「せっかく読んでも伝えなきゃ作者に応援の気持ちは届かないもんね。」

 ☆ ★



「最近の先輩、抑えめなシフトですけど、なんかあったんすかぁ?」


 バイト先で美樹本さんに尋ねられたのは、12月も二週目に入った頃だった。


「え? いや、そんなことないぞ。たまたまだ」とお茶を濁す。ライリーで小説を書いているからシフトを抑えているんだよ。なんてライリーの『読み専』である彼女にはとても言えなかった。



 ライリーコンに向けての執筆は順調に進んでいる。ビガンゴさんの教えの通りにプロットを綿密に練り、キャラ設定を細かく決めたおかげで、随分と執筆効率が上がっていた。

 プロットがしっかり作ってある分、書いている途中で筆が止まることが少なくなった。よく仕事でもスポーツでも、準備七割、と言われるがそれは本当なのだ。

 ストーリーがきちんと決まっているから、今なにを書かなければならないのかを俯瞰で見ることができるし、物語が暴走しそうになっても脱線せずに舵を取れるのだ。プロットって大事なんだな、と今更になってその重要性に気づいた。


 今まで、ちゃんとプロットを立てた事がなかったので、その時の気分でストーリーが右往左往してブレブレな展開になっていたのだが、今回はそんなことはない。話が脇にそれる事も少なくなった。やったぜ。


 ただ、ビガンゴさんは「執筆はライブだからさ。キャラが動き出してプロットと違う方向に進みそうになったら、無理に筋書き通りに動かす必要はないぞぉ」とも言っている。筋書きから外れようとキャラが動いてしまうことこそが、キャラが生きている証拠なのだそうだ。そうか、キャラが生き始めたか。これは嬉しい。なんだかいい気持ちだ。

 そんなわけで、僕はいま小説を書く事がめちゃくちゃ楽しくなっているのだった。



「でもー。先輩がいないと店がうまくまわらないんですよねぇ。意外と先輩ってこの店のキーマンだったんだなって店長も言ってましたよぉ」


 相変わらずおっぱいが大きい美樹本さんがお皿の拭き上げをしながら言う。もちろん僕とて、いつまでもシフトを減らしているつもりはない。親からの仕送りもない貧乏フリーターなので、仕事を減らせば生活は困窮するのだ。ヘンテコな居候もいるし。それにしても『意外』とは店長もひどいやつだ。


「あのアホ店長め。いまさら僕の偉大さに気づいたのか。無能め」


「あはは、毒舌っすね」


「事実だからいいんだ。店長、また発注をミスっただろう。全然成長しないんだよあの男は。ま、美樹本さんも店長じゃないけど、僕のことを少しは見直してくれよ」


「なに言ってんすか。私はずっと先輩のことは尊敬してるっすよ」


「……え?」


「だから、私はずっと先輩のことは尊敬してるって話っすよ」


 思わず美樹本さんの顔を見てしまう。皿を拭いているのでこちらは見てはいないが、その横顔はすましたもので、冗談を言ってるわけでも小馬鹿にしたわけでもなさそうだ。


「真面目じゃないすか先輩。文句言わずにやることをやって。私なんて馬鹿だから言われたことはできるんすけど、一度に色々考えたりできないんで、すぐポカしちゃうんすよね……。だから、色々気配りできていつも一歩引いたところから全体を見てる先輩はすごいなって思います。みんなは根暗だって陰口叩いてるっすけど……あ、いや、今のは無しっす! すいません!」


 口が滑ったことに気づいて焦ったのか、美樹本さんは皿を落としそうになって、わちゃわちゃと一人でお皿をお手玉して慌てている。見ていて飽きない娘だ。


「……ま、いいよ。昔から僕はそんな風に言われてるし」


「すいません。でも、私は全然そんなこと思ってないっすから。てか先輩のこと、好きっすから。……いや、あの、そういうんじゃなくて。ち、違いますからね! そういう意味じゃなくて!」


 勝手に慌てて、勝手に顔を赤くして、皿を持っていることすら忘れて両手を振るから、また皿を落としそうになって一人で慌てている。


「慌て過ぎ」


「す、すいません……」


 耳を真っ赤にして小さくなる美樹本さん。男連中が興味を持つのもわかる可愛らしさだ。


「すいません……」ともう一度言った美樹本さんはこちらに背を向け、縮こまったまま皿拭きを再開する。会話が途絶えるが、大した話もしていなかったし、僕も仕込みの続きを続ける。

 黙々と続ける。

 なんとなく変な沈黙である。


「……あ、そういえば。先輩って、あの、あれ。えっと、そうそう。ライリーってまだ読んでます?」


 なんでそんなに、しどろもどろなんだろってくらいにオドオドした感じで美樹本さんが聞いてくる。別にさっきのことなんて気にしてないのに、陰口を言われてると知った僕が不機嫌になっているとでも思っているのだろうか。

 美樹本さんは変に気を使って無理して空気を変えようとしているみたいだった。わかりやすいな、美樹本さんは。


「ああ、あんまり読めてないなぁ。読みたい気持ちはあるんだけどね」


 そんな彼女の気遣いに気づいているから、努めて明るい声を出す。こういう根っこの部分の優しさが僕にはあるんだけど、人にはなかなか気づかれないのだよね、損してると思う。ま、いいんだけど。


「なんか今、コンテストをやってるんすけど、面白いのが何個かあるんですよ」


 僕の口調か思いのほか明るかったから、ほっとしたのか振り向いた表情が明るくなっている。わかりやすいな、ホント。


「ふーん。美樹本さんは結構読んでるんだね」


「紙の本はあんまり読めてないんですけど、スマホだと横文字で読めるじゃないすか。それが私には合ってるんすよね。ブログ読んでるみたいで楽なんすよ」


 そういう人もいるんだな。僕はネット小説は縦書きじゃない事が嫌だと思うタイプの人間なのだけど。


「どんなの読んでるの? おすすめとか、ある?」


「はい、えっとっすね。一つは青春ミステリってタイプのやつですね。女子校で起こった生徒の自殺が実は殺人だったって話で、まだ途中までしか公開されていないすけど、キャラが可愛くて青春って感じでいいんすよねぇ」


 タイトルを聞いて、それが緑川さんの作品だということはすぐにわかった。SNSでも最新話を公開するたびに宣伝をしている。僕は自分の作品にかかりっきりなので、今回のコンテストの作品は全く読めていないのだが、緑川さんの作品は周りの反応も良いみたいだ。

 ネット小説だと長編ミステリーはなかなか評価がつきにくいようだけど、登場する女子生徒たちが可愛らしく魅力的なので、ミステリーファン以外にもジワジワと人気が出ているようだった。さすが女子高生作家を自称するだけのことはある。


「あと、『唐揚げバカ異世界』って作品も面白いですね。老舗唐揚げ屋の主人が異世界に召喚されて、自慢の唐揚げの腕一本で異世界の食材に立ち向かい、カラッとジューシーに揚げていく、唐揚げロマン小説っすね」


 ああ、それも知っている。かなりSNSで話題になっていた。読むと唐揚げが食べたくなると有名だ。異世界系グルメ作品のブームも来ているようだし、時代の波にうまく乗った作品のようだ。

 だが、ただの一発ネタでなく次々と襲い来る異世界の食材を現実の食材に見立て、確かな知識で調理していく描写は圧巻の一言らしい。きっと作者は名のある料理人なのだろう。


「それと、これはまだ公開されたばっかでまだ二話しか出てないんですけど……」


 そう言って美樹本さんが紹介してくれたのは、なんと僕の作品だった。


 驚いた。まさか自分の作品を人から教えてもらうとは思わなかった。なんだか小っ恥ずかしいが、美樹本さんはもちろん僕がこの作品を書いてるなんて知りもしないので、ズケズケと感想を述べてくる。


「……って感じで、雲職人見習いの女の子とダメ男の大学生が恋を育みながらも力を合わせて、大会に向かって頑張るって話なんすけど、主人公が絶妙に鈍臭くて、自分の恋心を認めないし、屁理屈こねてるばかりで、童貞臭いんすよ。読んでてすっごく腹が立つんですけど、相手の女の子が良く描かれてるんすよね。多分、作者がそういう片思いを現在進行形でしてるか、昔にした事があるんだろうなって感じで、焦れったいというか女々しいというか、読んでてムズムズしてくるんです。だけど、なんだかズルズル先が気になっちゃう感じで。面白いかって聞かれると、わかんないですけど、先が早く公開されないかなって一番気になる作品っす」


 ……これは褒めれてるという認識でいいのかな?


 と今日のバイトでの出来事を部屋でゴロゴロしているビガンゴさんに報告すると「よかったじゃんー!いいでしょ。先が気になるってのは一番良いことだよぉ」と満足そうに頷いた。


「そっか、そっか。今日のバイトでそんな事があったんだね。ふふふ。いいじゃない。お金を払って買った本はだいたい最後まで読むけど、ネット小説みたいに無料で公開している作品は、読むのをやめるタイミングを伺いながら読んでいるものなんだよ。面白いと思って小説をブックマークして、いつか読もうと思ってもそのまま『積ん読』状態でほったらかしになる事がとても多いからね。面白くなくても、読んでてイライラしていても、続きが気になって気になって仕方がないって状態に読者を誘導できるのはいい傾向だね。よかったじゃない。君の根暗でネガティブで女々しくて屁理屈こねる性格が、読者を引きつけているんだね」


「褒めてるんですか。貶してるんですか」


「どっちもだよ。ぱおーん」


 まったく、相変わらずのビガンゴさんだ。まあ、いつもの事なので、腹を立てるのも馬鹿馬鹿しいしビガンゴさんに構っている暇もない。

 部屋着に着替えPCの前に腰をおろし、今日の分の執筆を開始する。


「うーん。君が小説をガンガン書くようになったのは嬉しい限りだけど、話し相手がいないってのも寂しいものだねぇ」


 ヘッドホンをつけようとした時にビガンゴさんがポツリとこぼした。


「暇ならライリーとか【Tubuyaita-】のアカウントでも作って誰かの作品にレビューしたりしてればいいじゃないですか。毎日毎日バカみたいに小説を読んでいるんでしょ」


 目だけを動かしてビガンゴさんに言う。


「あ、言われてみればそうだね。なんで今まで気づかなかったんだろう。せっかく読んでも伝えなきゃ作者に応援の気持ちは届かないもんね。そっかそっか。よーし、ビガンゴも読み専デビューしちゃお」


 目を輝かしているビガンゴさんを尻目に、僕はキーボードを叩き始めた。



 『注意力散漫で勉強にあまり集中しない』と学生時代の通知表に書かれた僕だけど、やりたいことに対しては時間を忘れて没頭することだってある。いまがそれだ。

 誰だってそうだけど、やりたくないことに没頭できる人間なんていないわけで、楽しいことに対しては誰だって集中力を発揮できるのだ。


 二時間ほど休憩も入れずにPCの画面に向かっていたら肩が凝った。ヘッドホンを外し、背伸びをしてスマホをみると、メッセージが一件。

 誰だろう。見ると佐伯さんからだった。


『先輩。ちょっとお話があるのですが、聞いていただけますか?』


 さ、さ、佐伯さんから、お話!? 


 自然に体に力が入り、背筋が伸びる。

 なんだろう。なんだろう。突然の告白かな!?

 佐伯さんが胸の中で温めてきた僕への情熱がついに決壊したダムのごとく、激流を伴って溢れだし、突然の『お話』に発展したのだろうか。やばい。どうしよう。小説なんか書いてる場合じゃないぞ。


『なんだなんだ。聞くぞ。なんだ?』


 即、返事を返す。返事はすぐしちゃダメだって誰かに聞いたことあるけど、駆け引きなんてできないぞ。好きだから……なんちゃって。

 

 だが、佐伯さんからの返事はこない。

 なんだってんだ佐伯さんは。ああもう、なんで直ぐに返ってこないんだ。早く! 返事よ、来い! なんの話だ! 気になって小説なんて書いていられないっての。


「どうしたの? 煩悩マックスな顔して。小説書かないの?」


 ビガンゴさんが訝しげに僕を見る。


「それどころじゃないんです。佐伯さんから連絡が来ました!」


「ほお、なんだって?」


「それがまだ内容は……って、返事がきた!」


 スマホに表示される佐伯さんからのメッセージ。



『実は。。。丸川の二次選考を通過しましたよ!! やったー!』


「なんだっての?」ビガンゴさんが首を伸ばす。



「……さ、佐伯さんが、丸川の二次選考も突破したって。凄い!佐伯さん!凄い!」


 佐伯さんからの『お話』は愛の告白ではなかったけれど、メチャクチャめでたいご報告であった。

 すぐにお祝いの言葉を送る。


「そっかそっかぁ。眼鏡ちゃんは二次選考も通過したのかぁ。よかったね」


「羨ましいなぁ。本当に佐伯さん、作家になっちゃいそうですね」


「うんうん。いいことだ。でも、これでまた君との差が開いちゃったね」


「それは言わないでくださいよ」


「あはは。まあ、人は人。自分は自分だからね。君は君の物語を紡ぐしかないよ」


「はい、そうですね」と素直に答える。そうだ。僕はやるしかない。僕は僕の物語を書くしかないんだ。

 バイト先の美樹本さんも僕の作品の続きを期待してくれているし、奇跡的に僕の作品は、ライリーコンのランキングで中盤に位置しているのだ。

 ここが頑張りどころだ。


 とはいえ、実際はオフ会で知り合った人や、SNSで繋がってる人が僕の作品をフォローしてくれているので、ランキングに入っていても少し『相互』っぽくて後ろめたい。

 でも、ランキングに乗っていれば、そこから新規の読者が増える可能性があるのだから、ありがたいことだ。ネガティブになるな。精神状態が悪くなると作品にも影響がでる。

 よし、佐伯さんも順調に未来に向かって成果を出しているのだから、僕も頑張ろう。


 再びヘッドホンをして執筆活動に戻ろうとすると、佐伯さんからのメッセージ。


『約束ですから、今度は佐伯が焼肉をご馳走しますっ! 未来の大作家先生にご馳走してもらえるんですから、喜んでくださいね』


 ……ん? なんだって。あ、そうだ、秋に焼肉を食べに行ったときに、そんな約束をしていた。二次選考を通過したら佐伯さんが僕に焼肉を奢ると。

 あの時は僕も彼女も酔っていたので、忘れていたが、冗談じゃなくて本気だったのか。

 もしかして、これはデートのお誘いなのではなかろうか。食事のあと、お酒の力を借りて、この僕に愛を告白しようとしているのではなかろうか。

 まずいぞ。これは困った。男として女性からのアプローチには真摯に対応しなければならない。もちろん佐伯さんに会いたい気持ちもあるし。だって、この前の図書館の時はビガンゴさんのせいで全然お話ができなかったし、オフ会は逃げ帰ってしまったし。

 だが、食事で後輩の女の子からご馳走になるなんて、男のプライドが許さない。

 僕は小説家としては佐伯さんよりも数段劣るただのネット小説家ではあるが、実社会においては頼れる先輩でいたいのだ。特にこれからの二人のバラ色のロマンスのスタート地点である日に、佐伯さんに奢ってもらうなんてかっこ悪いし、情けなさすぎる。

 となると、ここはもう一度僕がお祝いと称してご馳走をするのがモアベターなのだが、小説を書くためにシフトは減らしてしまっているし、ビガンゴさんの食費がかさむので、金欠である。

 僕が彼女にご馳走をすることは不可能なのだ。くそ。男のプライドが彼女との逢瀬を邪魔する。


『いいんですよ! いつも先輩にはお世話になってるんですから、ご馳走させてくださいっ!』


 一度は固辞した僕であったが、佐伯さんは一歩も引かない。

 ぐぬぬ。そこまで佐伯さんに強く言われると心は揺らぐ。それと最近はもやしばかりの食生活なので純粋に肉が食いたいという邪な欲求もむくむく湧いてくる。


『わかった。ではもし最終選考に通過して大賞をとるようなことがあったら、その時はまた僕が何かご馳走するよ』


 僕は彼女の提案に甘んじて、二度目の焼肉に出かけることにした。


 小説?


 小説なんかより、恋だ!

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