1話 運命の王子様(1)

 エミリーは腰に手を当てて、店内を見渡した。

「よし、値札付け終わり」

 こぢんまりとした店内は少し首を動かすだけですべて見通せてしまう。

 ミントグリーンの壁紙に、白い床板。白い棚には、ふかふかしたウサギのぬいぐるみや、イチゴ柄のティーセット、リボンの形をした金色のネックレス、帽子箱が所狭しと並んでいる。天井からはいくつものシャンデリアが下がり、ドアのガラスから差しこむ陽の光をきらびやかにはね返していた。

 エミリーは息をついて、カウンターへ歩む。けれど衝撃的な事実に気付いてしまい、崩れ落ちるようにカウンターにつっぷした。

(また言っちゃった独り言!)

 今、店内にはエミリーしかいない。年を取ると独り言が増えるというが、一応まだうら若き十七歳なので、何とか直さなければと思っていた矢先だった。

 ここは首都にほど近い街、アージュハークにある雑貨屋マスカルである。エミリーは勤めて二年ほどになる売り子だ。田舎いなかから飛び出してきて、人の縁をたどってたどりついたマスカルに、頼みこんで雇ってもらった。今は母ほど年の離れたオーナー、ポーラの家に居候させてもらいながら働いている。

(次から。次から気を付けよう)

 エミリーが前向きに立ち直り顔を上げると、ベルの涼やかな音とともにドアが開いた。

「いらっしゃいませ……あ、おはようございます」

 昼ののどかな陽光をまとって、少女が入ってくる。少女は黒くまっすぐな髪をなびかせて、「おはようございます」と笑顔を咲かせた。

 ラナ・イーリー。マスカルのもうひとりの売り子である。

 突然、ラナが思い出したように大声を上げて、エミリーは飛び上がった。尋ねるより先にカウンター越しにつめ寄られる。

「これ、このあいだ言ってたお洋服ですよね? 買えたんだね!」

「そうなの!」

 エミリーも思わず叫んでいた。カウンターから出て、ラナの前でドレスのスカートをつまんでみせる。

「四時間前に並んだんだけど、意外とあっさり買えちゃって、もうちょっと遅くてもよかったと思ったけど買えたからもういい!」

 今日のエミリーのドレスは生成きなりのコーデュロイで、裾一周にイチゴの刺しゅうが入ったものだった。

 浅く開いた胸元はリボンの通ったレースにふちどられ、身頃にはピンタックが、手首が見える丈の袖口も小さなレースで飾られている。足首までのスカートには白い花と緑のツタ、赤いイチゴが刺しゅうされていた。種はガラスビーズで表現されていて、角度によって水滴のようにきらめく。

 くるりとその場で一周回ってみせれば、後ろで結んだ大きなリボンの端と、ペチコートを重ねて広げたスカートが綺麗きれいに円を描いた。

 イチゴの赤に合わせて、靴は足首に革のリボンを結ぶ赤い革靴、髪にはお気に入りの赤いリボンのコームを刺した。

可愛かわいいです! よかったね」

 ラナが自分のことのように声を弾ませる。ラナはエミリーよりふたつ年下で、入ったのも同じくらいの時期なので、妹のような親しみやすさがあった。

「可愛いよね! 本当可愛いよね!」

「ええ。さすがシャーメリーです」

 ラナは力強く頷いて拳を握った。

 シャーメリーとは首都コムセナに店を構える婦人服屋である。エミリーもラナも、シャーメリーの大ファンなのだ。

 コンセプトは『少女と婦人のはざま』で、レース、リボン、ピンタック、刺しゅうやプリントをこれでもかと使った、思わず『可愛い!』と叫びたくなるようなドレスと小物を作っている。エミリーのように新作を買うために開店前から並ぶファンも少なくない。

 ラナが今日着ているグレーのドレスもシャーメリーのものだ。四角く開いた身頃にはパールとグレーの小さなリボンが散りばめられていて、ふくらんだ長袖には袖口にグレーのレースがついている。広がった足元までのスカートには大小の白いパールが泡のように、裾に向かって縫いつけられていた。

 ただし、値段だけは庶民の既製服なのに、可愛くない。

 イチゴ刺しゅうのドレスの可愛さを語らずにはいられないエミリーに、ラナが小さく笑い声をもらす。

「ドレスも可愛いですけど、エミリーさんは毎日ちゃんと髪を巻いて、小物から靴まで完璧ですごいです」

「え、あ、ありがとう、ラ、ラナも可愛いよ!」

 不意打ちだったのでどぎまぎしてしまった。ラナはなおも微笑ほほえんできて、何だか恥ずかしい。

 ほめられるのはうれしいけれど、エミリーの中では完璧には程遠い。

 髪は毎日巻いているが、まっすぐすぎてこてだとすぐに取れてしまうので、前の晩に棒を巻いて寝ている。なので巻き髪がよかった。髪の色も蜂蜜色ではなくてもっと薄い金がよかったし、もう少し背が高ければよかったし、もっと言うなら人形のような美人に生まれたかった。好きなのは快晴の空のような瞳の色くらいだ。

 けれど突然美人にはなれないし背ももう伸びないので、今できる精いっぱいの努力でシャーメリーの服を着る。

 すべてはシャーメリーの可愛い服に自分が釣り合いたいという一心からだ。可愛い服を着ているのだから、少しでも服に似合う自分になりたい。

 そういう努力を含めて、可愛い服を着ることが楽しくて大好きで、心が躍った。

「それとかどうやってるんですか? 髪形。わたし、三つ編みしかできないです」

 ラナが髪をいろいろな角度からのぞきこんでくる。

 今日のエミリーの髪形は両耳の上から細い三つ編みを作って、それぞれ羊の角のように巻いたものだった。残った髪は腰まで届いている。最近お気に入りの髪形だ。

「これ三つ編みだからできるかもよ」と説明しかけたところで、ドアベルが涼やかな音を立て、若い女性客が店内へ入ってきた。

 ラナが慌ててカウンター奥の部屋に走っていく。そういえば出勤してからまだ荷物を置いてきていなかったのだと気付いて、エミリーは小さく笑った。

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