ニューラルの先に::3.3 富田の知らない部屋
富田がどれだけ疲れていると言ってもハイタカには気に留めなかった。むしろ、
「来てくだされば高級マッサージ機があります。使い放題ですがいかがですか」
と別の切り口で誘ってくるのだった。
薫に帰宅する旨を伝えてからハイタカの肩を借りた。店のすぐ横に艶のある真っ黒なセダンが停まっている。どういうことだろう、普通のナンバープレートとは異なるプレートが取り付けられている。見るからに高級、それでいて普通の車に見えない。
総革張りの助手席に座ってからはじっとしてハイタカのするに任せた。疲れている身体を気遣ってか、少しリクライニング気味に設定をしてくれた。高級車だからか、運転席からリクライニングをしてきたのだ! 高い座席なのだろう、店で使っているソファや椅子よりもはるかに座り心地がよかった。
ハイタカは自らの体をサイボーグと言ったものの、見たところ人間と全く見分けがつかなかった。車を操る姿は運転するのに慣れているようで、マニュアルギアの操作も加速も減速もスムーズだった。あってもおかしくない衝撃、ブレーキやギアチェンジの際の揺さぶりは微塵もなかった。
知っている駅を通り過ぎたなと思いながら車窓の景色を眺めていたら、いつしか高速道路のゲートをくぐっていた。普段高速道路なんて使わないからどのインターから入ったのかも分からなければ、どの方面に向かっているのかも判別がつかなかった。ハイタカに尋ねてみても、
「私の拠点の一つです」
と答えるだけで詳しいことを教えてくれなかった。その後はおもむろに流し始めたBGMが心地よくて、気がついたら停まっている車内でハイタカに肩を揺られていたのだった。
下りた場所は地下駐車場らしい、五台分の車が停まれるほどの広さがあった。ただし停まっているのはついさっきまで乗っていた車一台のみ、照明も天井の中央に一本の蛍光灯があるのみで薄暗かった。
駐車場の一角にエレベーターがあってハイタカに連れ込まれた。ボタンを押す様子がないのに勝手にドアが閉まって上の階へと動き始める。扉の上を見れば数字がカウントアップされてゆくのが見えた。一、二と繰り上がる数字は四で停まった。
扉が開いてゆくのにしたがって重厚なソファセットが富田の目の前に現れた。飴色の床の上に置かれた一式という光景は、富田の立場で立ち入る必要のない空間としか思えなかった。勝手なイメージでは超大手企業の役員室だとか会長室に備え付けの応接間といったところか。飴色に輝く壁材に床材なんて歴史ある建物でしか見たことがない。
「私としてはね、富田さんのところのような部屋のほうが落ち着くのですが、どうしてもというのでしょうがなく使っているのです」
「その、すごいですね」
「もっとお金を使うところがあるでしょうに。ささ、無駄にお金がかかっているソファですから座り心地だけはいいですよ。疲れている体には多少なりとも効くでしょう」
「それじゃあお邪魔しますが、しかし、ここってハイタカさんの家、なんですか?」
「半分正解で半分間違いです。ここは私の拠点なので生活することは認められていますが、私の所有物ではありません」
「そんな場所に自分を呼んでも大丈夫なのですか」
「ええ、もう隠す理由がなくなりましたので。まずはですね謝罪をさせて欲しいです。富田さんの許可なくマンションに関係する通信を傍受していました」
「いろいろと頭が追いついていないのですが。特に今は疲れているので、あまり込み入った話は別の機会にしてほしいです」
車の革シートで寝息を立てていたとしても、である。休みたい気持ちは変わっていない。
「なら手短にしましょう。私は国家公務員として、スタンドアロンの人工知能が関わる事件を捜査しています。今は人工知能が失踪している事件を捜査しています」
「警察の方だったのですか」
「そこら辺の警察よりも裁量を与えられています。勝手に通信を傍受するなんてプライバシー侵害の行為だって、私だから目をつぶってもらっていることですから」
「自分をここに呼んだのは、やっぱり藤田さんと高田さんの件があったから」
「はい。お願いしたいのは、富田さんのマンションを調査の拠点にしたいのです。同じ場所で複数の失踪者が現れている場所はレアケースなものですから、犯人の足取りがつかめるかもしれません」
「自分だって薫だって足取りを追おうとして、結局、分からなかったのです」
「そりゃあ、一般に公開されていない脆弱性がたくさんありますからね、あのマンションには」
さらりととんでもないことを口にするハイタカに、富田のリラックスしていた気持ちが一気に吹き飛んでしまった。富田はマンションの住人に悪い影響が出ないよう、薫と共に力を尽くしてきたつもりだった。
中心となるプログラムの情報収集は暇さえあればネットで調べていた。
問題が起きても復旧できるように大掛かりなバックアップの仕組みを整えた。
何かが起きたのか分かるように監視の仕組みも整えた。
富田と薫でしてきたことが意味のないことだった?
「特別富田さんのマンションに問題がある、とは言っていないのです。どの仮想マンションでも、というか、VRチャットフレームワークを拡張した製品には公開されていない不具合がたくさんあります。いわゆるゼロデイですよ」
「使っている製品が悪いのですか」
「いえいえ、どれも似たりよったりですよ。ただ、富田さんのところのほどまでオープンソースを組み合わせて管理している高度なシステムは中々見ないものでして。システムとして販売していても納得できるレベルです」
「それって褒めているのですか」
「もちろん! 富田さんの作ったレベルで数百万のお金を取っている企業だってあるのですから。それに私が住んでいるのですから折り紙付きですよ」
そりゃあ電脳の世界で警察のようなことをしているらしい彼が家賃を払って住み続けているのだから、それはありがたいことこの上ない。当人が評価してくれていることも素直に喜べばよいものだが、なんだか喜べない。やはり疲れている。
売り物にできるレベル。
でもバグだらけ。
「当然、今もインターネット、深い深いダークウェブの奥底から富田さんのマンションを狙っている輩がいるのです。我々は、というよりも私が、マンションをその手から守ってみせましょう。その上でです、私に協力してもらえませんか」
「すみません、やっぱり今は疲れていて判断できそうにないんです。今すぐ答えなければならないものなのですか」
「いつまでも待つことはできませんが、今すぐ必要、というわけではありません。もちろん、返答で富田さんに不利となることはありません。私はどんな返事であってもマンションを裏で守るつもりですから安心してください。しかし」
ハイタカが言葉を紡ぐまでの時間が少しばかり。『しかし』の後の言葉を富田が待っていれば、代わりに出てきたのは言葉ではなくて黒いケースだった。それと紙の箱。サバイバルホラーゲームで見た覚えのある、赤い背景にワシの姿が大きく描かれていた。
「いや、やめておきましょう。ここまで富田さんに求めるのは酷でしょう。別の方法をとります」
目の前のアンドロイドはそう口にして、得体の知れないものをテーブルから下ろしたのだった。
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