「同じ小説家志望の人だからって、ネットの繋がりは信用してはいけない。」


 そんなわけで、僕は新しく小説投稿サイト【ライリー】のアカウントを作り直し、それに紐つけてSNS【Tubuyaita-】のアカウントも作った。もう名前で格好つけるのはやめた。

 本名をちょっといじった程度でひねりのない名前でやることにした。炎上した前回の失敗を活かして、今回は悪目立ちせぬように作家生活をスタートさせたのだった。


 ビガンゴさんにアドバイスを貰って書き上げたあの長編は、もう投稿できないので新たに短編を書いて投稿してみた。自信満々でアップしたのだけれど、やっぱり、あんまり読まれない。悔しいが、今回は慌てずに悲観せずに、ちょっとずつやっていこうと決めたのだった。菩薩のような気持ちでね。


 佐伯さんから連絡が来たのは、そんな時だった。


『先輩。生きてますかー?』


 バイトから帰宅した夜のこと。

 通知音と共に佐伯さんからのメッセージがスマホの画面に表れた。瞬時に全てに気づいた僕は叫んでいた。


「し、し、しまったぁぁぁ!!」


「なになに? 突然どうしたの?」


 寝っ転がって漫画本を読んでいたビガンゴさんがびっくりして飛び上がった。


「佐伯さんに小説の感想を言うの忘れてました!」


 そうなのだ。いつもならば、佐伯さんに渡された小説は即座に読んで、感想をまとめて直ぐに伝えていたのに、今回は『ライリー複垢騒動』やら何やらがあったせいで、感想を伝えるのをすっかり忘れていたのだ。


『こんなことを自分から言うのは心苦しいのですが、小説って読んでもらえましたか? あんまり面白くなかったでしょうか』


 連投で送り込まれるメッセージ。落ち込むウサギのスタンプつき。

 慌てた。そりゃもう大慌てだよ。なぜ僕は彼女に感想を伝えるのを忘れてしまっていたのだろう。一番大切なことじゃないか。僕にとって佐伯さんとの現実社会での接点はこれしかないのに。SNSの顔も知らない奴らとの炎上バトルに気を取られて、一番大事なことを忘れていた。ばかばか、僕のばか。


『すまない。忙しくて感想を伝えるのを失念していた。面白くないわけがない。大変感動した。いい話だった』


 急いで返信をする。嫌われてしまってはいないだろうか。ドキドキしながら返事を待つ。


『本当ですか? いつもはすぐに感想をくれるのに、なかなか来なかったから、つまらなくて読むのを途中でやめてしまったのかと思ってました』


 返信に続けて、照れた感じで少女が微笑むスタンプが送られてくる。僕はメッセージの文面から、彼女が僕からの返信がないために落ち着かなくて不安で眠れない夜を過ごしていたであろうことを瞬時に見抜いた。佐伯さん研究の第一人者である僕の直感なのだから間違いはない。もちろん、具体的なことはメッセージには何一つ書かれてはいないが、僕と佐伯さんは運命の赤い糸で結ばれているのだ。そのくらいわかる。僕は文面からだけでも彼女の繊細で可憐で透き通る清流のごとき心の揺らめきを読み取れるのだ。本当だ。妄想じゃない。キモい? うるさいキモくはないだろ。


 それほどまで佐伯さんのことを思っている僕としたことが、なんたる失態!!

 猛省だ。頭を丸めて反省すべき事案である。ネット小説を投稿したことで、人から感想がもらえるということが、どれだけ貴重なことなのかなんて、わかっていたはずなのに。


 即座に長文で感想を送った。あの小説を読んでから既に何日も経ってしまっているが、感想は湧き出るように出てきた。それくらい素晴らしい小説であった。丸川小説大賞の二次選考へと進んでいる作品なのだから、講評はプロからもらえるのであろうけど、個人的に気になる部分や、分かりにくかった部分なんかも一応書き添えておく。見当違いなことを言っていたら恥ずかしいけど、今更これまでのルーティンを変えることはできなかった。


 しばらくすると、返信が返ってきた。


『ありがとうございます。いつも通りに色々言ってもらえて、ちょっとホッとしました。実は最近ネット小説というものを始めて、過去の作品をちょこちょこ載せたりしているのですが、貰えるレビューのコメントが私としてはあまりしっくり来てなくて、不安だったんです。先輩は感じたことを細かい部分も言ってくださるので、嬉しいです』


 う、出た。ネット小説! 佐伯さんが小説投稿サイト【ライリー】に小説をアップしているのは既に知っている。それどころか、『さつき風香』名義のアカウントのSNSだって昼夜問わず張り付いて監視……じゃない、なんだ、あれだ、見守っている。佐伯さんは僕がライリーのアカウントを持っていてこっそり短編を投稿しているなんて微塵も思っていないだろうが、僕はいつだって佐伯さんのそばにいるのだ。呟きをじっと見つめているのだ。昨日の夜ごはんが豚の生姜焼きだったことも、最近眼鏡の度が合わなくなってきたことも。全部知っているんだよ。


「ネットストーカーでしょ。それ。ドン引きなんだけどぉ」


 冷めた目でビガンゴさんがいう。


「失敬な! 僕は佐伯さんを守るためにやっているだけです!」


「誰から? 眼鏡ちゃんにちょっかいをかけてる一日博士って奴からかい?」


「そ、そうです! あの男、ちょくちょく佐伯さんの呟きに反応するんです! いったい何様のつもりなんですか。絶対危ない奴です。僕が守らなければ」


 固くこぶしを握って誓った。あの一日博士とかいう奴は、佐伯さんが何かを呟くたびに、そこそこの頻度でリプをするのだ。で、佐伯さんもなんだかんだ楽しそうに返事をしているのだ。僕というものがありながら!


「そんなに悪い人じゃないとビガンゴは思うけどなぁ」


「奴は絶対にロクでもない男です!」


 そうだ。ならば佐伯さんに警告をしてあげれば良いのだ。インターネットは怖い連中ばかりだから心を開いてはいけない。


 同じ小説家志望の人だからって、ネットの繋がりは信用してはいけない。


そう言ってあげれば良いのだ。だってそうだろ。小説家になろうとしている奴なんて普通じゃないんだから。ちょっとでもSNSをやってみればわかるだろう。ヤバイ奴だらけだからな。特にネット小説界隈なんて自意識の塊みたいな奴らしかいないし、本当にロクでもない。僕だって炎上する羽目になったし、あれだって、僕はそんなに悪くないのだ。ちょっとした出来心なのに、ネットの住人たちは鬼の首を取ったかのごとく喚き散らして。ああ、思い出したくもない。


 佐伯さんには僕のような辛い思いはして欲しくないものな。よし、頼りになる先輩が直々に佐伯さんへ忠告してあげようかな。


『佐伯さん。顔も知らないネットの人たちの言葉なんて気にすることはない。顔が見えないから言いたい放題に悪口暴言を言いふらし、揚げ足を取っては人を貶すんだ。同じ夢を追いかけているから仲間と誤認してしまうかもしれないが、心を許してはいけないよ』


 よし。送信っと。

 ふふふ、なんてありがたい言葉なんだ。自分を心から心配している先輩からの返信を読めば佐伯さんは『ああ、あんな一日博士なんかに構うのは辞めよう。私には先輩がいるんだからっ』と運命に気がつき、頬を朱に染めてベットの上でクッションかぬいぐるみか、そこらへんの何かをむぎゅうっと抱きしめ、自分のうちなる淡い恋心に身を焦がすであろう。


 すぐに返事は来た。


『いやいや、そんなに悪い人ばかりじゃないですよ。オフ会とかで会いますけど、みんな真面目でいい人です。そうじゃないんです。私がやってるライリーってサイトはレビューや応援コメントではマイナスなことは言わないってマナーがあるんです。サイトの登録者が読み手より書き手の方が多いからなのかもしれません。褒められれば嬉しいんですけど、本当の実力がわからなくなっちゃうって言うか。仲間だから甘く評価されてるみたいで、もやもやするんです。すいません、こんな長文を送ってしまって。』


 むむ。どうやら僕が思っている以上に佐伯さんは思い悩んでいるみたいだな。ともかく佐伯さんは真面目すぎるのだ。そして自分に対する評価が過小なのだ。だから褒められても素直に喜べない。誰かに言われた言葉の裏側を読み取ろうとして自分を苦しめるのだ。彼女は丸川文庫の小説大賞の一次選考だって通過しているし、小説サイト【ライリー】でも星を200も獲得している人気作家なのに、なぜそんなに自分を認められないのだろう。僕が新しいアカウントで書いた短編小説なんて、星はゼロだよ。ゼロ。


「うーん。眼鏡ちゃんも悩んでいるんだなぁ」


 いつまにかビガンゴさんが僕のスマホを覗き込んでいた。


「佐伯さんは真面目なんですよ。いい意味でも悪い意味でも」


「ビガンゴもいろんな人を見てきたけどね。才能があって結果を残しているのに、自分を認めてあげられなくて次第に腐っていってしまう人ってのが、やっぱりいるんだよね。眼鏡ちゃんはもしかしたらそっち側の人間かもしれないねぇ。それは性分というか性格だから仕方ないのかもしれないけど、卑屈になると良いことないから気をつけないといけないよ。……その点。君みたいな根拠のない自信を持っている人ってのは何度失敗しても雑草みたいに立ち上げるから偉いよね。ま、そして何度も同じ失敗を繰り返すんだけどね。どっちが幸せなのかなぁ、人として」


 ……なんだか凄くバカにされた気になるのだが、なんでだろう。


「とにかく、随分と佐伯さんは悩んでるみたいですね。こんな時こそ先輩であるこの僕の出番でしょう。そうだよ。ちょっとお茶でもして話を聞いてあげた方がいいな。別に全く下心はないですけどね。誰かに話すだけで悩みなんて消え去るものですからね。僕も忙しいけど、仕方ない。時間を作ろうかな」


「なにを勝手に言い訳を始めているんだよ。ビガンゴは何も言ってないでしょ。好きにすればいいじゃない。それよりも、眼鏡ちゃんからの文面で何か気づくことはなかったの? 君はお気楽だなぁ」


 やれやれと、お得意の僕を小馬鹿にした態度をとるビガンゴさん。なんだよ気になることって。

 改めて佐伯さんからの返信を眺めてみる。悩みを抱える乙女である。不安に心を蝕まれ誰かに頼りたい想いでいっぱいな、いたいけな女の子である。寂しく一人膝を抱えているかもしれない。うん。後ろから抱きしめてあげたい。 「大丈夫だよ」と耳元で甘く囁いてあげたい。ああ、佐伯さん。


 ……てアレ?

 ちよっとまて、重大なことに僕は気づいたぞ。

 佐伯さんの返信をもう一度注意深く読む。やっぱり。なんてことだ……。


「……オフ会に行ってるみたいなんだけど。ビガンゴさん」


「そうみたいだね、というかさ。【Tubuyaita-】のやりとりを見てるだけで普通気づくと思うんだけど。前にも眼鏡ちゃんは一日博士に、『また飲みに行きたいですね』とか言っていたじゃない」


「そ、そういえば……」


 ということは、なんだ?

 佐伯さんはあの憎き一日博士なる変態野郎と少なくとも一度は実際にあって食事なりお酒なりを楽しんでいるということか。

 なああにいいい!!


「ひ、ひどいですよビガンゴさん! 気づいていたなら、なんですぐに言ってくれなかったんですか!」


「言わなくっても気づくでしょ。普通」


 なんという無慈悲な!

 あの可憐で純粋な佐伯さんが、何処の馬の骨ともしれぬネット界隈の有象無象どもと仲良くお酒を飲んでいるなんて!


「SNS上でも随分と親密な感じだし。もしかしたら眼鏡ちゃんは一日博士と……」


「お、憶測でモノを言うのはやめていただきたい! 佐伯さんに対して失礼だ!」


「まだビガンゴはなにも言ってないじゃない」


 ダメだ! ダメだ! なんてことだ! 頭が混乱する! なんてことだ。佐伯さんがあの一日博士と親密だって?

 男と女がお酒を囲んでしっぽり?

 やめてくれ! 僕の脳みそよ! 想像するな! そんなことはない! 夢だ!!

 だあ! だめだ。殺す。殺してやる、殺してやる。一日博士は殺してやる!

 ぐぎぎぎ、と奥歯が割れるほど歯ぎしりをしている時だった。

 ピロン、と何かの通知音がPCから鳴った。

 覗き込んだビガンゴさんが歓声をあげた。


「……あ、君! ねえ! ライリーの君の短編にレビューだよ! やったね! 初レビューじゃない!」


 くたばれ一日博士。佐伯さんはお前になど渡さん。お前の汚らわしい手など切り落としてくれるっ。


「ちょっと、聞いてる? うわ。なんて顔してんの。怖っ!」


 僕の顔を見て怯えた様子のビガンゴさんに、その顔のまま返事する。


「なんですか! どうせ迷惑メールが来たとかでしょ!」


「いや、だからライリーだって。星三つもつけてくれてレビューまで書いてくれた人がいるよ!」


「……え? うそ! ほんとですか!?」


 ビガンゴさんを押し退け、PCの画面にかじりつく。

 画面右上に現れた通知をクリックすると、作品につけられたレビューのタイトルが現れた。


『ハラハラドキドキの5分間! 斬新な切り口で短いながらも濃厚なひと時を過ごせる短編片思い小説!』


 うわ、何これ嬉しい。初レビューだ!

 ライリーデビューから三週間。アカウントを変えて短編を公開してから二日。僕の作品に初めてレビューがついたのだ。

 誰からついたのだろう。なかなか見所のある人もいたものだ。先見の明がある。のちの天才作家であるこの僕の小説を面白いと理解できたのだ。

 どれ、戯れに其の者のアカウントを覗いてやろう。

 アカウント名を目で追う。


 レビュー投稿者「一日博士」



 思いがけない名前がそこに会ったのだった。



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