ニューラルの先に::3.ハイタカ

ニューラルの先に::3.1 混ざり合う

 いくら死んだ、と思ったところで、瞬きをする感覚がはっきりしていることに違和感があった。体の感覚もはっきりしていた。横になっていた。次第にうっすらとした輪郭が見えるようになった。



 VR空間にログインする前の光景、VRヘッドセットを装着して横たわった時の光景だった。



 手を動かそうと思えばちゃんと現実味のある感覚で腕が動く。目を覆うヘッドセットを恐る恐る外せば、たしかに富田堂の店内だった。



 ヘッドセットを改めてみると、顔に触れていたところはびっしょりと濡れていて、顔を触ってみれば、なるほど顔が汗にまみれていた。久しくかいたことのないほどの汗だった。体を見下ろせば水をかぶったような有様だった。前言撤回、未だかつてかいたことのないほどの汗だった。



 胸と腹をさすってみる。撃たれていなかった。



「よかった」



 自然と口に出てしまう。富田は生きていた。VRで撃たれるという経験は恐ろしかった。VRであるがために痛みまでもシミュレートしてしまう。薫ハイツのVRマンションで使っているシステムはコミュニケーションだとかVRチャットに向けたものを使っているので、五感を忠実に再現することをメリットとしている。銃を使うゲームだってあるが、あの手のゲームで使われているシステムとは全くの別物なのだ。



 気がついたら汗が滴っていることに気づいた。冷たい汗が額から流れて顎からシャツに滴り落ちた。体は依然として銃に撃たれたものと勘違いしている様子である。意識すれば体の異変に気づいてしまう。汗が止まらない。心臓は動悸している。手が震えている。気が遠くなりそうになる。眠い、ような、違う、ような。



 薫の声がなければそのまま気を失ってしまっていたかもしれなかった。



「洋、大丈夫? 何が起きたっていうの」



 モニタに飛びこんでくる薫の姿はいつかの佳世を思わせた。脚がもつれて転倒、ということはないものの、勢いを押さえきれずに反対側へと消えてしまうほどだった。画面を駆け抜けて数秒、息を切らして姿を現した薫は富田の方へと駆け寄ってきて、モニタ一面が彼女の顔で埋め尽くされた。



「何事もなく進んでいたのに突然高田さんの部屋のログにおかしなメッセージが流れるようになって、かと思ったら洋のインスタンスが異常終了したって出ていたんだよ」



「ああちょっと待って、とりあえず声をかけてくれたおかげで助かった。一旦店を閉めたいから、もう今日は仕事できない」



「店を閉める? ええと、分かった、待ってる」



 店の出入り口にシャッターを下ろすだけでもかなりきつかった。体を動かしたせいか動悸はすっと引いたのだが、代わりに襲ってきたのはひどいだるさだった。ひどい風邪にかかったかのよう、汗はまだ落ち着いていなかった。



「本当に何があったの。すごく辛そうなのだけれど」



 モニター前の椅子へなだれ込むように座る様子に心配しないわけにはいかなかった。高田の部屋に飛びこんだ姿からは考えられないほどの様子だった。



「部屋の中には見たことのないこと、バグみたいなやつ、としか言えないのだけれど、そんなのが転がっていた。亀裂みたいになっているところもあって、文字みたいなものが流れていた」



「じゃあ、高田さんの部屋には不具合があったってことか」



「不具合なのか、起きるべくして起きているのか分からない。特に触れてみたりとか持ち上げてみたりとかはしていない」



「それがいいよ、仮に触れたとしたら何が起きていたか」



「で、高田さんの姿はどこにもなかったんだ。部屋中を探しても、奇妙なバグみたいなやつと高田さんの私物があるぐらいで、本人はいなくて」



「じゃあ閉鎖する前に高田さんは出ていってしまっていたと。なら早くログを追わないと」



「ちょっと待って、もう少しで終わるから。確かにいなかったんだ。高田さんは。でも、ふと足音がしたかと思ったらいないはずの高田さんがいて、銃を持っていて、撃たれた」



「撃たれた」



 薫の声が一回り大きく飛びだしてくる。気持ち薫の顔が大きくなった気がした。



「撃たれたって、その、銃で? あのマンションのシステムって五感同期、え、じゃあ、そんなに辛そうなのって」



「多分ヘッドセットの緊急ログオフ機能が働いたのだと思う。でも実際に撃たれた感覚は残っていたから、この有様」



「大丈夫なの? ねえ、死なないよね」



「多分大丈夫。すごく痛かったけれど、今は痛みらしい痛みはだいぶ引いている。ただ、VRに脳が騙されたせいなのかもしれないけれど、ひどく疲れた」



「よかったア」



 薫がモニターから滑り落ちて消えてしまった。へたり込んでしまったからか、見えないところから薫の声が聞こえる。



「よかった、本当によかった。私、撃たれたって聞いた瞬間すごく怖くなった。だって洋は人間だから、生きているから、私と違って死んじゃうかも知れないから」



「多分大丈夫だよ、最初はパニックみたいになっていたけれど、今はこの通り」



「私ネットで見たことがある。頭を打った人がしばらくは平気にしていたのに翌日いきなり死んでしまうなんて話。そんなことないよね?」



「ないでしょうそんなこと。だって仮想での出来事、本当は起きていないことなのだから」



「過去に目隠しをしてナイフで手首を切るふりをして、そうしてから手首に水滴を落とし続けたら本当に死んじゃった、って話もあったよ」



「俺はもう本当のことじゃないって分かっているから、自覚しているから思い込むこともないよ。ほら、そろそろ高田さんの行方を追うのに戻ろう。俺もそっちに行くから」



 ひどく疲れているのは間違いなかったが、だからといって高田のことを放っておくわけにはいかない。仮想空間に飛びこんで確かめなければならないことがある。高田が外に出ていった経路を調べなければならない。部屋にいた高田がまだ閉鎖環境の中にいるのか確かめなければならない。



 追跡するのはともかく、あの部屋の中に入れるのは富田だけしかいない。薫には入れさせられない。



 ヘッドセットをかぶって、虹彩認証でログインすればよい。すれば接続先のメニューが現れて、そのうちの一つにマンションがあるから、それを選べばよい。



 でもどうしてだろう、腕がまるで動かない。ヘッドセットを持つまではできた。しかしそれだけ、腕はギプスをつけられたかのように曲げられない。



 持っているだけなのに、汗が滲んでいる。なんだか変に熱い。体がおかしくなっている。



 異変が続く。体の関節という関節にくさびが打ち込まれた。首を動かすにも何かが引っかかってびくともしない。無理に動かせば折れてしまいそう。



 何かが起きている。でも、何が起きているのかは答えを知らない。



 モニタの下部を掴んでよじ登ってきた薫が目の当たりにしたのは、そんな普通でない様子の富田だった。



「ちょっと何しているの顔色が真っ青になっているよ」



「いやなんか、VRを使おうとしたら妙に体が言うことを聞かなくなって」



「撃たれたのにこっちに来ようとしているの? だめだよ、洋は休まないと」



「薫じゃあログを確認できても高田さんの部屋に入れない。俺が行かないと」



「行かなくていい! やり方は考えるから、洋はこっちに来ないで。今日は休むこと」



 薫に拒絶されたように聞こえて体の中をえぐられるような感覚が痛々しかった。けれども、モニター越しの声は富田の体を解き放った。首は自由になり、ギプスが外れて、奇妙な体のほてりも鎮まってゆく。泣きそうな様子の薫と目があった。



「お願いだから、今日は休んで。やりようは私が考えるから。私が状況を伝えるから」



 富田はヘッドセットを置いて、何も持っていないことを薫に見せる。それを確認して彼女は、



「何か分かったらすぐに教えるからゆっくり体を休めてね」



と口にしつつ、何度も富田の方を見ながら、名残惜しそうにモニターを後にするのだった。

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