「なんか根暗なオタクばかりでしょ? ネット小説って。」
ピザを作って、パスタを作って、サラダを作って、バイト仲間と駄弁って。
昨日のことが嘘のように、僕の日常がそこにあった。
ホールスタッフで女子大生の美樹本さんは相変わらず、おっぱいが大きいし、劇団員の坂上さんは今日もまた腹を空かせていて、目を離すとすぐにつまみ食いするダメな大人の典型だ。
とはいえ年齢も性格もバラバラな仕事仲間というのは、それはそれで人生において割と重要な存在なのだ。
プライベートで会うことなんてないし、性格も合わないから遊んでも盛り上がりはしないだろうけど、同じ船に乗る船員のようで、皆で協力して一つのものを作っている仲間だ。そこに絆がある。好きとか嫌いとかではない。
それに仕事中は煩わしい悩みだって忘れることが出来る。
ランチもディナーも平日にしては売れた。店長がいないから、緊張感はなかったが、ピークタイムはそれなりに引き締まる。
大学入学の時から始めたバイトなので、今では古株だし責任のある仕事も任されている。まあ、できる男だからな。
そして何よりも仕事中は無心になれる。余計なことは忘れていられるのだ。定職につかずに親に小言を言われていることも、自信があった丸川の一次選考に落ちたことも、後輩の佐伯さんがその選考を通過して遠い存在になってしまったことも。
夜十時になり、締めのメンバーが来たので今日のバイトは終了だ。
明日は休みだから、昼まで寝ていよう。と、思った瞬間に、ハッとする。
家には
自分の家に変な生き物が居座っていることを思い出して、愕然とした。
自らを物語の神様と自称する、珍妙な象人間。ビガンゴである。
奴はおとなしく部屋の中で僕の帰りを待っているのだろうか。いや、どうせならいなくなってくれた方がいい。というか、やっぱり夢じゃないのかな。象人間なんているわけないよな常識的に考えて。
そうだよ。きっと夢だよ。夢。泥酔の挙句に見た悪夢だったのだ。
家に帰れば誰もおらず、いつもどおりのボンクラ生活がまた始まるんだ。それでいい。小説家になれなくたってダラダラ生きていけばいい。
そんなことを思いながらアパートに帰ると、しっかり奴はいた。
「おかえりぃ。待ってたよぉ。ビガンゴお腹減っちゃったよぉ~、なんか買ってきてくれた?……って、なんで頭を抱えているんだい?」
「……全てが夢なら良かったのにと、心から思ったからです」
「何を言っているんだよ。物語の神様が直々に助言をしてあげようとしているんだよ。今こそ夢のような幸せタイムだよぉ。……そうだ。それよりさ」
そう言ってビガンゴさんは分厚い紙の束を僕の前に置いた。昨日、佐伯さんから受け取った小説だ。
「読んだんですか?」
勝手に人の小説を読むなんて、非常識な象だ。
「うん、ビガンゴは物語の神様だからね。いやぁそれにしても、良い物語だったよー。是非、君にも読んでもらいたい! そして感想を聞かせて欲しいよ!」
元々、僕が読むために借りたのだ。あなたに言われなくても読む。興奮した面持ちで鼻をうねうねしている(きもい)ビガンゴさんから紙を受け取り、平べったい布団の上に置く。
なにせ丸川小説大賞の一次選考を突破した作品である。どんな作品に仕上がっているのか興味津々だ。すぐにでも読みたい気持ちはもちろんあるが、とりあえずシャワーを浴びてからだ。昨日は変な象を拾ってしまったせいで体を洗う暇さえなかったのだ。
今日、バイト先で女子大生の美樹本さんにも「なんか先輩、全身から獣の臭いがするっすけど、象でも飼い始めたんすかぁ?」なんてピンポイントなコトを言われたからな。
念入りに身体を洗って、シャワーから上がるとビガンゴさんはパソコンの前に座っていた。SNSなんぞを見ている。僕のアカウントからだ。やめてくれ。個人情報だぞ。
「ちょっと! 勝手にいじらないでくださいよ」
慌てて駆け寄るがビガンゴさんは、しっしと手を振るだけで退く気もない。相変わらず嫌な奴。
「まあまあ、固いこと言わずにさ。それより、はやくそれを読みなよ。早く感想を伝えてあげた方がいいぞ。君、あの子のことが好きなんだろう?」
「ななななにを言っているんですか。誤解ですよ! ただの後輩ですよ。ただの!」
突然何をいうんだ。この象は!びっくりした。慌てて否定するがビガンゴさんはニタニタ笑って「えー本当かい?」とか言ってる。性格悪い象だ。腹がたつ。無視だ無視。無視して、佐伯さんの小説を手に取る。
「僕は小説を読みますからね、黙っていてくださいね」
そう言い放って背を向けた。
自分の部屋に青い象がいる状況で、集中して読書をするというのは中々難しいと思ったけれど、そんな心配は杞憂であった。
読み始めると一気に物語の世界に引き込まれた。
佐伯さんの作品は、知り合いが書いた作品とか、そういうのを抜きにして素晴らしい出来の作品だった。
「す、すごい……」
あっという間だった。
読み終わると、感嘆の声が漏れた。悔しさすらない。完敗だ。こんなに面白い小説だったなんて。一次選考を通るのも納得だ。
「だよね。とっても良い作品だったよね。ビガンゴ感動しちゃったよぉ~」
ビガンゴさんもそう感じたのか。物語の神様を感動させる作品を書くなんて、佐伯さんは凄い。
「ビガンゴさんからみても良い作品でしたか?」
「うん!うん! ビガンゴ興奮しちゃった!」
耳をパタパタしてビガンゴさんは満足そうだ。
「大賞、とれますかね」
「かなり良いんじゃないか? 他の作品も素敵なの多いし、実力がありそうだよ!期待の新人さんだねぇ!」
物語の神様に褒められてるぞ、佐伯さん。自分のことのように嬉しい。
でも。
あれ? 今ビガンゴさんは不思議なコトを言ったぞ?
「今、他の作品って言いました? どういうことですか?」
「え? 何、アレェ、君知らなかったの? あら。それは意外だったなあ」
なんか含みのある言い方だ。また僕をからかう気なのか、ビガンゴさんはマウスを操作して、パソコンの画面にあるサイトを映し出した。
「ほら、これ。見てみなよぉ~。これ眼鏡ちゃんだろ?」
身を乗り出して画面を見る。『小説投稿サイト。【ライリー】』なんだこれ。
「君も小説家志望とはいうものの、全然知らないんだなぁ。ネット小説だよ」
ネット小説。聞いたことはあるぞ。昨今流行りみたいで、少し前に何かの拍子に覗いたことがあった。なんか痛い感じの最強主人公が美少女に囲まれてどーのこーのっていうあらすじを読むだけで恥ずかしくなる小説が連載されていた。
これがなんだというのか。
「ほら、君の後輩の眼鏡ちゃん。えっとペンネームは『さつき風香』さんね。ほら、このサイトで作品をいくつもアップしているよ」
「え? 本当ですか?」
ビガンゴさんを押しのけて、パソコンの前に陣取る。
確かに、画面に現れたのは「さつき風香」のアカウントページ。
並べられた作品の中には、見覚えのあるものもあった。以前、僕が佐伯さんから読ませてもらったものだ。
「し、しらなかった。佐伯さん。ネット小説なんかやっていたんだ」
作品名の隣には星のマークがあり、その横に数字が記載されている。多分作品の評価数なのだろう。百を超えている作品もちらほらある。
「バスケットボールと子犬」星104
「初恋列車」星180
「名探偵は珈琲男爵」 星200
「星が100を超えていれば中々良いんじゃないかな。ちょっとサイトの読者層とズレてる作品が多いから一概にはいえないけどね」
ビガンゴさんはお得意の速読で全ての作品を読み終えていたみたいだ。
僕は言いようのない寂しさを感じた。佐伯さんは自分の作品を僕にしか読ませていないと思っていた。高校の時がそうだったから。
「今は簡単に自作を発表できる時代だからね。昔と違っていろんな人が小説を書いたりできるんだよ。ほら、眼鏡ちゃんの作品のレビューを見てごらん。既にファンがいるよ」
言われるままにレビューを覗く。
『最高でした』
『号泣しました』
『書籍化はよ!』
『みんなに読んで欲しい』
ずらりと並ぶレビューは、ほぼ全てが佐伯さんの作品を賞賛しているものだった。
「……絶賛の嵐じゃないですか」
「サイトの特性上、辛辣な意見は書き込まれないからね。でも、ビガンゴ的にはもうちょっと評価されていても良いと思うんだ。もったいない。まあネット小説は異世界ラノベが主流みたいだから、しかたないかもしれないけどなぁ」
僕自身はラノベには疎いが、よく深夜にやっているアニメも確か、ネット小説が原作だった。異世界に召喚される若者が主役のものだったな。
「眼鏡ちゃんはSNSでも人当たりが良いし、フォロワも多いからそこから読みに来る人も多いんだろうね」
青い鳥がマークの日本でだけやたら人気の「呟き型」SNSのことか?
「そうそう。見てごらん」
この象め。一日中、佐伯さんのことを調べていたのか。暇な神様だ。
SNSの検索で、「さつき風香」と入れると、瞬時に佐伯さんのアカウントが出てきた。フォロワ数は八百人を超えている。
おいおい。
に、人気者じゃないか。
呟きを見ていくと、丸川小説大賞の一次選考を通過したことを報告するものがあり、多くの人からお祝いコメントが寄せられている。
おいおい!
人気者じゃないか!
しかも佐伯さんはその一つ一つに丁寧に返事を返している。
マメだ。佐伯さんはマメだ。
「どうだい? 実は眼鏡ちゃんは既に小説サイトの中ではそれなりの知名度を持っていたんだね」
佐伯さんめ。僕に内緒でこんなことを!
いや、別にいいんだけど、僕はただの先輩だし。どうせ、僕なんか佐伯さんにとって恋愛対象でもない、ただの先輩だし……。
「大の大人がそんなことでいじけるなよぉ。……でもね、君のためにビガンゴは考えました。いい話があるぞお」
「何ですか。僕はもう疲れました。寝ます」
ふて寝だ。ちくしょう。佐伯さんなんて知らない! ネットの顔の見えない奴らと楽しくしてればいい。いや、別に僕は元から佐伯さんのことなんて何とも思っていないけどな!
「ちょっと、待ちなってー。君もこの投稿サイトに小説をあげてみなよ。 君の作品はどちらかというラノベ寄りだし、こういった若い読者が多い所の方が人気になれるかもしれないよー」
「ネット小説ですか。あんまり気乗りしないですね」
「なんでだい?」
「だって、なんか根暗なオタクばかりでしょ? ネット小説って。僕はあんまりアニメとか詳しくないし、オタクに混じるのはちょっと……」
「ちょっと何を言ってんのさ。君だって十分根暗なオタクだろう?」
「失敬な! 僕は違いますよ!」
「ビガンゴ的には同じにしか見えないぞ。単なる同属嫌悪じゃん」
「やめてください! 違いますって」
「まぁ、君がオタクかどうかはどっちでもいいけど。で、ネット小説やる?」
「やりませんよ。僕はちゃんとした小説を書きたいんです。ネット小説? ラノベ? そんな低俗なものはやりたくありません」
「ぱぱぱぱおーん!!!!」
突然の咆哮。驚き飛び退く。
「わわ、なんですかいきなり」
「そういう発言は看過できないぞぉ! 作品ジャンルに貴賎なしだよ! どんな作品でも作者は一生懸命書いてる! それをバカするなんて!あろうことか小説を書いている君が言うなんて!ビガンゴは許さないぞ!」
鼻をあげて耳をはためかして、象らしい怒りのポーズだ。
「わ、悪かったですよ。そんなに怒らないでくださいよ」
「ふん。もし、また同じような事を言ったら出てくからね!」
……いや、出て行っては欲しいんだけど。
「それにだ。ビガンゴ考えたんだ。ネット小説というのは誰が書いたかわからない。君がネット小説で人気になれば、自ずと同じサイトで活動する眼鏡ちゃんも君の事を認識する。この素敵な小説を書いた人は一体どんな人なのかしら、と眼鏡ちゃんは思う。そこで、君が正体をバラす。さぁ、どうなると思う?」
何をバカみたいなことを言っているのだ。……ん。いや、待てよ。ふむ、なるほど。ビガンゴさん、象のくせに中々良いアイデアを出すじゃないか。
素敵な小説を書く匿名の男。それが誰なのか、誰も知らない。ヒーロー的だ。
スーパーマン的な、デビルマン的な、誰も知らない知られちゃいけない的な、そんなミスターXに僕がなる。すると、たちまちネット小説界で人気になる。
ファンは僕の正体を噂し始める。作品から滲み出る育ちの良さ。文章から湧き上がる紳士感。おしゃれな言い回しにうっとりと頬を染める読者の可憐な乙女たち。
皆が僕の正体を噂するのだ。もちろん。佐伯さんも!
そこで、満を持して正体を明かす。
『まあ、あんなに素敵な小説を書く人が先輩だったなんて……。どうしたのかしら、佐伯、急に熱が出てきたみたい……。心臓の鼓動も早くなっちゃってます……。先輩。佐伯の胸のドキドキ。先輩からのキスで止めてください……」
なんちゃって。なんちゃって。ばか、よせよ佐伯さん。そんなキスなんて! ぐふふ、うふふ。
ときめくぞ。運命的だ!
これで行こう!!
決めた!
「何を一人でポッポポッポ言ってるの。気持ち悪いなぁ」
「……ごほん。ビガンゴさんのいう通りですね。僕のライトでポップな文体はネット小説に向いてるかもしれません。やってみる気になりましたよ」
「……君、本当にわかりやすい性格だね」
ビガンゴさんはなぜかあきれた様子でパソコンの前に来てマウスを操作する。
「それとね、面白い物を見たんだよ。ま、眼鏡ちゃんのことを好きじゃないなら、どうでもいい話になるけど」
「無論です。佐伯さんはただの後輩ですから。全然恋愛対象じゃないですね。……で、なんですか?」
「ちょっとこれ見てみなよぉ」
ニヤニヤしながらビガンゴさんが出した画面は、さっきの丸川小説大賞の一次選考を通過したという佐伯さんへのコメント蘭だった。
皆が祝福する中、見逃せないリプライがあった。
『おめでとう!風香ちゃん! きっと風香ちゃんの作品なら大賞間違いなしだよ! 前祝いに今度飲みに連れて行ってあげる!(モチロン 二人っきりで夜景の綺麗なバーでねっ)』
送った相手は『一日博士』
それに対して佐伯さんの返信は……。
『もう、博士はいつもスケベさんなんだから(でもまた皆で飲みに行きたいですねー)』
な、な、な、なんだこいつは!!!
誰じゃ!!
佐伯さんに対して、なんという破廉恥な!!
ワナワナと手が震える。この感情はなんだ、怒りだ! 憤怒だ!僕がもしグレゴリウス7世だったら憤死してるぞ!
「誰ですか!? こいつは!?」
叫ぶと、ビガンゴさんがそいつのトップページへと画面をきりかえた。
アカウント名『一日博士』
「小説サイト、ライリーで小説を書いてます!
第三回ライリー小説コンテスト読者選考突破!皆さんありがとう!!
ハートウォーミングなSFを書いてます☆」
……何がハートウォーミングなSFだ、ただのエロ野郎じゃないか。
こんな奴に佐伯さんは渡さない。どうせ、クソつまんない小説を書いてやがるんだろう。負けるものか。
絶対にこいつより人気になってやる!! 見てろよ、ネット小説家ども。
僕が佐伯さんをお前たちの汚い手から守ってみせるのだ!
こうして、僕は佐伯さんをネット小説家(きもいオタクどもだろ、どうせ)の悪の手から守るため、小説投稿サイトへ足を踏み入れることに決めたのだった。
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