「クソつまらない小説を書くやつなど万死だ。万死」

  ☆  ★


 駅前についたときには日はどっぷりと落ちていた。


 ここは古着と演劇とサブカルの街。おしゃれな大学生の喧騒の街。僕のような冴えないボンクラには眩しい街だ。


 街を行くおしゃれで華やかな皆さんのお目汚しにならぬように、改札の脇で縮こまって佐伯さんを待つ。予定よりも早く来てしまった。やることがなかったんだもん。一次選考は落ちてしまったし、もう今後のプランは無しだ。栄光の架け橋は崩れ去った。ボンクラフリーターに逆戻りだ。くそ。惨めだ。


 気持ちも下がっていたが、日が落ちると気温も下がる。なんだか人肌恋しくなってくるから参ったものだ。

 手持ち無沙汰でしばらく待っていると、改札の向こうの人ごみに赤いメガネの顔が見えた。


 キョロキョロ辺りを見渡していた小柄な女の子は僕を見つけると「せんぱーい!!」と手を振って嬉しげにぴょこぴょこと駆け寄ってきた。


 オーバーサイズのパーカーにデニムのミニスカート。高校の時はスカートも膝丈だったというのに、すっかり垢抜けておしゃれになってしまった佐伯さんが、「どーん!」とか言いながら冴えないボンクラフリーターに体当たりをしてくる。


 こういうアクションを女友達だけじゃなくて男である僕にもするから、勘違いしちゃうんだぞ。……僕は別に全然まったくドキドキなんてしてないけどね。ちょっと心臓の鼓動が百メートルを全力で走ったような速度になっただけで。


「久しぶりだな。元気にしてたか?」


「はい!佐伯はいつでも元気いっぱいです!」


 ニコニコしてる。悔しいが可愛い。大学生になってどんどん綺麗になってくし、おしゃれをして会ってくれているというのがそれだけで嬉しい。


「なんですか先輩? 久しぶりの佐伯にドキドキしてるんですか?」


 佐伯さんに心の中を読まれそうになって慌てて顔をそらす。


「ば、馬鹿者。そんなわけあるか。店は予約してるから早く行こう」


 顔を見ずに歩き出す。クスクス笑って佐伯さんは「はーい先輩」と楽しげについてくる。


 駅前から数分、焼肉屋に到着した。せっかく予約したというのに全然混んでなかった。


「ちゃんと予約してくれてたんですね」


 佐伯さんは喜んでいるようだが、わざわざ予約するなんて細かい男だわ、とか思われたりしないだろうか。もしくは、わざわざ予約するなんてこの人、今日は気合を入れてきたのかな、などと思われたりしないだろうか。男は手ぶらで豪快に行き当たりばったりで行動するくらいがちょうどいいのに、なんて笑顔の裏で思われていないだろうか。

 ……ええい、くだらんことで悩むな。別に佐伯さんに好かれるためにやってるわけじゃない。全然、佐伯さんのことなんかなんとも思ってないんだからな。


「そうか。今日は平日か。予約しなくても良かったな」


 言い訳がましく呟く。フリーターは曜日感覚に弱くなるのだ。仕方ない。

 ビールを二つとキムチ、肉を適当に頼むと、店員が七輪を運んできた。ででんと目の前に七輪が置かれると少し安心する。正面に座る佐伯さんを少しだけ隠すから。


「じゃ、かんぱーい!」


 楽しげにジョッキを掲げるから、僕も慌ててジョッキを持ち上げる。乾杯と同時に佐伯さんは一気に半分くらいまでビールをあけた。

 年下の娘っ子になど負けてられない、と無意味な意地を張って彼女と同じくらいの量を一気に飲む。空きっ腹にアルコールは中々きつい。


「お、先輩。今日は飲む気ですねぇ?」


 と佐伯さんはニヤニヤしながら上目遣いで僕を見た。「何を言う。いつも通りだ」とそっぽを向いて答えてやった。


「へー。佐伯は久しぶりに先輩に会うからちょっとドキドキしてますけどぉ」


 むせそうになった。こういう冗談を言うんだよ、この娘は。心臓に悪い。やめてくれ。


 次々と肉が運ばれてくる。考えてみれば、バイトの後に缶コーヒーを飲んだだけで何も食べていなかった。それほど一次選考で落選したのはショックだったのだ。空きっ腹にビールなど飲んだら、酔いも回るというものだ。


「本当に丸川の一次選考を通過したんだな」


「そうですよ! でも、まだ先輩からはおめでとうを聞いてないんですけどねっ」


 わざとらしく怒ったふりをして頬を膨らませている。変な顔をしてもみせても可愛いのはずるいぞ佐伯さん。


「お、おめでとう」またそっぽを向いて答える。


「なーんか棒読みですけどぉー」


 不満そうな佐伯さんだったが、肉を取り皿にあげると、歓声をあげて、すぐに機嫌を直した。可愛い。

 近況報告などをしながら楽しい時間は過ぎていく。お酒も入ればいつもより饒舌になる。酒は偉大だ。佐伯さんも酔いはじめたのか顔が少し赤くなってきた。


「おいおい、もう酔っているのか。あまり強くないなら、そんなペースで飲まないほうがいいぞ」


 男らしく忠告する。まあ酔いつぶれて「先輩、もう歩けないです、先輩の部屋に泊めてくださぁい」なんて言ってきたら頬の一つでも張って「君は大事な後輩だ! 恋愛感情もないのに部屋には泊められん!」とか言って。すると佐伯さんはウルウルと大きな瞳に涙をためて「実は先輩のことがずっと好きなんです」なんて言ってきたりして。そうなったら僕だって男だ。仕方ない。付き合おう。


「……先輩。どうしたんですか、ニヤニヤして。先輩だってもう顔が真っ赤ですよ。酔って変なこと考えてるんじゃないしょうね」


ハッ、しまった。いかんいかん。不埒な妄想をしてしまった。


「ぼ、僕のことはどうでも良い。君こそ、あまり飲みすぎないようにしたまえよ」


「えー。だって今日は、せっかく先輩がお祝いしてくれてるんですもん。とことん飲んじゃいますよっ」


えへへ、と笑って佐伯さんは軽々とジョッキを開けた。いつの間にか僕よりお酒が強くなっているみたいだ。


「まったく、君は仕方のない人だなぁ」


 呆れた素振りを見せながらも、佐伯さんのほろ酔い姿が可愛くて困ってしまう。顔を見てるとぼーっとしちゃうので、極力見ないようにして肉を何枚か網の上に転がした。

 まったく女はずるい。酔うと可愛いんだもの。ほっぺたとかキメが細かい綺麗な肌が上気してほんのり桃色に染まっているのだよ。メガネの奥のとろーんとした潤んだ瞳が、こっちを見るんだよ。可愛いな。


「でね、先輩。正直に言うと佐伯は浮かれてます。だって憧れの丸川小説大賞の一次選考を通過したんですもの。でも、先輩ならこんな風に一次選考くらいで喜んでる佐伯をガツンと叱ってくれるんじゃないかと思ってるんですよ」


 照れ笑いの佐伯さん。

 彼女は僕が同じ賞に応募していた、なんて何も知らないから、そんなことを言えるだ。僕は一次選考落選だ。ゴミムシだ。叱るどころの話じゃない。何も言えないよ。


 そもそも、学年が上というだけで偉そうにしているが、僕自身は本当にボンクラダメ野郎なのだ。

 大学に進学するも勉強もせずに、就職も出来ずにこうしてフリーターなんてものになって、ダメ人間街道まっしぐら。底辺だ、底辺。


 それなのに佐伯さんはそんな僕に、小説のアドバイスなんかを求めてくるのだ。なにゆえ彼女はボンクラに助言を求めるのだろう。不思議だ。


 会えば「先輩、新しい小説を書いたんですけど」と言ってプリントアウトした小説をどしんと渡してくる。

「またかよ」と口で言いながらも僕もまんざらでもなかったけれど。


「感想くださいね! 先輩の意見は参考になりますから、辛辣な意見の方が嬉しいです」なんて、なんの取り柄もない僕に感想を求めてくるから、僕は無い頭を絞ってアドバイスにもならないことを言った。


 その度に「ほぉ!そんな見方が」とか「なるほどぉ、さすが先輩ですね」と目を輝かせて頷くもんだから、こっちも調子に乗って偉そうにしてしまう。そんな関係が数年続いていたが、それもおしまいだ。おしまいだよ。ぐすん。


 今回の丸川小説大賞の結果を見てみろ。レベルの差は明白では無いか。佐伯さんの小説は千を超す応募作品の中からわずか四十しか選ばれない一次選考通過作品に選ばれた。それに対して僕の小説は一次落ち。クソつまらない小説だと、お墨付きを頂いた形になる。


 クソつまらない小説を書くやつなど万死だ。万死。


 結果が全ての非情な世界なのだ。

 ……はぁ。なんだか酔いも手伝ってネガティヴな思いばかりが頭に浮かぶ。


「僕のアドバイスなんて、もう君にはいらないと思うがな」


 ビールを煽り言う。


「そんなことないですよ!」佐伯さんは身を乗り出した。


「今回、一次選考を通過した作品だって去年先輩に読んでもらったものを改稿して出したものなんです。先輩のアドバイスのおかげですよ! 」


 そういえば、と思い出す。

 去年の今頃、読ませてもらった作品があった。みずみずしい高校生達の青春群像劇で、恋や友情、就職や進学に悩みながらも成長していく若者達の物語だった。大きな事件は起こらないけれど、心が温まるような素敵な作品だった。


「覚えててくれてます?」


「覚えてるよ。うん、凄く良い話だった」


「本当ですかー? 先輩にはストーリーが単調だって言われたんですけどー」


「そ、そうだったか?」


 きっと手放しで褒めると佐伯さんは不満気な顔をするから敢えて難癖をつけたのだろう。


「だから先輩の意見を参考に、書き直したんです。選考を通過したのは、きっとそのおかげですよ」


 佐伯さんは良い子だけど、人を信頼しすぎる。僕みたいな奴の言う事など聞かなくていいのに。

 素人の意見であんなに面白い作品のストーリーを変えてしまったなんて申し訳ない気持ちになる。


「……で、それがコレです」


 佐伯さんは鞄からプリントアウトした紙の束を鞄から取り出した。


「途中までは前に読んでもらったのと、ほぼ変わってないんですけど、終盤はだいぶ変わりました。大どんでん返しにしたんで、読んでください」


 じっと僕の目をみて佐伯さんが言う。いつものように受け取ろうとして手を伸ばしたけど、途中でやめる。


「……先輩?」


 いつまでたっても受け取らない僕をみて佐伯さんが首を傾げた。


「いや、やめとくよ」


「なんでですか?」


「だって、二次選考に進めば講評をもらえるのだろう。なら、もう僕が読む必要もないじゃないか。僕なんかより選考委員の先生の方が的確な事を言ってくれるはずだ」


 本当は佐伯さんの作品は読みたい。僕は彼女の小説のファンだから。でも、なぜか今はあまり読みたくないのだ。佐伯さんの作品は僕が応募した作品よりも優れている、と選考委員のお墨付きをもらった作品だ。


 僕が書いた作品なんかよりも、ずっと素敵な物語が紡がれているのだろう。それはいい。そんなことはわかりきっている。

 でも、僕はこの作品に負けたのだ。自分を蹴落として二次選考に進んだ作品を素直に楽しめる自信が今はない。もしも、佐伯さんの作品を読んで、妬みや嫉みという感情を持ってしまったら、それこそ罪悪感でいっぱいになる。弱い己の心が邪魔をするのだ。


「先輩、文芸部のこと覚えてますか?」


 僕が逡巡していることに佐伯さんは気づいたのだろうか。話題を変えた。


「……文芸部? 高校の?」


「ええ。うちの文芸部ってほぼ漫研だったじゃないですか。小説なんて読む人自体が全然いなくて、みんな漫画ばっか読んでて」


 そうだった。だからこそ佐伯さんは文芸部でもない僕に自作の小説を読むように頼んで来たのだった。普通なら同じ部の人に下読みも頼むだろう。


「私も漫画とかは好きですからね。部自体は楽しかったです、でも本の話は誰ともできなくて。だから先輩と小説の話ができて楽しかったですし、誤字とか脱字の指摘とか、言い回しがわかりにくいとか、ここが面白かったとか、いろいろ言ってもらえて嬉しかったんです。もし先輩がいなかったら、小説を書くことなんてすぐにやめていたかもしれません」


「……そんなことない。きっと佐伯さんは僕がいなくたって小説を書いていたよ」


「いえ。そんなことはありません。先輩は私にとってビガンゴ神みたいな人なんです」


「え、なに? ビガンゴ……なにそれ?」


 聞き馴染みのない言葉が出てきて思わずおうむ返しをしてしまう。


「知りませんか? 物語の神様です」


「知らないよ。胡散臭そうな名前だけど、どこの宗教なんだ?」


「宗教っていうか、迷信というか、想像上の生き物というか。ともかく、ビガンゴ神は人に物語を作らせる神様なんです」


「……変な神様だな」


「ビガンゴ神は自分で物語を作ることはできないけれど、物語を読んだり聞いたりするのが大好きな神様なんです。だから様々な手段で人に物語を創作させようとするんですって」


「ありがた迷惑な神様だ」


 変な神様の話など、まったく興味はなかったけれど、佐伯さんが話をしたそうにしているから聞いておく。


「たまに物凄くしっかりしたストーリー性のある夢を見たりしませんか。きちんと起承転結があったりして、本当によくできた映画を見ているような、そんな夢を」


 夢か。ちょっと考えて頷く。具体的には思い出せないけど、言われてみれば、そんな夢を見たことがあるような気もする。


「確かに僕も見たことがあるかもしれないな。あまり覚えていないが。夢なんて脈絡なく場面転換をしたりして、一貫性なんか全然ないものばかりなのに、たまにちゃんとしてる夢があったりすると驚くよな」


「でしょう。私なんて興奮して起きちゃって、次の小説のネタにしようってノートに書きだそうとするのに、ペンを持つと途端に靄がかかるみたいにどんな夢だったか思い出せなくなっちゃったりすることがあります。そんな夢を見させるのがビガンゴ神なんですって」


「……ふうん」


「他にも、創作の最中で行き詰まった時に、ポッといいアイデアが出たりするのも『ビガンゴが通った』なんて言うらしいですけど……聞いたことありませんか?」


「ない。まったく。初耳だ。けど要は故事みたいなものか。天気雨を指して『狐の嫁入り』って言ったりする類いの」


「そうですそうです」ポンっと手を打って佐伯さんが頷く。


「恥ずかしながら先輩のアドバイスって、佐伯にとってはその神様の助言みたいなものだと思っていて」


「待て待て。僕はそんな大それたこと言ってない」


「佐伯にとってはそうなんです。異論は認めませんっ」


 食い気味に言われてしまうと、黙るしかできなくなる。佐伯さんは僕を買い被っているぞ。僕なんかに本当にただのボンクラなのに。


「僕なんか、ただのボンクラフリーターだよ」


「……やっぱり、今日の先輩は変です。何かあったんですか。よければ話してくれませんか?」


 佐伯さんは瞳をぱちくりして、まじまじと顔を覗き込んでくる。僕のことを心配してくれているのだ。

 そんな顔をされると、もういっそ本当のことを全部言ってしまおうかな、という気持ちになる。

 僕も君と同じ公募に作品を出して、見事に一次選考で落とされたんだと。僕には小説の才能なんてないのだと。

 才能のない奴にアドバイスなんてできないんだと。


 喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、虚勢を張る。


「だ、だから何もないと言っているだろう」


 言えない。そんな事を言って見損なわれたくはなかったから。


「本当ですか? なんか怪しいなぁ」


「普段通りだよ。何を馬鹿な事を言っている。さ、君の書いた小説を渡したまえ」


「え、読んでくれるんですか?」


「当たり前だろう。丸川の一次選考を通ったというお手並みを拝見させてもらうよ」


 不審気に見つめてくる佐伯さんの手から奪い取るようにして紙の束を受け取る。ずっしりと重い。考えてみれば、自分が落ちた選考を通過した作品なのだ。勉強の気持ちで読むのも必要かもしれない。

 そうだ、一度の失敗で諦めるなんて男がすたる。僕だって、小説家をめざしているのだ。言って見れば佐伯さんはライバルだ。この作品を読んで、次回作に活かせば良いのだ。僕はこんなことでめげるほどヤワな男ではない。

 無理やり自分を奮い立たせた。


「さあ、佐伯さん。肉が焦げてしまうぞ。ガンガン食べようではないか! せっかくの祝いの席だ。店員さーん、ビール追加で!」


 ネガティヴな気持ちなど酒で流し込んでやる。半ばやけくそで、黄金色の炭酸を勢いよく口に運んだ。


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