「作家は使い捨てのライターじゃないんすよ。」
人間っていうのは、ほんの少しの言葉で落ち込んだり浮かれたりする単純な生き物なのだ。僕は佐伯さんにレビューをもらっただけで、なんだかわからない満足感に支配され、世界が全て輝いて見えた。万歳世界。この素晴らしい世界よ、乾杯!
毎日、佐伯さんからのあのレビューを見返してニヤニヤする日々。だって、佐伯さが『運命』を信じるなんて言うんだ。この作品を僕が書いたなんて夢にも思ってないだろうな、ぐふふ。
そんな多幸感に包まれているうちに気がつけばどうやら秋は終わっていたみたいだ。とはいえ、ど真ん中の冬に突入しているか、と聞かれるとそうでもない。時々思い出したように暖かい日があったりするし、突然真冬のような寒さの夜がやってきたりもする。季節というのはグラデーションで移り変わっていくのだ。
師走も迫る十一月のある日。ちょっと前までは軽めの上着でも出歩けたのに、ダウンジャケットを出さないとバイト先に行くにも寒くてたまらなくなってきた。ビガンゴさんは暑いとか寒いとかそういう感覚自体がないのか、服なんか着るわけでも無く平気な顔でいつでもゴロゴロしているけど。
僕のようなお洒落とは無縁な男には、上着で着るものに困らないという点では寒い季節は良いのだが、いかんせん冬には嫌なイベントが多い。そもそもが、冬になるとやたらラブソングが街に流れ出すのが気に食わない。そして、なんとなく浮足立つ世の中の雰囲気も嫌だ。
うちのバイト先でもそわそわし始める連中が出てきて、特にホールスタッフの美樹本さん(おっぱい大きい女子大一年)の来月のシフトについてはバイトの男連中の一番の関心ごとになっている。
往々にして恋人がいる奴らはクリスマスには休みを取りたがるのだが、美樹本さんは意外にもクリスマスにシフトを入れてきたのだ。それも二十三日から二十五日まで朝から晩まで丸々オッケーという豪胆さ。
(もしかして彼氏とかいないのかな)
(あんなに可愛い子なのに、フリーってことか)
(これは俺にもチャンスがあるかもしれないぞ)
……といった飢えた獣の声がそこここから聞こえてくる。
「すんませーん。先輩にわかるかどうか、わかんないんですけどー、ちょっとミキティの事で聞いてもらいたいことがあるんすけどー」
仕込みの最中に後輩の高木に話しかけられた。チャラチャラした大学三年生。バカっぽいがあのK大の経済学部でいつも合コンばかりしているパリピだ。僕とは人種が違う。
「なんだよ突然。マッシュルームは切ったのか? 無駄口叩いてないで仕込みを終わらせろよ」
「もう、店長もいないのにバカ真面目なんだから。そんなんだから面白みの無い男って女子達に陰口叩かれるんすよー」
うぐぐ。先輩に対してこの口の利き方。これだから最近の若いもんは。
「別に真面目なわけじゃない。それよりなんだ。聞いてもらいたいこととは」
「ミキティのことっすよ。何か聞いてませんか?」
「何か? 何かとは?」
「クリスマスのシフトですよ。ガンガンバイト入れてんですよ。絶対何かあるでしょ」
「僕だってクリスマスはバイトだぞ」
「いやだなぁ。先輩がバイトするのは当たり前じゃないですか」
「え、なぜだ」
「だって、彼女もいないフリーターなんてクリスマスに働かないで、いつ働くんですか」
ぶっ飛ばしてやろうか、このチャラ男。
「だから、何か悩みがあるのなら、この俺が話を聞いてあげようかなって思ったんすよ。お酒でも飲みながら」
「おいおい美樹本さんは大学一年生だ。まだ未成年だぞ」
「えー! マジすか! 先輩マジで言ってんすか? 酒は二十歳からってそんな人、本当にいるんすね。酒なんてフツー高校生の時には飲み始めるものでしょ。文化祭の打ち上げとかで。あ、でも確かに根暗なオタクとかは頑なに拒んで飲まなかったなぁ」
「……悪かったな。根暗なオタクで」
ジロリと睨むがチャラ男の高木はまったく意に介していないようで、ヘラヘラと笑っていやがる。
「ははは、冗談っすよー。で、何か聞いてませんか? ミキティから」
聞いてない。そもそも、美樹本さんとはバイト仲間ではあるが、あまり積極的に話はしていない。他の男どもは美樹本さんに興味津々で、お近づきになろうと画策してはあの手この手で誘い出そうとするのだが、美樹本さんは笑顔で上手くはぐらかして断るので、彼氏がいるものだと思っていた。というか、僕よりチャラ男である高木の方が美樹本さんと話が弾みそうなものだが。
「……ま、そーっすよね。ミキティがわざわざ先輩にプライベートなことを話すわけないっすね。すんません、仕込みに戻りまーす」
ヘラヘラ顔で戻って行った高木を横目で見送ってから、ちらりとフロアをみる。相変わらず大きなおっぱいの美樹本さんはせっせとテーブルを拭いている。制服の白いシャツが弾けんばかりに実った豊満なバストは横から見てもボリューム満点だ。綺麗に染めたブラウンヘアを後頭部で括ったハーフアップにして、真剣な眼差しで仕事に取り組んでいる。チャラ男の高木君とは月とスッポンだ。
美樹本さんの爪の垢でも煎じて飲ませたいぞまったく。
美樹本さんは都内の女子大の一年生。
真面目で一生懸命でとてもいい子だ。バイト仲間にも好かれてる。
なのだが、猪突猛進というか、一つのことに集中すると周りが見えなくなったりするタイプの子なので、時々あり得ないミスをかましたりする。
今日のランチタイムは暇だったので、彼女にグラス拭きをお願いしたのだが、あまりにグラス拭きに集中しすぎて、お客さんが入ってきたのに全然気づかなかったし、この前もスマホを忘れて店を出たお客さんを追いかけて駆け出して、そのまま三十分も帰ってこなかったし(町中をお客さんを探して走り回っていたらしい。待ってれば取りに来ると普通は思うのだが)
もちろん、悪気はないし愛嬌はあるし、チャラ男の高木のように無駄口は叩かないし嫌な顔一つしないで指示に従うから、店長にとってはとても重宝するバイトだろうけど、そそっかしいのはそそっかしい。
そんな事を思いながら僕は視線をまな板の上に戻して仕込みの続きに戻った。
飲食店で働くと昼飯の時間はランチタイムが終わった後になるので、十五時過ぎになる。
期限切れの食材で適当にパスタを作ってバイト連中に振る舞うのが昼のお決まりだ。バックルームでスマホを弄ってる美樹本さんの元にパスタを持っていくと、彼女はパッと表情を明るくして、スマホを机の上に置いた。
「先輩、お疲れ様っすー!」
「お疲れ。ほい、昼飯だぞ」
「あざっすー。わー! 海老のトマトクリームパスタだっ! やったー! これ私好きなんですよー」
冬季限定で出してるパスタを受け取った美樹本さん。その手元のスマホの画面が何気なく目に入った。どこか見覚えのある画面だ。……ってライリーだ! びっくりした。こんな身近なところでライリーを見ている人がいるなんて。
「美樹本さん、もしかしてそれって小説サイトの……?」
「え? ああ。そうっすよ! ライリーです。先輩も知ってるんすねー」
そりゃ小説を投稿しているからね、なんて言えるわけはないので「ま、まあな」なんて曖昧に微笑む。
僕がライリーを知っていたからか、ニコニコ顔の美樹本さん。男連中が気にするのもわかるほど可愛らしい。
「友達から借りたラノベが面白かったんすけどー。二巻までしか出てないんすよ。聞いたら原作はネットで連載されてて、かなり先まで話は進んでるって言うんで、読んでるんですよねー」
美樹本さんはラノベとか読む人だったのか。お世辞にもあまり読書とかするようには見えなかった。陽キャラだと思っていた。人は見かけによらない。
「なんてやつだ?」
「これっすー」と画面を見せてくれた美樹本さん。「あっ」と声が出そうになって慌てて口をつぐんだ。そのタイトルは僕も知っていた。ライリーでPV、評価数ともにトップクラスの作品だった。書籍化もして二巻まで出版されたのだが、作者がSNSで《二巻の初動売り上げが予定を大幅に下回ったため、営業サイドから続編の出版はできそうもありませんと連絡がありました》と呟いていたのを見かけた。
「でもなんか続編は発売されないみたいなんすよねー」
僕が気を使って言わなかったことを美樹本さんはさらっと言ってのけた。
「そうなの?」知っているのに、知らないふりをする。
「なんか売れなかったみたいで打ち切りみたいっすねー。面白いんですけどねー」
美樹本さんは知っていたようだ。
「だからネットで読んでるんだな」
「そーっす。応援になればと思って二巻とも買ったんすけど、今更買っても何の影響も無いみたいでちょっとムカつきました」
「打ち切りが決まった後だとね、仕方ないかもな」
「でもー。漫画とかなら打ち切りでもちゃんとまとめるじゃないすか無理やりでも。『俺たちの戦いはこれからだー』って言って『〇〇先生の次回作にご期待ください』みたいな。でもラノベってそれすらないらしいっすね。続きが気になる伏線張りまくったままで打ち切りとか。出版社側は作者のことも作品のファンのことも何も考えてないっしょーコレ。ちょっとイラっとしますよ」
パスタをくるくるフォークに巻きつけながら美樹本さんは続ける。
「出版業界は厳しいって話ですけど、なーんか業界の人たちが馬鹿なだけなんじゃないかって、私は思うっすよー。作家は使い捨てのライターじゃないんすよ。火がちょっと付きにくかったからってオイルが残ってるのに捨てちゃうみたいで、なーんか嫌っすね。そーゆー大人」
巻きつけたパスタを口に運んで「ほいひー(おいしー)」と歓声をあげる美樹本さん。
「ライターだけにな」と苦笑しながら言うと口にパスタを入れたまま美樹本さんは「ほうっふ、ほうっふ」(そうです、そうですと多分言っている)と頷いた。それにしても美樹本さんが意外とラノベ界隈の事に詳しいことには驚いた。
「美樹本さん、なんでそんなに詳しいんだ?」
「単に作者の【Tubuyaita-】をフォローしてたんで、そこから流れてきた情報の受け売りっすよー。私バカだから間違った情報なのかもしれないっすけどー」
えへへ、と照れたように笑う。屈託のない笑顔。
それにしても、美樹本さんはこのラノベの作者をフォローしていたのか。案外SNSでニアミスしているのかもしれないな。
「しかも聞いてくださいよー。この作者は続編が出せないって言われて、やる気をなくしちゃったみたいで、ウェブでも続きはもう書かないって言い始めてるんすよ。本当に面白いのにもったいないっすよねー」
美樹本さんは大きなため息をついて肩を落とした。そんなにハマっているのか。僕も読んでみよう。あ、でも途中で放り投げてるのか。うーん、完結しないと分かりきってる物語を読み始めるのは少々億劫ではあるな。
「まぁ、売れないものを書いても仕方ないとその作者も思ったのだろうな」
「でも、それっておかしくないっすか? ウェブには読者がいて続きを楽しみに待ってたのに、書籍の発売がなくなったからって途中で放り投げるなんて」
「うーん。難しいな。小説を書くのが本当にただの趣味なら、やめる必要はないけれど、仕事として考えたら金にならないものをやる意味はないからな」
美樹本さんは腑に落ちない表情で整えられた眉を歪め「むぅ」と唸る。
「なら、純粋な読者にとってはネット小説の書籍化なんて害悪でしかないですね」
バッサリ言い切る美樹本さん。僕は苦笑しかできない。
「書籍化するのが偉いかって言うと違いますよね? 発行部数が多い小説が名作かって言ったら違いますよね? 出版社の人は自分たちから書籍化しましょうって言っておいて、売れなかったら手のひら返すなんて酷くないですか? 三巻確約なんて言って書籍化しておいて、売れなかったから二巻で打ち切り、なんて話もあるみたいですし、なら初めから何巻も出すかのような雰囲気で始めないでって、そう思いません?」
美樹本さんは好きな作品が打ち切り、加えてウェブ連載も辞めるという事態に随分と憤ってるみたいだ。
正直言って、僕はこれまで小説家デビュー後の事などを考えたことがなかった。
漠然と、デビューしたら人気になってお金がジャンジャカ入ってきて、左団扇でモテモテ、不労所得で朝寝が楽しいぜ! みたいなイメージしかなかった。でも考えてみたら、毎年物凄い数の小説が世に出ているのだから、その中で生き残るのはかなり大変なのだろう。
「もう電子書籍とかで自費出版すればいいんすよ、やりたいように。ほら、音楽とかではメジャーで出すこと自体に興味がないアーティストもいっぱいいるじゃないですかー。音楽を単なる金儲けの道具としか思っていない業界人の指図を受けて売れ線の曲を作るより、自分や自分のフォロワーが楽しめる曲を作ることを第一目標にしてる人たちがいっぱいいるでしょ。小説界隈もそうなれば良いんですよ。いつまでも発行部数がどーとか、レーベルがどーとか。もう時代遅れなんすよー。売れたラーメンが一番美味しいラーメンなら、カップラーメンが一番美味しいことになりますけど、違いますもんね?」
パスタを食べながらも美樹本さんは熱く語る。普段の美樹本さんからは想像できない熱量だったので驚いた。
「ちょっと美樹本さんの印象が変わったよ。色々考えてるのな」
「そーっすか? でも、テキトーっすよ。ほぼSNSで誰かが言ってた事の受け売りですし私バカだからあんまり深くは考えられないし、ラノベ以外の堅い小説なんて読めないし。でもー、ちょっとおかしいんじゃないかなーって思うんすよねー」
「僕は小説を読むのは好きだが、業界のことなんか考えた事もなかったよ。凄いな美樹本さんは」
素直な気持ちを言ったのだが、美樹本さんは両手を振って否定する。照れてるみたいだ。
「やだやだ。もう私を褒めても何も出ないっすよー。あ、そうだ。先輩もライリー読むんならオススメ教えてくださいよー。私も本を読んで少しは勉強しないとーって思ってるんすけどー」
オススメを聞かれるとは思わなかった。苦し紛れに話題を変えた感じだ。まあ社交辞令で聞いて来たのだとしても、せっかく聞いてきたのだからちゃんと紹介せねばなるまい。
「そうだなー」と少し考えて、思いついたのは『一日博士』と佐伯さんこと『さつき風香』だった。二人ともテンプレの異世界ラノベとかでもないし、一般人の美樹本さんにも読みやすいのではないかと思ったのだ。
さすがに自分のは恥ずかしくて紹介できなかった。星もあんまりついてないし。
「わーい、先輩のオススメならきっと面白いんでしょーねー!読んでみまーす!」
そう言って美樹本さんはすぐに検索した二人の作品をフォローした。お、ちゃんと読んでくれるのかな、と僕もその素早い動きに感心したのだった。
……しかし、この出来事がその後の僕を大いに苦しめることになるとは、この時は予想だにしなかった。
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