それで、五年前、惑いの真紅の盗難事件があった」

 エミリーの胸の中に、嫌な感覚が広がる。

「俺はそのことについて知りたい。何でもいい、本当に何でもいいから、知ってることを教えてくれ」

 イルケトリの表情は必死で、切迫していた。逃れるように、エミリーは体を引く。

「疑ってるの? あたし、を」

「違う。犯人はもう逮捕されてる」

「じゃあどうして? あたしは何も知らない!」

 イルケトリは気付いたように緊迫した気配を緩めて、痛いところをつかれたといわんばかりに顔をそらした。

 訳が分からないまま逮捕されて、助けてくれるかもしれないと希望をいだいてしまった相手に、身に覚えのない罪まで着せられようとしている。

 もう、何も信じられるものが、ない。

「お嬢さん。ご両親は火事で亡くなられたんでしたよね? 十二歳でしたか」

 警察官の声に、エミリーは体をこわばらせた。思い出して、頭から血が引いていきそうになるのを、息を吐き出して抑える。

「そう、ですけど」

 エミリーが十二歳のとき、火事で家は焼け落ちた。エミリーだけが助かったのだ。

 振り向くと、警察官は距離を置いて壁際に立っていた。

「惑いの真紅が盗まれたのは五年前。あなたは今十七歳で、五年前といえば火事があった十二歳ですよね」

「そうですけど、それと火事と何の関係があるんですか」

「惑いの真紅の魔力は、炎だ」

 警察官のものではないつぶやきに、エミリーは隣を仰いだ。イルケトリは都合の悪そうな顔をして、目を合わせない。

 ずっと、赤いリボンが魔飾だと言われたときから、宿る魔法が何なのか、疑問に思っていた。

 まさか、よりによって、炎、なのか。

「我々も布の出所を調べないといけませんのでね、その一致は無視できないんですよ。形見ということでしたけど、もしかしたらお母さまが関わっているかもしれませんしね」

 警察官の目は、口調とは正反対に一切の容赦がない。

「そんな、勝手なこと言わないでください! あたしはそんな布も、魔飾も何も知らないんです!」

「そうですか。ではあなたが知らないうちに魔力を暴走させて、火事を起こしてしまった」

 考えて、理解したとき、エミリーの目の前は赤に染まった。

 痛くて、怖くて、苦しかった。炎はどこまでも暴力的だった。本当に、終わりを感じた。赤い、と思った。

 エミリーは急に息ができなくなった。吐き出そうと思ってもうまく吐けず、鼓動が一気に増して、テーブルにつっぷした。

 イルケトリが何か叫んだのが聞こえた。背中と手に触れられた感触があって、手錠の鎖が小さく音を立てる。

「吸うな、吐け。落ち着け」

 息を吐こうとした。目の前が極彩色の光の欠片かけらに埋め尽くされていき、急激に吐き気がこみ上げてくる。

 リボンが本当に魔飾なら。魔力を暴走させてしまったのなら。

 両親を殺したのは、エミリーだ。

「お前じゃない」

 耳元で、イルケトリの強い声が響いた。

「もし火傷やけどしたなら自分の魔飾じゃない。大丈夫だ」

 染みこむように、胸から息が抜けていく。目の前から極彩色の光がなくなっていって、吐き気がおさまっていく。体が冷たく、汗が吹き出していたのだと知った。

 ゆっくりと息をつきながら顔を上げると、背中と手に置かれていたイルケトリの手が離れていく。

(助けて、くれた)

 見上げたイルケトリは、本当に張りつめた表情をしていた。

 イルケトリが警察官のほうへ振り向く。

 そして、焼きつくように、鮮烈に、微笑みを浮かべた。

「やっと思い出しました。彼女はわたしのメゾンの装縫師見習いでした」

 沈黙がすぎて、エミリーは思考が止まっていたことを知る。

「いきなり何をおっしゃっているのか分かりませんが」

 警察官が感情の波を押し隠したような平坦な声を出す。

「言葉どおりです。彼女はわたしの店で雇っている装縫師見習いです。見習いなら魔飾を持っていても問題ない」

「いくらあなたでも、そんな主張が通るとお思いですか?」

 すごみを増していく警察官に対して、イルケトリはこれ以上ないほど、優雅に微笑んだ。

「ええ。もちろん。何なら証拠を見せましょう」

 イルケトリはウエストコートから黒い革のケースを出して、カードを引き抜いた。警察官に示されたそれが、エミリーにも横から見えた。

 黒で描かれた、社名の頭文字をアレンジしたロゴマーク。それは誰もが知る注文服屋『ラッチェンス』のものだった。

 そこで、エミリーの中にわずかな推測がつながる。ラッチェンスは魔飾の生産も行う大手メゾンだ。国の上層部は魔飾の大部分を生産するラッチェンスと癒着しており、その下である警察も逆らえないのだ。あのカードは社員証なのか。

 つまり、イルケトリが行っているのは、体のいい脅しだ。

「では釈放の準備をお願いします」

 カードをしまうイルケトリに、警察官が冷ややかな視線を向ける。

「そんなものいくらでも偽造できるでしょう」

「そうですね。では今すぐラッチェンスへ確認してもらえれば分かることだ」

 警察官の目がいまいましそうに細くなる。

「たとえそれが本物だったとしても、惑いの真紅の罪人を野放しにするなんて許されるとお思いですか?」

 革のケースを折りたたむ音がよく通った。イルケトリの強い微笑みの中に、たしかに苛立いらだちのような感情が混じっているのが見てとれた。

「言いがかりで婦人の具合を悪くさせて言質を取ろうというやり方のほうが許されないと思いますが」

 警察官は表情を変えずイルケトリをにらみつけていたが、何も言わなかった。エミリーは呆然とイルケトリを見上げる。

 なぜだろう。最初に助けてほしいと願ったとき、イルケトリは知らないふりをした。密告したからだと思った。うそだと、否定してほしかったけれど、それ以外に考えられなかった。

 それなのに、助けてくれた。分からない。感謝と戸惑いがないまぜになる。

 イルケトリと警察官は部屋を出ていき、エミリーは若い警察官と部屋に残された。

 そうして、ほどなくエミリーはリボンとともに警察署から解放された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る