「五月にならないと会えないのか?」

「……あれ、先輩。食欲ないんですか?」


 タンとカルビとロースを、ほぼ一人で食べきった佐伯さんがようやく僕の方を向いた。


「そんな事はないが。君はよく食べるね」


 苦笑いで答えるが佐伯さんは澄まし顔で、


「仕事終わりは腹ペコポンですからねー。それにしても、久しぶりにお肉と先輩に会えて佐伯は嬉しいです」


 などと言って悪戯っぽく笑う。僕は肉と同列かい。


「どちらにせよ、元気そうでよかった。丸川のことで落ち込んでいるかと思っていたからな」


「うーん。多少は落ち込みましたけど……。でも、いい夢を見せてもらいましたからね。俄然やる気が湧いてきましたよ。次はスメラギ文学賞に向けてって感じで書いてます。あとネット小説の方でもコンテストに応募しようかなって思ってますけど就活が始まりますからねー。今年はそんなに書けないかもしれません。うーん、困った困った」


 そうか、佐伯さんは四月から四年生になるわけで、就職活動が生活のメインになってくるのか。大変だな。


「就活かぁ。佐伯さんはどんな会社に就職したいとかは考えているのか」


 聞いてみたが佐伯さんは顔をしかめて唸るばかり。


「うーん。実際あんまり考えてないんですよね。なんたって夢は小説家ですから」


 結局は、昔から変わらぬ事を言って、えっへん、と胸を張る佐伯さん。


「高校生の時から言ってるものな。やっぱり専業作家か?」


「専業作家には憧れますけど。仕事はしておいたほうがいいと思ってます。社会を知らないと小説の世界も狭くなっちゃいそうで。だからといってココに入りたいって企業があるわけでもないんですけどね。小説を書く時間は絶対に確保したいので、休みが少ないのは嫌ですが」


「なるほど」と偉そうに頷くボンクラフリーター。何か先輩らしく業界研究などのアドバイスでもできれば良いのだが、僕は学生時代に合同会社説明会で何千人というリクルートスーツの人間が一堂に介しているの目撃しただけで、吐き気を催して気後れした挙句、早々に就職活動を諦めたクチなので、インターンやらSPIやらという単語だけは知っているが、そこらへんの会話は苦手分野なのだ。


「……すまぬ。僕はまともに就職活動をしてないので参考になることは何も言えん」


 仕方がないので正直に白状する。佐伯さんは「別に気にしないでくださいよ」と慌てて手を振って笑った。


「それより、何か最近は楽しいこととかありましたか?」


 優しいんだ佐伯さんは。僕を気遣って話題を変えてくれる。……まてよ。危うく忘れるところだったけれど、そうだ、今が絶好のタイミングではないか。美樹本さんとの約束を思い出す。言わねば。ライリーコンのことを。自分の正体を。

 グッと身を乗り出す。が、佐伯さんの無邪気な顔を見ていると、なんか照れてしまって言葉が出てこない。だって、自ら中間選考を通過した事を明かすのは、ひけらかすみたいですごい小物っぽいし恥ずかしいではないか。だけど、ここで言わないとタイミング的に次があるかわからないし、チャンスを逃せば美樹本さんに意気地なし呼ばわりされてしまう。色々考えたけれど、ええい、言ってしまえ、と自棄気味に意を決して口を開いた。


「……えっと。あのだな、佐伯さん。実は君に隠していたことがあってな」


「隠してたこと……?」


 キョトンとする佐伯さん。


「もともと、そのことは近々伝えようと思っていたんだが、丸川の発表と被ってしまって、タイミングが悪かったから、言うべきか迷っていたのだ。でも、ちょっと色々あってな。やっぱり言う事にしたから、驚かないで聞いて欲しいのだが……」


 自分で言っておいて、その回りくどさに辟易とする。ダサい。ダサすぎる。こういうことってスマートに言えない。


「なんですか?」


 佐伯さんは箸を止めて僕を見つめる。見つめられると照れるからやめて欲しい。僕は照れ屋さんなのだ。でも言わねば。言うぞ。言うぞ!


「うむ。実はな……。ライリーってあるだろう。小説投稿サイトの。あそこで実は僕もアカウントを作って小説を書いていてだな」


 僕は緊張しつつも打ち明けた。今回のライリーコンテストを『浮雲DAYS』で中間選考通過したことを。


「ええ!! やっぱり!! 先輩が浮雲デイズの作者だったんですか!!」


 僕の言葉を聴き終えると佐伯さんは箸を叩きつけて立ち上がり、七輪の上にある排煙ダクトの銀盤に頭をぶつけた。

「はにゃぅ!!」奇妙な声をあげて、ぶつけたおでこを両手で抑えてうずくまる。


「さ、佐伯さん……? 大丈夫?」


 痛みにプルプル震えている佐伯さんに恐る恐る声をかける。


「うう、痛いです」


「勢いよくぶつけたな」


「うーっ」と涙目で唸りながら、ふらふら立ち上がった佐伯さんは席に座り直した。


「すみません。お騒がせしました……」


 おでこが赤くなってる佐伯さんの涙の溜まった上目遣い。うーん、めちゃくちゃ可愛い。


「いや、こちらこそ。驚かせてごめん……って、あれ。佐伯さん今なんて言った? やっぱりって言った?」


「はい。実は……。なんとなくそうじゃないかって思ってたんです」おでこをさすりながら佐伯さんは言う。


「な、なんで!?」今度は僕が声を荒げた。


「えっと。去年の年末に図書館で会いましたよね。あの時に先輩が集めていたのが気象関連、しかも雲の本が多かったので、もしかして小説の資料集めなのかなって思ったんです。先輩が気象予報士を目指してるようには見えなかったですし。それと、先輩と一緒にいたビギャンさんがこっそり教えてくれたんですよ。『彼も実は君に隠れて小説を書いているんだよ』って。『眼鏡ちゃんには何かしらの実績を作るまでは打ち明けないって息巻いているけど、いつになることやら……』とそんな風に言ってました」


 ビギャン、ってのはビガンゴさんが変身した姿だ。あのクソ象め。何を勝手に佐伯さんに余計なことを言っているんだよ!


「でも、公募に出しているのか、どこかの投稿サイトに載せているのかまでは教えてくれませんでした。だから、『浮雲DAYS』を読んだ時に、もしかして先輩が書いているのではないかと思ったんですけど、全然確証はなかったです。勝手に先輩が書いていたら素敵だなって妄想してただけなんです。すみませんでした」


 佐伯さんが本当に申し訳なさそうな顔で言うから、僕はビガンゴさんへの怒りは一旦わきにおいて笑顔を作った。


「佐伯さんが謝ることは何もないよ。僕が隠していたのだから僕が悪いんだしな。気にしないでくれ」


「でも、本当に素敵な物語でした! 私、感動して泣いちゃいましたもん」


「ほ、本当!?」


「はい。王道のストーリーってやっぱり読んでいて気持ちがいいです。最後のストレートな告白シーンも心がきゅうってなりました」


 佐伯さんはグーにした両手を胸の前に並べ肩を縮こませて、「胸キュンです」と言った。可愛い。華奢な肩を抱きしめたい。


「これで私も先輩におめでとうって言えますね!私、絶対に先輩は小説を書ける人だと思ってましたもん」


 佐伯さんの瞳からポロリと涙が溢れた。


「ちょ、なんで泣いているのだ。おでこ、そんなに痛かったのか? 大丈夫か」


 僕が心配すると、彼女はブルルンと首を横に振った。


「違いますよ。嬉しくて、なんかウルってきちゃったんです。先輩っ! 改めて、おめでとうございます!」


 そう言って泣き笑いのままペコっとお辞儀をする。なんていい子なんだろう。僕は感動してしまった。彼女自身は丸川の選考に落ちて傷心しているだろうに、他人のことでこんなに喜んでくれる。他人の喜びを自分のことのように喜べる人間なんてそうそういない。こんなにいい子は他にはいないぞ。


 これまでずっと、佐伯さんのことが好きだったけど、僕が佐伯さんに抱いていた想いは星を夢見る少年のような現実感のない淡い恋心だった。運命だなんだとうそぶいても、正面から自分の気持ちに向き合ってこなかった。でも、今、僕の目の前で嬉し泣きをする彼女を見て自分の中で何かが変わっていくのを感じた。彼女の美しい人間性に改めて触れて、その素晴らしさに強く惹かれたのだ。非モテオタクのくせに身の程をしれ、と言われてしまうかもしれないが、僕には佐伯さんしかいないし、佐伯さんしかいらない。佐伯さんが欲しいし、誰にも佐伯さんを渡したくない。そう強く思ったのだ。


 ……キモいと思われるかな。確かにまったくもって紳士的でもないし、独りよがりの感情であることは重々承知しているのだが、思っちゃったんだから仕方ないじゃないか。


 僕の小さな淡い恋のともしびは、彼女の優しい真心に触れた瞬間に激しい炎に変わったのだ。こんな気持ちになったのは始めてだ。

 もしかしたら、これが本当の恋の炎なのか!? こんな冴えないボンクラフリーターのくせに、乙女のように恋の炎に身を焦がすのか!?


 自分の中で燃え上がる得体の知れない熱量を感じるとともに、急に漠然とした不安が襲ってきた。考えてもみろ。こんなに素敵な女の子に男が寄ってこないわけがない。むしろ、現在進行形で言い寄っている男がいるかもしれない。佐伯さんは優しい子だから、告白されたら無下に断ったりできないかもしれない。女の子は好きな相手じゃなくても男らしく告白されたら雰囲気に流されて付き合う場合もある、と以前恋愛指南本で読んだことがあるし、そうなるとまずい。それはまずい。何処の馬の骨とも知れぬ男にこの素敵で可憐で可愛い佐伯さんを取られてたまるものか。佐伯さんの可愛さを、美しさを、優しさをちゃんとわかっているのは僕だ。僕だけだ。僕だけなのだ!


「……ぱい? 先輩?」


 佐伯さんの声にハッとする。


「最終選考の発表っていつでしたっけ?」


 目の前には嬉しそうな顔で僕を見ている佐伯さん。ほんの数秒で目まぐるしく思考が巡っていた。


「えっと。五月に発表だったはずだ。でも、評価の数も中間選考を抜けた中では下位だし、期待はしていないけどな」


「五月ですね。じゃあ、五月に結果が出たらまた焼肉に来ましょうよ! お祝いになるのか、残念会になるのかはわかりませんけど」


 冗談っぽく佐伯さんは言う。


「五月にならないと会えないのか?」


 お茶目に笑っていた佐伯さんに、僕は自分で驚くほど真面目なテンションで返していた。


「え?」佐伯さんは突然のマジなトーンに目を丸くした。


「僕はもっと佐伯さんと会いたいし、話したいんだ」


 自分でもびっくりするくらいのストレートなセリフだった。どうしたんだ僕は。急にこんなセリフを吐いてしまった。今までの僕とは思えない突然の発言に自分でも戸惑う。これが恋の力なのか。ラブパワーなのか。身体の内側から湧き上がる気持ちが勝手に溢れてしまったみたいだった。


「先輩、それって……」


 佐伯さんが驚きと戸惑いの入り混じった顔で僕を見る。


「ど、どういう意味ですか……?」


 佐伯さんが恥ずかしそうに身を縮こませて聞いてくる。

 見つめ合ったまま、永遠ともいえる数秒の沈黙が流れた。

 僕は、唾を飲み込み、そして……。


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