「君は他人の為に小説を書いていないからさ。自分の為に書いているのだから。まったく独りよがりで自分勝手な小説家だよ!」



「それで、二次会にも参加せず逃げ帰って来たのかい?」


 アパートに帰ると、青い三頭身の象人間が「まったく意気地のない男だなぁ」と小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「し、仕方ないじゃないですか。佐伯さんには僕が小説を書いてる事を知られるわけにはいかないんですから」


 佐伯さんがオフ会に合流するという情報を得た僕は、急な腹痛に襲われたという苦しい嘘をついて帰って来たのだった。


 全然評価されていない短編小説をちょろっとアップしてるくらいの底辺ネット小説家としては彼女には会えない。僕は佐伯さんにとって尊敬できる先輩でなければならないのだ。


「いつになったら正体をあかせるのかねぇ」


 やれやれとビガンゴさんは冷笑しているが、僕には考えがあるのだ。オフ会で緑川さんから教えてもらったあのコンテスト、ライリーコンだ。

 あれに応募して、名誉挽回するのだ!

 帰り道に応募要項を熟読した。

 やってやるぞ。僕はこのコンテストに全てをかける!

 そして、見事最優秀賞をゲットして、賞金をこの手に収め、そこで佐伯さんに正体を明かすのだ。

 佐伯さんはその瞳を輝かせて、頬を朱に染め、羨望の眼差しで僕を見るだろう。僕の偉大さに感服し、胸のざわめきに気づく。そう、それは恋の胸騒ぎなのだ!

 よっしゃ、たぎってきたぞ!!


「ビガンゴさん! お願いがあります!」


 勢い良く立ち上がってビガンゴさんを睨むように見る。


「なになに? 急に改まって。あ、また美女モードに変身して欲しいって言うんでしょ? エッチなんだからぁ」


 見当違いも甚だしい。あんな目のやり場に困る褐色美女などまっぴらだ。

 頬を染めて身をよじっている象人間の言葉は無視して続ける。


「ライリーで12月から始まるコンテストに作品を出したいんです! どうか力を貸してください!」


「……え? なーんだ、そんなことか。ビガンゴは物語の神様だぞぉ。君がやる気になればビガンゴは協力を惜しまないぞぉ」


 ぱおーん、と鳴いて親指を立ててウインクをするビガンゴさん。


「雲を作る職人の娘と大学生のラブコメだっけ? 大まかなストーリーは考えているんだろうから、それをプロットにきちんと落とし込んでいこうか。 プロットは物語の骨格だ。骨が弱いとちょっとした段差でも骨折するからね。太くて強い骨組みを作っていこう」


「はい!」


「でも、その前に。何より重要なことを確認したいな」


 表情を引き締めたビガンゴさんが真面目なトーンで言う。


「重要なこと。なんですか?」


「君はこの物語を誰に読んでもらいたいのか。それを聞かせてほしい」


 なんだ。拍子抜けだった。改まって言うから何かと思ったけど、なんだそんなことか。愚問だ。愚問すぎるぞビガンゴさん。


「そんなの決まってるじゃないですか! みんなにですよ! たくさんの人に読んでもらって評価されたいです」


「……それじゃ、ダメだなぁ」


 ビガンゴさんはやれやれ、と大きな頭を振る。


「なんでですか」


「対象がぼんやりしてると作品もぼやけるんだよぉ」


「どういうことですか?」


「例えば、美味しい食べ物を提供する店を作るとするじゃん。ラーメンが食べたい人と刺身が食べたい人、どっちにも満足のいくお店が作れるかって話だよ。ないだろう?」


「うーん。あ、わかった!ファミレスを作ればいいじゃないですか」


「はぁー。そう言うところだよ、君ぃ。いいかい? ファミレスの中華そばで麺好きが満足する? ファミレスの刺身定食の魚が寿司屋の魚より美味しい?」


「……なるほど、言われてみればそうですね」


「でしょ。だからターゲットはきちんと絞らなければならないわけ。万人にウケる小説なんかないわけだからさ。ピンポイントに誰に向けて書くのかを明確にしなければいけない。君はこの小説をどんな層に向けて描きたいのか。なぜこの作品を描こうと思ったのか。テーマはなんなのか。しっかり考えなければダメだよ」


 ぬぬぬ。急に真面目な話になってきたぞ。難しい。みんなそんなことを考えて小説を書いているのか。誰に向かって書くかなんて考えたこともなかったぞ。困った。


 でも、なぜこの作品を書こうと思ったかについてなら答えられる。


「僕が面白そうだと思ったからですよ」


 書いてて面白くないものなんて書けないし、書きたくないよ。


「そうか。面白そうだと思ったからかぁ。なるほどね。じゃ、なんで面白そうだと思ったの? どこが魅力なの? 雲職人という架空の職業? それとも仕事を通して互いに惹かれあっていく若い男女の恋?」


 ビガンゴさんは詰め寄るようにグイグイと質問を投げて来る。そんなに一気に言われても困る。


「ど、どっちもです……けど」


「そうだろうね。君はそう思ったんだろうね。じゃあ、なんで架空の仕事に雲を作る職人を選んだの? 雲職人じゃなきゃいけない理由はあるの? なんで大学生の青年が恋をする相手は年下の女の子なの?同い年じゃダメだったの?」


 一度に投げるボールが多いんだ、ビガンゴさんは。なんでと聞かれても説明するのは難しい。なんとなく思いついたからというしかないのだが、それではまたしてもビガンゴさんに詰められる気がしたので、それこそ雲をつかむような思いで、ない頭をひねって考える。


「……えっと、昔から雲は好きで、そんなに詳しくはないですけど夏の入道雲とか良いじゃないですか。うろこ雲とかも好きだし。うん、ていうか、快晴より雲が浮かんでる空の方が好きで、雲があるから空の高さとか青さがわかったり、雲は風で流されてすぐ形も変わってしまうし、面白い形になったりしても、人はあんまり空なんか見てないから見逃されがちだったりするし、それに同じ雲はないってのも、良いなって思ってたり……」


……などと言うのだが、考えがまとまってない状態で喋るから、ちゃんと伝わっているかわからない。だけどビガンゴさんは黙って聞いて、ウンウンと頷いた。


「ふーん。好きだからってことだね。 でも、それだけなの? じゃあ、恋愛の部分は? なんで年下の女の子との恋なの? 今の論法でいくと年下に好きな子がいるってこと?」


「それは……」


 問い詰められて、一瞬佐伯さんの顔が浮かんで、慌ててかき消す。違うぞ。僕は別に物語に自分と佐伯さんを重ね合わせてなんかいないぞ。


「……ビガンゴはわかってるよ。君も今、気づいたことにね」


 ふふふ、と不敵な笑みを浮かべるビガンゴさん。


「な、なんのことですか?」


 及び腰で聴く。


「君は物語に自分を投影しているのさ。大学生で夢もない主人公は就職もせずにぶらぶらしている君自身。雲職人の見習いで父の代わりに頑張る少女は小説家への道を頑張って進む眼鏡ちゃん。雲職人という架空の職業は君にとって雲をつかむような夢。つまり小説家そのものだよ」


 どーんっと僕に指を(蹄だけど)突きつけてビガンゴさんが言う。


「そ、そ、そんなことないですよ」


「認めなよ。 君は自分を物語に投影させているんだ。現実では何も良い事がない人生だから、せめて自分が描く物語の中では幸せになりたいと思っているんだ。さっき君は誰に向かって物語を書いているのかわからないと言ったろう。それはそうだ。君は他人の為に小説を書いていないからさ。自分の為に書いているのだから。まったく独りよがりで自分勝手な小説家だよ。それに気づいていないから君の小説は評価されないんだよ。ライリーで評価されないのも読者のせいにしていただろう。見る目のない奴らだって思ったり、PVさえ増えれば評価されると信じていただろう。読まれていないだけで、多くの人に読んでもらえたら評価されると思っていただろう。でも、そうじゃなかった。そんな事なかったんだ。君だってそれに気づいていないはずはない。そうだろ。君は気づいていないふりをしているだけだ。短編を公開して、PVはどれくらいだ。面白い小説なら十人に読まれれば二人くらいには評価されるはずだよ。君の小説のPVは今、50だろ。それは他の有名作家の作品と比べれば少ない数かもしれないけど、確実に50回は閲覧されているんだからね。50回も読まれたら、面白い小説なら星は付いているはずだよ。どう、ついてるのかい。本当に君が思うように面白い小説ならついてないとおかしいよね。どうだい?」


 息も注がずにまくし立てたビガンゴさんの言葉に圧倒され、言葉に詰まる。

 僕は反論できなかった。SNSを見ていると、『星が百を超えました!』だの、『週間ランキング1位になりました!』だの、周りの人達の喜ぶ声ばかりが目について、その度に思うことがあった。


(僕の作品だって、読まれれば評価は上がるはずなのに)


 だけど、いつまで経っても評価はされなかった。認めたくないけれど、ビガンゴさんの指摘したように、僕の心に一つの考えが生まれていた。だけど、できるだけその生まれた物には目を向けないようにした。でも。


 でも。

 今、ビガンゴさんに言われてわかった。


 そうか、やっぱり僕には才能が無かったんだ。


「おいおい。何で顔面蒼白になっているんだい? 別にビガンゴは君の事を責めてるわけじゃないぞ」


 あれだけ辛辣な言葉を吐いておいて、よく言うよ。こんな時に笑わせるなよ。


「ビガンゴさんは僕が書こうとしてる小説じゃダメだって言いたいんでしょう。僕にはやっぱり才能が無いって言いたいんでしょ」


 最後の強がりで自嘲して。やっと出た言葉は弱々しく、消えそうな声だった。

 でも、耳をパタパタをして、聞いていたビガンゴさんは「はぁ?」と呆れた顔をした。


「違うよ。ビガンゴは生み出されようとする物語を否定はしないよ。ただ、誰をターゲットに小説を書くのかってことを明確にしなきゃダメって言ってるだけだよ。そして、君は答えを出したじゃないか。君は気づいた。君が書く物語は『自分』にしか向けられてないってことを」


「そうですよ。だからダメなんでしょ? ビガンゴさんが言うような読ませたい『誰か』がいないから、ダメだって言うんでしょ?」


「ははは。君は本当にネガティヴ思考なんだなぁ。なんでそうなるんだよぉ。逆だよ。だからこそ、読ませたい相手は見えてきたんだよ」


「……どういうことですか?」


「君は平凡で、言っちゃ悪いが突出した小説の才能は無いよ。オリジナリティの溢れる物語の設定や、すごく魅力的なキャラクターを生み出す力もない。でも、だからこそ、才能がなくて悩む凡人の気持ちはわかる。なにせ君がその凡人だからね。小さなことでクヨクヨしたり、ちょっとのことで大袈裟に喜んだりする、どこにでもいる凡人だ。でも、日々の細やかな生活の悲喜交々を見過ごすことなく、しっかりと拾い上げて一喜一憂できることは立派な才能なんだよ。君には天才的凡人という才能があるんだ。そして、世の中には凡人がたくさんいる。自分の才能の無さに嘆きながらも夢を諦めきれないボンクラ達が掃いて捨てるほどいるんだ。……もうわかっただろう。君の物語の本当の読者像が見えてきたんじゃない?」


「……わかんないです」


「なんでだよぉ!ぱおーん!! 」


 ビガンゴさんが鼻を振り上げて吠えた。


「だーかーらー。君は自分のようにボンクラで恋愛もまともにできず、自分自身とも向き合えないダメ人間の為にこの作品を描くんだよ! そう、世界中の夢を捨てきれないダメ人間がこの作品のターゲットだよ!」


 な、なるほど! なんという発想の転換だ。前半で大概こき下ろされた感は否めないが、ビガンゴさんの言うことは理解できる。そうか、そうだったのか。言われてみれば確かにそうだ。僕には才能があるんだ。日々の小さな幸せを拾い集めることのできる才能が。誰かが歌っていた。幸せはなるものじゃなく、感じるものだと。我思うゆえに我ありだ。人生は喜劇でもあり悲劇である。それを決めるのは自分だ。そうか。そうだったのか。目の前が明るくひらけた気がする。


「そうなれば、テーマは決まるじゃん。架空の職業をメインに置きながらも、テーマとしては普遍的なボーイミーツガール。恋と夢と、若者の挫折と成長。君のボンクラ加減を主人公に投影して、小さいことで、はしゃいだり落ち込んだりして、読者に共感を持たすように調整していけたらいいね。で、雲を作る女の子はとびっきり可愛くするんだよ。君が眼鏡ちゃんに抱いてる感情を更に膨らませて描写するんだ。そうすれば誰もが恋をするさ。君は立派に恋をしているのだから」


 熱弁するビガンゴさんに、なんだか気持ちが乗せられている。

 上手くやり込められた感はあるが、それでもやる気になってしまったことは確かである。やっぱり物語の神様だ。


「……って、佐伯さんに関しては僕は別になんとも思ってないって言ってるじゃないですか」


「ぱおーん!! 君はいつまでそんなクソダサいことをいってるんだ! どこから見たってバレバレだよ! そういうところだよ! 君は自分と向き合わなきゃいけない! この小説を描くなら自分の気持ちにきちんと向き合わなきゃいけないんだ! なにをバカなこと言ってるんだ! 君は眼鏡ちゃんが好きだ! 誰がどう見ても、自分の気持ちを誤魔化すんじゃあない! 好きなんだろ? 眼鏡ちゃんが! 認めろ! この腐れ自意識童貞!」


 ビシーっと指差しで吠えるビガンゴさん。ここまで馬鹿にされては、僕だって黙っていられない。怒りなのか恥ずかしさなのかわからないけど、感情が高ぶってくるのは自分でもわかった。クールになれ、と言う理性的な僕はどっかに行ってしまい気がつけば叫んでいた。


「だー! うるさいなぁ! もう! なんですか!す、す、好きですよ!! ダメですか! 別に誤魔化してたわけじゃないですし! 単に彼女の気持ちがわからないから、こちらからアプローチをかけなかっただけですし!紳士的な対応をしてただけですし 」


 叫ぶ。なぜか顔が熱い。冬だっていうのに。


「ふふん。認めたね。そうだよ!それでいいんだよ。変に斜に構えていたら、正しいものの見方が出来なくなるからね。いいかい? 小説を書くために必要なのは経験と想像力だ。様々な経験を通じて物語に信ぴょう性を持たせ、想像力を働かせて誰も見たことのない世界を描く。一見矛盾した二つの力を合わせて物語を紡ぐんだ。君は恋人がいない。だが、君は今、片思いをしてるんだ。貴重な経験を今まさにしてるんだよ。なら、それを作品に活かすしかないだろう? 片思いの惨めで儚くも美しい体験を想像力の翼で大きく羽ばたかせるんだ。 さあ! その溢れるばかりの童貞くさい劣情を繊細なガラス細工のような恋心を、作品にぶちまけるんだ!」


 くそ、なんなんだ、この象は。ムカつく。腹が立つ。が、なんだかやる気になってくる。自分の佐伯さんへの気持ちも暴かれたいま、やけくその境地であるのだ。


 ええい、やってやろうじゃないか!

 この作品に、僕の気持ちをぶつけてやろうじゃないか。

 殴り合いだ。ノーガードの殴り合いだ。


 やってやる。

 やってやろうじゃないか!

 最高の作品を書いて、ビガンゴさんをぎゃふんと言わせてやる!


 僕の中で炎が燃え上がった瞬間だった。



 

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