「艶かしい男女のシーンを僕が書いているって思ったら……キモいって思うだろ?」


「……で。なんで言ってくれなかったんですか?」


 正面に座る美樹本さんが身を乗り出してきた。白いシャツから溢れんばかりの大きな胸がこぼれ落ちそうで、慌てて目を逸らした。


「いやぁ、あれだ。なんとなく言い出しにくくってな」


 お通しの枝豆を摘んで言葉を濁す。障子で仕切られた掘りごたつの個室。薄暗い間接照明が美樹本さんの整った顔を照らしている。近所にこんなオシャレなお店があったなんて知らなかった。


 店長に店を追い出された僕たちは駅前の居酒屋に来ていた。美樹本さんと二人でお酒を飲むなんてバイト仲間に知れたら面倒な事になりそうだが、別に僕だって来たくて来たわけではない。僕が小説を書いていることを他のバイト仲間に吹聴されないように口止めをするために来たのだ。


「それより、美樹本さんは大学一年生だったよな。 お酒はまだ早いんじゃないか?」


 僕は紳士的に指摘をするのだが「ぜんぜん。大丈夫っす」となぜか自信満々に言い切って、美樹本さんはハイボールの入ったジョッキをグイッと煽った。僕なんかよりも飲みっぷりがいい。


「しかし、先輩が小説を書いてたなんて、びっくりっすね。どんな人にも何かしらの才能があるもんなんすね。尊敬っす!」


 美樹本さんは目を輝かせているが、言葉に引っかかるので一応尋ねる。


「確認だが、それは褒めているんだよな」


「もちろんっすよ!」力強く答えられた。まあ、いいか。


「なら、ありがとう。あ、でも店の奴らには僕が小説を書いていることは黙っててくれないか?」


「えー、どうしてっすか?」


「そりゃそうだろ。僕はまだプロでもなんでもないんだから」


「変なのー。先輩は自分の作品をみんなに見てもらいたいからネットに小説を投稿してるんじゃないんすか?」


「まあそうだけど、リアルな知り合いに読まれるのは嫌だよ」


「ウケる。意味わかんない」と美樹本さんはケラケラと笑う。わからんか?


「だって坂上さんは演劇のチラシとかガンガン持ってくるし、ヤッポちゃんもライブがあればフライヤーとか持ってくるじゃないっすか」


 美樹本さんが名前を出したのは二人とも店のバイト仲間だ。売れない劇団員おじさんの坂上さんと、ガールズバンドで頑張ってるヤッポちゃん。どちらも自分の舞台があるときはチケットを店に持ってくる。


「先輩だって、みんなに宣伝してライリーに登録してもらって星をつけて貰えばよかったじゃないすか。お金がかかるわけでもないし、頼めばやってくれる人もいたんじゃないっすか?」


 枝豆をつまみ、店員を呼ぶボタンを押しながら美樹本さんは言う。


「ちょっと不正っぽいぞ、それ。というか、自分の小説を読んでもらうなんて照れるし、申し訳ないわ」


 店員が来る。美樹本さんは常連なのかメニューも見ないで出し巻き卵とシーザーサラダと焼き鳥の盛り合わせを頼み、ジョッキを空にしてお代わりを注文する。慣れている。それに飲むの早っ。


「だって、浮雲DAYSとっても面白かったっすよ。私はみんなにオススメしたいって思うっすよ」


 空になったジョッキを店員さんに渡しながら美樹本さんは言う。そんな風に褒められると照れてしまうが、それと小説を書いていることを公言するのは別だ。


「嬉しいけど、個人的に作家はあまり顔を出さない方がいいと思うんだよな。実際、有名な作家でもあまり積極的に顔なんか出さないだろ。テレビなんかにも出ないし、それどころかペンネームだって性別がわかりにくいものをつけたりしてる人も多いじゃないか。多分、やっぱり作者のパーソナリティを知りすぎてしまうと読者が物語に没入できなくなるから、あえて出さないんだと思うんだよな」


「……そうなんすか? 偉そうにテレビに出てる人もいたと思いますけど」


「まぁ、そりゃ出てる人もいるけどさ。でも、例えばさ。艶かしい男女のシーンを僕みたいな冴えない男が書いているって思ったら……キモいだろ?」


「なんでですか。私は全然気にしないっすけど。物語は物語。作者は作者でしょう」


 あっけらかんと言い放す美樹本さん。そう思ってくれる読者ばかりならいいんだけど、そうもいかないんだよな。実際、僕だってアイドルが小説を書いた、なんて聞いても読む気にならないものな。それは酷い先入観ではあるのだけど、初対面が作品なのか人間なのかで随分イメージは変わると思う。


「ふーん。イメージっすか。そんなもんっすかね。あっ、あれすか。歌手がドラッグとかやると、『イメージを壊されました! 好きだったけどもう聞きません』みたいなこと言う人がいますけど、そういうことっすか?」


「いや、それとは違うだろ。薬物はダメだろ」


 ちょっとずれている美樹本さんにツッコむ。


「でも、ドラッグやってても、曲にも歌にも別に幻覚作用はないっすよね? いい歌はどんな人が歌ってもいい歌だし、そんな歌に感動した自分の気持ちは否定する必要はないじゃないっすか。作品は作品、作者は作者。ってことっすよね。ほら、最近ドラッグで人気デュオの片方が逮捕されましたけど、私は歌の魅力は歌手が逮捕されても変わらないって思ってて。あ、でも先輩はやっぱり薬物を使ってる人の曲は聞きたくないって思うんすか?」


「薬物に頼って歌を作ること自体に嫌悪感を抱く人が多いってことじゃないの。 ……ってか話が逸れてる気がするけど」


 なんだかどんどん話がずれて言ってる気がするが、ちょうどいいタイミングで話題を遮るように障子が開いて、店員が注文した品を持ってきた。

 美樹本さんはテーブルに置かれたサラダをササっと取り分けてくれて、大皿に乗った焼き鳥を「串から外します? それとも、好きなの選んで食べる感じにします?」なんて聞いてくる。僕は「どっちでもいいけど」と優柔不断な男らしくもない返答をしたのだが、すると「じゃあ外しちゃいますね」と横髪を耳にかけて(ちょっと色っぽい)テキパキ串から肉を外していった。


「……あれ、で何の話でしたっけ? すいません」


 一つのことに集中すると他を忘れる。まったく、これだから美樹本さんは。とか思ったけど、僕はなんにもしてないので彼女に文句を言う権利はない。


「だからさ。店のみんなには僕が小説を書いていることは黙っていて欲しいと言ってるんだよ」


「あ、そうだった。……って先輩、もしかしてドラッグやってるんすか!? 小説のアイデアが浮かばないからってダメっすよ! だめ!絶対!」


「やってねえよ! 僕は至って善良な市民だし、タバコだって吸わない健康体だよ」


 美樹本さんの勝手な思い違いを否定して、受け取ったサラダをむしゃむしゃと食べる。食べながらも先日まで部屋に居座っていた象人間のことを思い出し、もしかしたら幻覚くらいは見ていたかもしれないな、と頭の片隅で思ったり。


「ふう、それなら一安心っすね。ま、先輩が言わないで欲しいっていうなら私は言いませんよ。ヒミツにしときます」


「そうしてくれると助かるよ」


「でも、せっかくだから色々聞かせてくださいよ。そもそもなんで小説を書き始めたんすか。昔から書いてたんすか?」


 興味津々だったのか、目をキラキラさせて聞いてくる美樹本さん。小説を書くなんてやろうと思えば誰でもできるようなことなんだけど、物珍しいといえば珍しいか。


「最近だよ書き始めたのは。でも、なんで書き始めたかって言われてもなぁ……」


「もしかして、好きな女の子の気を惹きたくて、とかっすか?」


「な……!?」急な豪速球に言葉が詰まる。何この子。エスパーなのか。


「え、なんすかその顔。マジすか。図星っすか。あははウケる」


 ウケている。そんなにわかりやすく顔に出てしまったのか。今の僕の一瞬の表情の変化で見抜いたと言うのか?


「笑うなよ」と凄んでみるが、全然ダメ。美樹本さんは僕をからかうように笑っている。僕は舌打ちをしてビールを飲み干した。


「そっかー。その様子だと片想いなんすね。動機がイイっすね。少年っぽくて。で、どんな人なんすかー。教えてくださいよ」


 そんなに大げさに笑う必要はないじゃないか。くそ。もうやけくそだ。話そうじゃないか。


 店員さんを呼び、ビールのお代わりを頼んでから、僕は佐伯さんとの高校時代の出会いから今までのことを話した。佐伯さんが『さつき風香』と言うペンネームで丸川小説大賞の最終選考まで残っていることや、僕が今回のライリーコンテストで好成績を取ったら正体を明かそうと思っていることも。美樹本さんはSNSで佐伯さんと絡んだこともあるので、彼女の名前を出すと「えーっ!」と叫んで驚いた。


「さつき風香さんって先輩が教えてくれた作家さんじゃないっすか。私、【Tubuyaita-】で相互フォローっすよ」


「知ってるよ」言って再びハッとする。また余計な事を口走ってしまった。僕がSNSでの二人のやり取りを盗み見していたこともバレてしまうではないか。恐る恐る美樹本さんの表情を覗くが「そっかー。風香さんは先輩の後輩さんだったんすねー」と世間の狭さに驚いていて僕の発言は聞き逃していたみたいだ。よかった。


「そういえばこの前、風香さんが先輩の小説を面白いって呟いてましたよ」


「そ、そうか。それは知らなかった。ライリーで星をつけてくれたのはわかったいたが、彼女に面白いって思ってもらえたら嬉しいよな」


 もちろん知っていたが、墓穴を掘らないように慎重に言葉を選ぶ。


「好きな人に自分の作品を評価してもらえたら嬉しいっすよね。ということは、風香さんは先輩の作品が中間選考を突破したって事も知ってるんじゃないっすか?」


「どうだろうな。今日発表されたばかりだし、ライリーコンに作品を出してない人はそこまで他人の作品の合否は興味ないんじゃないか?」


「そーすかね。でも、それなら今が一番正体をバラしていいタイミングなんじゃないっすか? 風香さんは先輩が小説を書いているなんて知らないんすから、浮雲DAYSの作者が先輩だって知ったら、めっちゃ驚くと思いますよ。話を聞いてる限り風香さんも先輩のことを嫌いなわけなさそうですし、男らしくバシッと決めるべきっすよ。それに夢に向かって切磋琢磨する二人なんて超ロマンティックじゃないっすか。今っすよ。今しかないっすよ。で、男らしく告白っすよ。君にこの物語を送るよ、なんて歯の浮くようなセリフで告っちゃえばいいんすよ」


 声が段々と大きくなっていく美樹本さん。身振り手振りも加えて。ちょっとお酒が回りすぎてはいないか。


「正体を明かすことに関しては確かに君の言う通りで、今がちょうどいいタイミングかもしれないけど、告白にまで飛躍するのは違くないか?」


「そんなことないっすよ。違くないっすよ。いいですか。女の子が好きでもない男と二人っきりで会いますか? 二人っきりでお酒を飲みに行きますか? 嫌いな相手なら誘われたって断りますよ。……好きでもない人と二人で飲みになんて行かないっす」


 熱弁だ。ふむ、そうだろうか。言われてみれば、ビガンゴさんにも最終選考に残ったら思いを打ち明けてもいいじゃないか、と言われた。どうなんだろう。いやいや、美樹本さんはお酒も入っているし、他人事だから易々と告白なんてことを言葉にするんだよ。お酒の勢いで告白を決心するなんて間違っている。もっとロマンティックにいかないとならんだろう。紳士なのだから。

 うーん、と唸って腕を組んでると美樹本さんはじっと僕の顔を見ている。


「……ん? なんだ?」


 なんとなく湿度があるような、いつもの美樹本さんとは違う奇妙な視線に気づいて尋ねると、彼女は大きくため息をいた。


「私の話、聞いてました?」


「無論だ」


「……そういうとこっすね。鈍感なんだから」


 ワザとらしくため息をつく美樹本さん。なんだよ。


「誰が鈍感だ、失礼な。僕は真面目なだけだ」


「ふふ、確かに。ま、そこが先輩の良いところっすけどね」


 呆れてるのか面白がっているのかわからない笑みを浮かべて美樹本さんは言った。


「先輩は女の子の気持ちに全然気づかないのに、なんで素敵なラブコメが書けるんですかね」


 諦めたような視線で顔を逸らし、ひとりごとのように美樹本さんが言う。


「ちょっとまて、心外だ。そんなことないだろ。僕は先の先まで女性の気持ちは読み解いているつもりだぞ。それに作者と作品は別個のものだって君も言っていたではないか。……まあいい。ともかく、美樹本さんの言うとおり、とりあえず僕が浮雲DAYSの作者だってことは佐伯さんに言っちゃってもいいかなとは思う。本当はランキング一位とか、公式ピックアップとか、そういう肩書きを引っさげてから明かしたかったんだけどな」


「コンテストの中間選考を通過しただけで充分だと思いますよ。チキンっすね」


 なぜか少しだけ言葉に棘がある美樹本さん。


「何をいうか。僕は決断力のある男だぞ」


「なら、今すぐ風香さんに連絡してライリーで小説を書いていることを明かしてくださいよ」


「え、今っ!? べ、別に今じゃなくてもいいだろう、そのうちな」


「……やっぱ意気地なしっすね」


 心なしか美樹本さんはご機嫌斜めのようだ。これだから女性というのは理解できぬ。さっきまでコロコロ笑っていたのに。


「……よし、わかった。僕が男らしいという証を見せてやろうじゃないか」


 売り言葉に買い言葉でポケットからスマホを取り出す。温厚な僕とて意気地なし呼ばわりを見過ごすわけにはいかん。沽券にかかわる。


「見せてください。先輩の男らしいとこ」


 腕を組み、まるで僕を値踏みするような目線の美樹本さん。こういう目線で見下されるのって少し興奮するな。ってかそんなことを思っている場合ではない。なぜこんな状況になったのかは謎だが、ここまで言われては後には引けない。僕とて男である。

 美樹本さんには気取られないように呼吸を整える。けど、まさか佐伯さんに電話することになるとはなぁ。参ったな。

 佐伯さんは僕が小説を書いていると知ったら驚くかな。驚くだろうな。喜んでくれるかな。それとも今まで言わなかったことを咎められるかな。しかし、どちらにせよ、これで僕と佐伯さんは互いに別の賞ではあるが最終選考を待つ身という意味では同じ土俵に立ったということになるのだ。賞の大小はあれど気持ちは同じだ。ならば、互いに不安と期待を胸に手を取り合って励ましあっていけるではないか。打ち明けることにマイナス要素はないだろう。よし、大丈夫。いこうではないか!


 己を鼓舞し、意を決してスマホを見ると、ホーム画面に一件通知が入っていた。


「あれ……佐伯さんからだ」


 こんな時に佐伯さんからのメッセージなんて。やっぱり僕たちは運命の糸で結ばれているのかも。なんてちょっと思いながら画面をタップしてメッセージを確認する。


 何気なく開いた画面には、思いもしない文面が綴られていた。

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