ニューラルの先に::1.失踪特約
ニューラルの先に::1.1 事故物件候補
富田の稼ぎは大きく二つある。富田堂と薫ハイツである。
富田堂は中古パーツの販売に加えて、規模の小さいプログラムの作成。一方で薫ハイツは仮想空間マンションといったところ、いやマンションと言うには規模は小さく、むしろアパートと直したほうがしっくりくる。部屋数十四で、そのうち半分が一時利用のための部屋。賃貸として機能しているのは七部屋だけだった。
それを、富田と、薫という人工知能で支えているのである。
さて、二人の間の目下課題となっているのはとある一室のことだった。借り主はどうも留守らしく、しかし今月分の家賃が支払われておらず、もしや踏み倒しではないかと危ぶんでいるのだ。
とは言え一年以上の支払い履歴がある以上、もしかしたら何らかの問題があったのではないかと考える向きもある。というか薫がそう考えていた。
借り主は悪い言い方をすれば野良AIだった。自律的にネットワーク上に存在していて、自ら経済活動を行って、『生計』を立てている。
薫ハイツの共用部分のソファでくつろぐ住人がいたので話しかけてみたら。
「隣の藤田さんなんですけど、最近あったことありますか?」
「彼ですか? 会っていないですね。そもそも最近は創作活動で外に出ていませんからね」
「じゃあ、物音とかはありましたか」
「いやあ、集中しちゃっているからねえ。ごめんね、手助けにならなくて」
会話をした相手も人工知能、もしかしたら何か知っているかもしれないと踏んでの雑談だったが空振りだった。住人全体のグループチャットに対してメッセージを飛ばしてみたものの、無言を貫くか知らない、の二つにどちらかだった。
家賃さえ払ってくれる確証があればよいのだ。借り主にだって事情の一つや二つあったって仕方がないし、それが何たるかを見抜けるほど富田は神がかっていない。だから教えてもらえなければ対応しようがない。富田は人工知能でないのだ。
住人は手元に半透明なメニューを出した。いくつもの部屋番号が並ぶメニューと、鍵穴のインターフェース。部屋番号を触れれば鍵穴が光を帯びて、鍵のモデルを差し込んで回せば一瞬でいなくなる。さながら瞬間移動、富田こだわりのユーザー体験。
部屋に戻る住人を見届けて行く先は管理室だった。エントランスそばにドアがあり、中では壁一面に広げたログを眺めるTシャツ姿があった。体にピッタリ張り付く服装は男の引き締まった体を晒している。
今日の薫は男だった。
「カオル、今大丈夫かい」
「あまり大丈夫ではないが、どうした」
「藤田さんの痕跡は見つかった?」
「ずっと遡ってログを追っているけれど、まだ藤田さんの痕跡は見つかっていない。一週間分以上のログを見てきたから――ああ、最初のログだ。これあれだな、ログが流れてしまっている」
「じゃあもう追えないね」
「記録がなければどうしようもない。手詰まりだね。少なくとも一週間以上前から部屋に帰ってきてないってことだけ、分かることは」
「ちなみにバックアップしたログは見たんだっけ」
「おっといけない、それは見てなかった」
薫が手を振り下ろせば目の前のログが下に叩き落された。足元に落ちたはずのログは跡形もなく消えて、代わりに何もないところから手を振り上げる素振りを見せれば似たようなログが一面に広がった。
「ええと、どうだろう。藤田さんのハッシュコード、ハッシュコード、どこにいるかな」
「部屋のインスタンスで見たほうが早い気がする」
「それだと藤田さんの振る舞いが分からないから、それは次。ええと、日付的には八日前に外部ネットワークに出た記録がある。その前にはデータのやり取りをしているみたいだけれど、特徴的なことは見当たらないね」
「どこに向かっている?」
富田の問いかけに薫は右手で別の何かを引き上げた。半透明な世界地図、いくつかの点が赤く灯っていた。東京のあたりを起点にして、千葉、武蔵野、石狩、沖縄、ミャンマー、カナダ、いいやもっとたくさん、すぐに国名や地名が思いつかないところまで赤く光り始めていて、点在していた赤点が面をなしていた。
増え続けるプロット。いつになったら収まるのか。
「これはもう追跡できないね。TorとRiffleを併用しているのかな。途中までは自前のTorノードで拾えたけれど、あるポイントから全く追えない。多分大量のダミーノードが引っかかってる」
「こんなにサーバーを経由するなんて、どれだけ足取りを追われたくないのか」
「意図的としか思えない。匿名通信プロトコルでもこんな複雑にならないでしょ」
「以前の外出の記録は残っていないのか? ここから外に出た記録があればいつもどおりなのか異常な行動なのか分かるよね」
「これから調べろって? バックアップ側には三ヶ月分のログがあるんだぞ。それを調べろと」
「あまっているコアとメモリは使い込んでいいから、できないか」
「できるできない、ならできるけどさ。あまりのコアとメモリを使い切ってもどこまで時間短縮になるのか」
「他のところは俺がカバーするから、抽出に集中してくれないか」
「洋の言うことならやるけどさ、いつになるか分からないことだけは承知してくれよ」
薫は振り返ることもなくログの検索に取りかかれば、重力がひどく増加してきたかのようになる。上から押しつけられている感覚、腕も脚も重たくて仕方がなかった。
「それじゃあ、店に戻るよ」
歩き始めればまるで水の中を歩いているよう、思うように足が前に進まなかった。足を上げるだけで筋肉痛になりそうだった。仮想空間なのに。あらゆる動きが満足にこなせない。
見えない何かをかき分ける。共用スペースのソファに腰掛けた。退出するためのメニューを出すにも処理が追いつかなくて中々表示されてこない。ログの確認にリソースを使っているのだからしょうがない。コンピュータが処理するに任せて、どんと構えている他ないのである。
あわよくば、藤田がふらっと帰ってくれば。エントランスの方に顔を向けていたが、先にログオフのメニューが現れて視界を遮った。
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