「小説を書いてるなんて、あんまり人に言わないほうがいいぞ。変な目で見られるから」


 しこたま飲んで、たらふく食べて、お腹は膨れたけれど財布は痩せ細った。さらば諭吉。またどこかで会おう。


「今日はありがとうございました! もし二次選考も通過したら、今度は私が焼肉を奢りますからね!」


 佐伯さんは上気した顔を綻ばせ、悪戯っぽく笑い、それから礼儀正しく、ぺこりと頭を下げた。可愛い。抱きしめたい。


「うむ。その時はよろしく」と改札を挟んで向かい合った僕は手を上げて、佐伯さんの小さい体を見送った。


 夜空の下、ひとりぼっち。


 佐伯さんの瞳は、まるで夜空に瞬く星のようにキラキラと輝いていたな。浮かれている、と自分で言っていたけれど、浮かれて当然だ。むしろ浮かれるべきだ。あの丸川小説大賞の一次選考を通過したんだから。


可愛い後輩が夢に向かってずんずんと進んでいるのは、先輩である僕にとっても嬉しい事なのだ。喜ぶべきだ。

 ……そんなことは頭ではわかっているのに、心のどこか、隅っこの方で素直に喜べない自分が爪を噛んでいるんだ。


 僕だって選考を通っていたら佐伯さんの比じゃないくらい大喜びして、浴びるほど酒を飲んでいただろうし、ボロアパートの薄い壁越しに隣の住人から壁パンをされたとしても、まるで一人で盆踊り大会でも開催しているかの如く踊り狂っていただろうとは思う。

 だけど、もし、このまま佐伯さんが選考を通過していったらと思うと、悲しくて寂しい気持ちになってしまう。

 どんどん手の届かない存在になってしまうようで。


 立場が変わってしまえば、彼女はもう僕になど会ってくれなくなるのではないか。

 そんな気がするのだ。


 例えば、佐伯さんの作品が書籍化すれば担当の編集がつくだろう。きっと、それはいけすかない前髪の長いチャラチャラした優男で、担当という立場を最大限に利用して、可憐で純粋な佐伯さんにあの手この手で近づこうとするのだ。佐伯さんは優しく素直で真面目だから、編集という肩書きに騙されて、その優男のトンチンカンな意見を聞くようになってしまって、みるみるうちに洗脳されて、僕とは疎遠になっていくのだ。


 そして、気がつけば数年の月日が経っていて、ある日突然アパートのポストに『結婚しました。これからは仕事だけではなく人生のパートナーとして頑張っていきます』などという文字と一緒に前髪を垂らしたキザな担当編集と純白のドレスを着た佐伯さんが笑顔で映る写真が添えられたハガキが届いたりするんだ。もちろん、その時にも僕はボンクラフリーターのままだ。そんな未来が待っていたら……。


 ああああああ!!!

 だめだ!! なんてことだ! 嫌だ嫌だ! 

 耐えられない!僕はそんな地獄には耐えられない!


 佐伯さんと運命の糸で結ばれているのは僕なんだ!

 そんなニヤけた面の優男などに、佐伯さんを取られるなんて!

 そいつを殺して僕も死んでやる! 

 くそ! くそお! それもこれも、僕の作品を通過させなかった選考委員が悪いのだ。


 何故だ! ちくしょう、なんで僕の作品が通過しないのだ。選考委員の目は節穴か。何を見ているのだ。馬鹿か。どうしてこの天才作家の作品を通過させないのだ。

 世に出ている小説だってつまらないものはいくらでもあるではないか。あのアイドルが突然出した小説なんか酷い出来だった。あの芸人が書いた小説だって全然面白くなかった。

 僕の方が、僕の方がまだマシだ!

 くそ! くそ! なんで僕の小説が評価されないんだよぉ。うおおお!!


 悪態をつきながら路地裏を行く。むしゃくしゃしていた。道端に捨てられた空き缶が視界に入る。ちょうどいい具合に目の前にある。憂さ晴らしその空き缶を拾い上げ、思いっきり蹴飛ばす。


 カーン、と心地よい音を響かせて、缶は夜空に舞った。中々良い感じにジャストミートした。八つ当たりをしたって仕方がないことくらいはわかっている。

 だけど、ささくれだった心は止まらなかった。ちくしょう。


 ええい、こんな夜はさっさとアパートへ帰って、PCを起動して猥雑な動画でも見て自分を慰めて寝てしまおう! ちくしょう! ちくしょう!

 待ってろ! セクシー女優!


 そう思った時だった。


 どすん、と背後から音がした。


「……な、なんだ?」


 びっくりして振り返る。

 見れば暗闇に変なものが横たわっていた。さっきまでなかった。何かが空から落ちて来たのか?

 凝視していると、それはもぞもぞと蠢いた。


「……いったたたぁ。びっくりしたなぁもう」


 暗闇に響くダミ声。人? 路上生活者?


「君ねぇ。空き缶はゴミ箱に捨てなきゃダメでしょう」


 苦言を呈した『ソレ』は腰をさすりながら「よっこらせ」と立ち上がった。


「……う、うわあ! バケモノ!!」


 思わず叫んで後ずさりする。

 なぜかというと、目の前に現れたのは、全身が青色で三頭身の象人間だったからだ。

 もう一度言う。全身が青色で三頭身の象人間だったからだ。象人間だぞ。腰を抜かすかと思った。驚かない人間がいるか?

 驚かない人間がいるとするなら、そいつもきっと象人間だ。


 全身の三分の一が頭部。長い鼻と大きい耳。体型はずんぐりむっくりで小学校低学年の児童みたいな低身長。胴長で手も足も短い。大きな頭にはちょこんとベレー帽が乗っかっており、夜だと言うのにサングラスをかけていて、しかもそれがティアドロップ型のワイルドなタイプなのが、異様な雰囲気を醸し出している。で、全身青。

 こんな象人間の神様がインド辺りにいたような気がするが、思い出せない。

 思い出せないが、そのインドあたりの神様とは比べものにならないくらい威厳がない。というか俗世的というかアニメチックというか、ともかく……変だ。


「え? バケモノ? どこ!どこ?バケモノどこ!?」


 青い象人間は僕の声に驚いたようでキョロキョロと辺りを見回している。パタパタと広がる耳をはためかし、長い鼻を揺らして。

 ……お前のことだよ、とツッコミを入れたいところだけど、バケモノ相手にそんなことを言える度胸は僕にはない。


「な、何もいないじゃない。びっくりさせないでよ。ビガンゴはねぇ。おばけとか苦手なんだよ! そんなこと言われたら驚いちゃうよ!」


 ダミ声で叫んだ象人間。なんだこれは。夢か。飲みすぎて幻覚でも見ているのか。目をこすり二度三度瞬きをしてみる。が、目の前の変な生き物は消えない。

 なんなんだ、これ。薬局の前とかに飾ってある安っぽい人形みたいな象。

 ……なにこれ生き物?


「あ、あなたは一体……」


「おいおい、とぼけないでくれよぉ。さっき話していたじゃないの。物語の神様ビガンゴちゃんだよ。ぱおーん」


 気が抜けるようなとぼけた声。

 夢? 幻? なに? 象? ビガンゴ? まじ?


 焼肉屋で佐伯さんが言ってた物語の神様だっけ。あまりちゃんと話は聞いていなかったけど、それは迷信というか作り話というか、現実の話じゃないだろ。あり得ないだろ。


「夢でしょ? 酔っ払いすぎて見てる夢でしょ?」


「本当だって。ビガンゴは嘘は言わないよ。いいかい。ビガンゴはねぇ、この大きくてチャーミングな耳で君たちが話しているのを聞いていたんだ。あの子、赤い眼鏡の子。あの子からはビンビンと物語力を感じたよ。きっと彼女は歴史に残る素敵な物語を紡ぎだすのだろうな」


 腕を組み、うんうんと頷いている。その様子を見ながら、自分の頬をつねってみる。古典的な方法だけど……痛い。どうやら夢じゃなさそうだ。


「ほ、本当に物語の神様とかっていう、ビガンゴ神?」


 佐伯さんが話していた物語の神様。目の前に本当に物語の神様がいるのか?

 にわかに信じられないけど。どうなのだ?

 現代日本で、あるのか、そんなこと。


「だから、そうだよ。さっきから言ってるじゃないの」


「その神様が、どうしてこんなところにいるんですか?」


「だーかーらー、君が蹴飛ばした空き缶が当たったんだよ。それで空飛ぶ絨毯から落ちてしまったんだよ。過失傷害だよ。まず謝りなさいって話だよ。謝らないと食べちゃうぞ。ぱおーん!」


 鼻を高く掲げ、間抜けな感じの雄叫びをあげる自称神様。


「ご、ごめんなさい! 食べないでください!」


 怯えて後ずさる僕を見て、自称神様は「あっはっは」と上機嫌に笑う。


「冗談だよぉ。食べないよぉん」


 得体が知れない分、怖い。怖いけど、なんか見かけは間抜けだし、身長も低いし弱そうだし本当に神様なのか判断に迷う。でも、こんな珍妙な生き物はいるわけがないし、夢じゃないのなら、本当に神様なのかもしれない。ならば、僕に小説を書く能力を与えてくれたりしないだろうか。


「あの……。本当に、あなたが物語の神様だというのなら、お聞きしたいことがあるのですが」


「なんだい? 初対面で図々しいねえ。ま。聞くだけ聞いてあげよう。ビガンゴは優しいからね」


「僕も小説を書いているのですが、いまいち上手くいかなくて……。僕には小説を書く才能はあるでしょうか?」


「ははは。小説を書いてるなんて、あんまり人に言わないほうがいいぞ。変な目で見られるから。でも、そうかそうか。君も小説をね。まあ、創作者は誰しもが持っている悩みだねぇ。自分には才能があるのか。誰かに認められる日がくるのか。それを知りたいというのだね」


「……はい」


「まー、そのくらいならお安い御用さ。よし、じゃあいっちょ君の力を調べてみよっかー」


 軽いノリで言うと、ビガンゴ神はタレ目サングラスに指をかけ、覗き込むよう僕を見つめる。


「ビガンゴ審美眼っ!」


 言葉と同時にサングラスから強烈な光が放たれた。

 病院の検査で全身をスキャンするみたいに白い光が僕を分析するように照らし出す。

 光が収まると、ビガンゴ神はうんうんと頷いた。


「……まあまあじゃない? 特別すごい力は感じないけれど、努力次第では良い作品を創り出せると思うよ」


「努力……ですか」


「そ。君自身の頑張り次第だねぇ」


 努力次第か。「努力」と言う言葉に少し体が固くなる。ある意味、僕にとって一番苦手な言葉だったからだ。

 中学、高校、大学と進路相談では毎度のように言われた。しっかり計画性を持って努力をすれば志望校には受かるから頑張れと。だが、これが一番難しいのだ。いつも怠け癖のせいでミスを犯してきたのが何を隠そうこの僕なのである。


「……ま、ビガンゴがアドバイスすればどんな人でも素晴らしい小説を書けるようになるけどねぇ」


 ふふふ、と自慢げに鼻を鳴らす自称物語の神様。


 待てよ。

 これはチャンスなのかもしれない。だってそうだろ、目の前にいるのは珍妙な姿ではあるが物語の神様(自称だけど)なのだ。

 この珍妙奇天烈な象の神様(自称なんだよな)を上手く利用すれば、このボンクラな生活から抜け出せるかもしれない。僕も商業作家として一攫千金を得ることができるかもしれないのだ。

 おいおい、僕にも運が回ってきたのかもしれないぞ。


「ビガンゴ様! お願いいたします! 是非ともこの僕にアドバイスを頂けないでしょうか。ビガンゴ様のお話は伺っております。偉大な物語の神様のお力をお貸し頂けないでしょうか!」


「んー、そう言われると照れるなぁ。でもさっき、赤眼鏡ちゃんがビガンゴの話をしていたら、君は馬鹿にしていなかったかい?」


「め、滅相もございません! そんなことは一言も言っておりません! それに実際にお会いして確信いたしました! その凛々しい姿。威厳のある眼差し。長くて立派なお鼻。こんなに神々しい御方は他にはいない!」


「おお、そうかい。むふふ。君も意外とわかっているじゃないかぁ。よしよし、気に入ったぞ。ビガンゴが君の小説を読んでアドバイスをあげちゃおう」


 やった。と、僕は内心ガッツポーズをとった。見た目は変だがこの象が本当に物語の神様ならば、ご機嫌をとって言う通りにすればいい小説が書けるのだ。そうすれば、丸川のクソ選考委員どもの鼻を明かすことができる。

 見てろ。僕の小説家への道がたった今、開けたのだ。


「では、僕のアパートへご案内いたします。原稿はパソコンの中でございますので」


「うんうん。いいよー」


 ちょっとおだてただけなのに、嬉しそうにはしゃぐビガンゴ神は夜空を見上げて指笛を吹いた。

 夜空に甲高い音が響くと、空からしゅるしゅると一枚の絨毯が降りてきた。真っ赤な絨毯で民族的な模様があしらわれている。

 現れた空飛ぶ絨毯は僕の周りをじゃれつくように一周して、ビガンゴ神の前で滞空した。

 ビガンゴ神はゆらゆらと漂うその絨毯に「よっこらせ」と乗り込んで、あぐらをかく。


「じゃあ君の家まで案内してくれたまえ。レッツゴー!」


 偉そうに指をさして掛け声をかける物語の神様。と、とりあえず、これで僕の未来は安泰だ。このビガンゴとかいう象の神様のご機嫌を取って、作家として名を馳せていくぞ!


 ……そんな風に、この時の僕は自分の未来が栄光に向かって進んでいくものだと喜んでいたのだが、これが大きな過ちであったのだ。

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