「先輩は、優しいっすけど、何が本当の優しさなのかは考えたほうがいいっすよ」
『夜分に失礼します。丸川の最終選考の結果が出ました。結果は、、、ダメでした! 落選でした! 期待に答えられずごめんなさい。笑ってください! もし良ければ今度ヤケ酒に付き合ってください!』
佐伯さんから届いたのは悔し泣きをする画像スタンプを添えてのメッセージだった。スマホの画面を見つけたまま僕の表情は固まった。嘘だ。佐伯さんが落選だって……?
「……先輩? 風香さんはなんですって?」
美樹本さんの声でハッとして僕は強張っていた顔を無理やりに緩めた。
「丸川の最終選考の結果が出たみたいだ」
「え!? どうだったんすか!?」声を跳ね上げる美樹本さんに結果を告げる。
「そうっすか……、落選っすか……」
期待していた美樹本さんの声がしぼんでいく。
「いい話だったんだけどなぁ……。ダメだったか」
まるで自分の作品が落選したみたいなブルーな気持ちになる。佐伯さんの作品は凄いんだ。僕の作品よりも数段上の筆力で描かれていたし、ストーリーだってキャラクターだって魅力的だった。物語の神様(自称だけど)のビガンゴさんのお墨付きもあったのに、それでも結果が確約されたわけではなかったんだ。レーベルや賞ごとに相性もあるし、流行に左右されることもだろうけれど、あんな面白い作品でも賞は取れないのか……。
「先輩? 返信はしないんですか?」
脱力しちゃって呆けていた僕に美樹本さんが声をかける。
「あ、ごめん。ちょっと僕も打ちひしがれちゃって。すごい面白い作品だったんだけどなぁ」
悔しさを言葉に滲ませる。
「先輩はその作品を読んだんすか?」
「ああ。佐伯さんは書いた小説をいつも僕に読ませるからね。どれも僕の小説もどきとは月とすっぽんってくらいしっかりした物語だし、今回も面白かった。でも、あのレベルの作品でも落選しちゃうのか……」
「ちょっとちょっと先輩が落ち込まないでくださいよ。ほら、でも逆に今がチャンスじゃありませんか。落ち込んでる風香さんに優しい言葉をかけられるのは先輩だけっすよ。ほら、元気出して焼き鳥でも食べて」
「かける言葉なんてないよ……」瞳を伏せ皿の焼き鳥を二、三個摘む。
「焼き鳥を食べる余裕はあるんすね……」美樹本さんが何か言ってる。
「でもさ。こんな状況だと僕が読者選考を通った事は言わない方がいいと思わないか?」
落選して落ち込んでいるっていうのに、空気も読まずにヘラヘラ笑って自分の状況を語ってくる奴がいたら嫌ではないか。
「それは関係ないんじゃないっすか? 先輩が頑張ってることを知ったら、風香さんも元気になると思いますよ。……てか、先輩、その文面をちゃんと最後まで読みました?」
「最後? やけ酒に付き合ってください、で文は締められているが」
バンッとテーブルを叩いて美樹本さんが声を荒げる。
「『いるが……』じゃないっすよ。誘われてるんすよ! すぐに行くべきっすよ!」
「今!? 違うだろ。日を改めてまた今度飲みに行きましょうという話だろ。もう時間も時間だし」
「もー、そんなんだから彼女の一人も作れないんすよ! 即行動っしょ、どう考えても!」
「ぼ、僕は傷心の女性の心の隙間に忍び込むような不逞の輩ではない」
「好きなら全力で突っ走ってください! 恋は時に狡猾にっすよ!」
「そんな肉食系男子みたいなことができるか」
「そんなモテないオタクみたいなこと言ってるからダメなんすよ。男は度胸っす。いま電話しちゃってください」
「どうせモテないオタクだよ! 度胸とかそういう話ではない。」
「わかりました。電話しないんなら店のみんなに先輩が恋愛小説を書いていることを言います。言いふらします」
「な、な、それはアレだぞ! ひ、卑怯だぞ美樹本さん!」
「なさけない男よりマシです。私は先輩のためを思って言ってるんすよ」
ぐぐ、どうして女性というのは口が達者なのであろうか。口では勝てぬ。そしてなんというお節介。なんでこんな状況になったのだ。僕をきっと睨みつける美樹本さんの謎の圧力に押され、タジタジとスマホを操作しアドレスから佐伯さんの番号を表示させる。
「電話したら、店の奴らには絶対に言わないのだな?」
「約束は守るっすよ」
「絶対だな」
「絶対って言ってるじゃないすか。はやくしてください」
「わ、わかったよ。急かさないでくれ」
怯えながら発信。 呼び出し音。一回。二回。出ない。……七回、八回、出ない。
「……ははは、出ないよ。切るよ?」
「出ます。出るまで待機っす」
「しつこい男だと思われないかな」
「意気地のない男よりマシっすよ。切ったらみんなに言いますから」
「うう、わかったよ……」
縮こまりながら電話に耳を当てる。ガチャリ、と電話を取る音がしたのは二十回ほど鳴った時だった。
「あ、佐伯さん? 夜分に失礼する。僕だ。その……メッセージを見て電話したのだが、えっと……あれだ丸川の件は、その、なんというか……残念だったな」
言葉がうまく出てこない。目の前の美樹本さんが耳をすましているのも居心地が悪いし、落ち込んでいるであろう佐伯さんにかける言葉というものも妥当なものが思い浮かばない。
返事を待つと、少し間を置いて「ふふっ」という笑いの漏れる声が聞こえた。
「……先輩、もしかして私を慰めるために電話してくれたんですか?」
佐伯さんの声は予想外に明るかった。
「ま、まあな。先輩としてな。後輩が落ち込んでいるのではないかと思ってな。はは、ははは。でも元気そうじゃないか」
佐伯さんが意外と元気そうだったので僕の緊張も解けて声も自然と明るくなる。
「でも結構落ち込みましたよー。うつくし草が生えてる崖の頂上付近で掴んだ岩が欠けて地上まで真っ逆さま、って感じですよ」
なんだかわからないことを言って笑っているが、やはりショックは受けているのかな。惜しかったものな。
「まあ、ともかく、うん。終わったことは忘れて次に向かって頑張るんだ。佐伯さんなら大丈夫だ。僕は信じているさ」
「ありがとうございます」
そんな会話をしていると、美樹本さんがピコピコと(音はしないけど)スマホに文字を打ち込んでこちらに見せてくる。
『雑談は早く切り上げて本題に入って!飲みに誘って!』
コツンコツンとスマホを指差しで指し示し、身振り手振りで急かして来る。他人事だと思ってこの娘はまったく。
「ごほん。それでさ。佐伯さん。まあ遅い時間ではあるが、ちょうど僕もバイトが終わったところで、よければ軽くお疲れ様会というかなんというか、飲みにでもいかないか」
早口で言って佐伯さんの返事を待つ。ちらりと時計を見る。二十一時半。紳士が年頃の女性を呼び出すには中途半端な時間である。数秒の沈黙。もしかして、終電過ぎるのを狙っているイヤラシイ男と思われたか? 違う。誤解だ! 僕はそんな気はなかったんだ。僕の背後に悪い巨乳の悪女がいて僕は操られているだけなんだ。
「いや、ごめん。もちろん時間が時間だから遠慮せず断ってくれていいのだが。ははは。そういえば佐伯さんは春休みだよな。そろそろ就活も始まるのだろう。次は四年生だもんな。ははは、企業研究などで忙しいかな」
誤解を恐れ、焦ってワタワタしていると佐伯さんが「先輩っ!」と予想もしない元気な声を出した。
「行きます!行きます! 佐伯も今バイト終わったところで」
「……え、マジ?」
「マジですけど。ダメですか?」
「あ、いや全然! では軽く飲みにでも行こうか、はっはっは。何時くらいに出てこれるか?」
「私も今から電車に乗るところだったんで、十分か十五分くらいでそっちにつきます。焼肉に行きましょう。お腹ペコペコなんです」
「また肉かよ。佐伯さんは本当に肉食だな。ま、いいけどさ」予想よりも佐伯さんがノリノリだったので安堵しつつ、聞き耳を立てている美樹本さんに親指を立てる。美樹本さんも僕と同じジェスチャーをして頷いた。
「じゃあ、いつもの焼肉屋にでも行こうか。駅で待っているよ」と待ち合わせをして電話を切った。
「最初はどうなることかと思いましたけど……よかったじゃないっすか。風香さん、どんな感じでした?」
「落ち込んでいるかと思ったが、思ったよりも元気そうだった。あまりショックは受けていないようだ。よかったよかった」
ホッとして肩の力が抜ける。ビールを飲もう。喉がカラカラになってしまったよ。
「何を言ってるんすか先輩。ホントに乙女心がわかってないっすね。空元気っすよ。落ち込んでるに決まってるじゃないっすか。先輩が電話してくれたから嬉しかったんすよ」
「ったく適当なこと言ってー。君は佐伯さんのことは知らないだろう。彼女は誰に対しても犬のように懐っこく、猫のようにわがままなのだ。きっとケロッとしているさ」
「先輩の観察眼はあまりアテになりそうもないっすけどね」
「美樹本さんも意外と失礼だな」
僕が言うと美樹本さんはうふふと笑った。
「じゃあそういうことで、今日はお開きにしましょ。先輩はどうぞ風香さんのところに行ってくださいな」
「でも、来たばっかりだし。そうだ。もし、よかったら美樹本さんも来ないか。佐伯さんとはSNSで相互フォローなんだろ。会ってみてもいいんじゃないか。きっと話も合うよ。なんなら、ここに呼ぼうか?」
紳士的な提案だろう。店に入ってから大して時間も経っていないのに、もう席を立つのが忍びないので、僕は気を利かせたのだ。なのに美樹本さんは大きなため息をついた。なんで?
「先輩は、優しいっすけど、何が本当の優しさなのかは考えたほうがいいっすよ」
「え、なんで僕が怒られてんの?」
「わからないから、童貞なんすよ」
「待て待てい。僕が童貞かどうかは知らないだろ」
「見てりゃわかりますよ! いいっすから。行ってください。私は店の誰か誘って飲み直しますから」
「本当にいいのか。今から誘って来る奴いるか?」
「ふふ。私、先輩より店のみんなと仲良いですからね。呼べばすぐ人は集まりますよ」
「ま、まあそれは否定できないが……」
「ってことで、行ってください。また、バイトでお会いしましょ。ちゃんと今日のこと教えてくださいね」
微笑みながらも寂しげな感じもするアンニュイな表情で美樹本さんが言うから、若干の後ろめたさも感じるけれど、言葉に甘えて五千円だけ置いて(ここポイント。そんなに食べてない。けど、先輩だからこういう時に紳士的に多めに払うのだ。……ってこういうことをわざわざ言うところがダメか?)僕は店を出た。
☆ ★
春めいてきた三月の夜空には綺麗なまんまるの満月が出ていた。駅までの道は約五分。繁華街の喧騒の中、ほてほてと歩いていく。ほろ酔い気分ではあるが、これから佐伯さんに自らの正体を明かすとなると緊張する。
佐伯さんのお家は隣駅で、ここから自転車でも十五分もかからずたどり着く距離なのだが駅の周辺が栄えておらず、おしゃれな飲み屋さんの一件もない。なので僕の最寄り駅の方へ来るのがお決まりになっていた。「なんでおしゃれじゃないのに、おしゃれな街で一人暮らしを始めたんだ?」と大学時代に友人にバカにされたが、おしゃれじゃないからこそ、この街がおしゃれかどうか気がつかなかったのだ。
そんなおしゃれな街のストリートを、おしゃれとも奇抜ともいえるファッションのカップルがラブな感じのホテルに吸い込まれていくのを横目に歩く。こんな時間に待ち合わせなんて今まではなかったが、終電を逃したらどうしようか。今のカップルの行った先がちらりと頭に浮かぶが、汚らわしい邪念は頬を叩いてかき消す。僕は紳士だ。酔った勢いでそういうことはしない。というか、終電を逃したとしても、佐伯さんの家は隣駅なのだから歩いて帰れない距離ではないし、それこそ紳士的に僕が自宅まで送って行けばいいのだ。いや、でも佐伯さんが頬を朱に染めて「帰りたくないんです……」なんて言ってきたらどうしようか。けしからん。まったくもってけしからん。けしからんけど、そこは包容力のある先輩として彼女を優しく抱きしめねばならないだろうな。……まずい、紳士的でない変な妄想をしてしまった。
美樹本さんは、女の子は好きでもない男と二人で飲みに行ったりしない。なんて期待を持たせるような発言をしていたけれど、実際には美樹本さんだって僕と二人で居酒屋に行ったわけだし、その説は信ぴょう性に欠ける。
佐伯さんだって、僕のことは嫌いではないだろうが『恋人候補』なのか、というと、そうでもなさそうだしなぁ。はぁ。ため息が出る。
佐伯さんは僕のことをどう思っているのか。
結局わからないのはそこだ。高校生の頃のように僕のことは仲の良い先輩としか認識していないのだろうか。それとも、多少は男として見てくれているのだろうか。わからん。皆目見当もつかん。ゲームみたいに好感度を可視化してくれると楽なのにな。せめて脈があるのかどうかだけでもわかれば無益な愛の特攻を仕掛けなくて済むのに。恋は人生最大のミステリーだ。
夜風に吹かれながら、思考はとどまることなくあっちへ行ったりこっちへ戻ったり。
ガールズバーのミニスカのお姉さん。ギターを背負った若者。カラオケの呼び込みをするバイトスタッフ。路上で占いの店を開くおばさん。いつもの光景を通り過ぎ改札前にたどり着くと、ちょうど電車が来たのか人の波が押し寄せて、その中から赤い眼鏡の佐伯さんがぴょこぴょこ頭を揺らして現れた。
「せーんぱい。どうも!」
人混みの中から両手を振って現れた小柄な佐伯さん、二ヶ月ぶりかな。あいも変わらず今日も可愛い。
「おう。元気そうじゃないか」
「そう見えます? これでも通常の半分くらいの元気ですよー」
いつものように、コロコロと笑う彼女であったが、言われてみれば確かにどことなく疲れた顔をしていた。
「その……。丸川の件は残念だったな」
「あ、違います。疲れたのはバイトだったからです。そんなしんみりしないでください」
「なんだ。バイトか。佐伯さんのバイトって塾の講師だっけ?」
「はい。相手は小学生なんで、大したことは教えてないですけどね」
きっと明るく元気な佐伯さんのことだから子供にも人気だったりするのだろう。こんな可愛らしい先生に教えてもらえるなんて生徒が羨ましい。まあ勉強なんてもうしたくないけど。
「それに丸川の事はもういいんです。最終選考までいったのが奇跡みたいなもんですから。それに新しい小説も書き始めてますし、書き終えたものよりも、新しく書いている作品の方が面白いって自分では思ってますから」
「ポジティヴだな」
「だって、人間って日々成長ですよ。完成しても、あとで読み返すと下手くそで書き直したくなる表現なんていくらでも出て来ますもん。過去の栄光にしがみついてはいけません。常に未来を目指していかねば!」
ググッと小さい拳を握りしめて佐伯さんは言った。
「ささ、こんなところで立ち話も冷えるだけですから。焼肉に参りましょう! 疲れた時は肉と酒! これですよ先輩!」
僕だったら落ち込んで当分は小説なんて書きたくないと思うかもしれないのに。次を見据えて瞳を輝かせる佐伯さんはすごい。こういう所は見習わなければならないな。
「先輩。我らのパラダイスへ。お肉が私たちを待ってますよ!」
すっかり上機嫌な佐伯さんに腕を掴まれ急かされて、僕は歩き出した。佐伯さんの様子を見る限り、やはり落ち込んではいなかったのではないか。美樹本さんの予想はハズレだな。ふふ、やはり佐伯さんのことは僕の方がよく知っている。これなら僕がライリーで小説を書いていることも言いやすそうな雰囲気だ。
よし! 今日、男らしく自分の正体を明かすぞ!
一人決意を固めた僕であった。
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