ニューラルの先に::1.2 スカベンジャー薫

 今日の薫はタンクトップにホットパンツの女性姿でモニターに現れた。店先でパーツを眺める客は誰一人いない。店の前を通る人はいるものの、関心はなさそうだった。



「ここに来たってことは、ログの確認が終わったってことかな」



「そう。大変だったんだから褒めてくれてもいいんだよ」



「うん、頑張った頑張った」



「だから私のサーバーのクロックアップを」



「それよりも確認した結果は?」



「はいはい、それじゃあこれを見てね」



 薫がモニタの外側から取り出したのは四角いキューブ状の物体だった。それをモニタの中央に向けて放ってみせた。たちまち物体がキラキラのエフェクトと共に消えたかと思えばチャットアプリが立ち上がって添付ファイルの通知が現れた。



 中身は三つの情報。一つはマンションの管理室で見た真っ赤な画像だった。統計情報では数百万以上のノードに渡って繋がっている物。残りの二つはほとんど真っ白な世界地図だった。多い方でも八千とんで六ノードにしかなかった。



「個人情報を覗き込んでいるような気持ちになるけれど、藤田さん、セキュリティの意識が弱いのかもしれないね」



「ノード数を見て言っているよね」



「うちで持っている匿名通信ノードのサーバーだって性能はよくないけれど、終点まで追跡できちゃっているもの。一つは神戸、もう一つは盛岡に向かっている。確認しないで想像で言っているけれど、十中八九、旧式のプログラムを使っているよ」



「人工知能って技術的に新しいものを使っているってイメージがあったけど、そういうわけじゃないんだ」



「ニューラル次第じゃない? それこそ人によって違うわけだから」



 人工知能はよく分からない。富田は薫を生み出しながらも思ってしまう。生み出したとしても外枠、モデルテンプレートの選択だけで、結局はフレームワーク任せである。一か月以上に渡るニューラルネットワークの構築と半年もの間の学習に手を出していない。気がついたら生まれていたのが薫だし、生まれてからの行動は全く予測できない。どんなプログラムを使っているかだって分からない。



「じゃあ、直近の行動はおかしいってことか」



「私はそう思っている。最新のモジュールに更新したとしてもこんな複雑な行動をするとは思えない。匿名通信だとしてもせいぜい数万でしょ」



「じゃあ、何かおかしい、ってことだけか」



「こんな結果だからさ、部屋を取り潰すのはしばらく延期にしない? 何か問題が起きているのかもしれないし」



「俺は反対。そういう契約をしているのだから、契約に従って粛々と手続きをすべき」



「でもかわいそうだよ、トラブルに巻き込まれてその上タイミング悪く契約違反で住む場所がなくなっちゃったら」



「じゃあこうしよう。期日が来たら藤田さんの部屋を凍結する。バックアップに退避した上でマンションの部屋は取り壊す。それでも一週間戻ってこなければバックアップも削除」



「犯罪に巻き込まれていたら?」



「それは、そうだな、消しちゃうとまずいけれど、こっちは知り得ないわけだし責任はないでしょ」



「じゃあ犯罪に巻き込まれているかもしれないって分かればいいんだね。ちょっと調べてくる」



「ちょっと、調べてくるって」



 富田の言葉はまるで聞こえていなかった。モニターの外に向かって疾走してどこかに行ってしまった。少し待ってきたけれども戻ってくる気配はなくて、見えるはずもないモニターの袖を覗き込んでみた。



「聞こえる?」



 姿はない。ヘッドセットに聞こえるのは薫の声だ。どこから回線を繋いでいる?



「聞こえるけれど、どこにいるのさ。急に飛び出して」



「今はどこだろう、リアルな場所的には千葉ニュータウンのあたりかな」



「どうしてそんなところに行っているんだ」



「藤田さんが最初に降り立った場所の一つが千葉ニュータウンのデータセンターらしいから。このあたりをとっかかりにして何か見つからないかなと思って」



「オンラインショップの仕事とかはどうするのさ」



「大丈夫、探しながらやるから」



 こう言われてしまえばもう富田から返す言葉はなかった。やると言った以上は任せるしかなかった。もとはと言えば薫を作り出したのはマンションの管理人とするためだった。それが気がついたときにはオンラインショップを開設して、富田堂の商品を売っていたのだから。



 マンションの仕事もショップの仕事もする、発言は尊重しなければならなかった。



「分かった、なら何か分かったら逐次教えてくれ」



「ついでに商品の仕入れもしてくるからお楽しみに」



 薫の調子は今の状態を楽しんでいるように思えた。住人の失踪という事件を心配するよりも住人の失踪というイベントを引き当てて発生した目標に胸が躍っている。声の調子は商売をしているときのそれと変わらなかった。



 薫が仕事を始めた以上、富田が手を出す必要はなかった。あとは薫がよくも悪くも勝手にこなしてくれる。富田ができることは、人の来ない店に空き巣が入らないようにかかしをすること、薫の連絡を待ちながらネットサーフィンをすることだった。



 薫とのチャット画面を引っ込めてブラウザを開いた。初期ページにはニュースのカードが並んでいる。知ったところで対して役に立たないゴシップばかりが並ぶ。このご時世、情報としてのニュースなんてろくに見ない。大概が娯楽としてのニュースばかり。富田は気に留めるつもりもなかったし、そのまま信頼しているメディアのサイトや動画サイトに移るつもりだった。



 別に目立つ場所にあるわけではない。たまたまマウスのカーソルがそこにあるだけだった。記事のカードに記載されている出典がたまたま信頼しているメディアであるだけだった。



 人工知能が突如いなくなる日。



 キャプションを読んだだけで藤田のモデルが脳裏に浮かぶ。おそらく八日前にいなくなった藤田。一切の言葉なく数百万のノードを分散経由してどこかに出かけた彼。



 出かけた?



 家賃支払いのタイミングでずっと家を空けるのか?



 人間であれば銀行振込やクレジットカードで自動引き落としができる一方で、人工知能はカードも銀行口座も持てない。口座が持てない以上自動引き落としができない。個人番号が割り当てられないからだ。だから直接仮想通貨を渡してもらうしか方法がない。契約するときも説明したし、藤田も同意した。



 富田と藤田が対面した状態で仮想通貨の転送をしなければならない。近い内に起きるのは分かりきっていた。それでも消えたのだ。



 記事の中では、これを長期取材の連載にするつもりらしい。というのも、メディアの記者の一人だった人工知能が突如として失踪したのだという。連絡も繋がらなければ、行き先も分からない。何重にも包んだ、通信速度を度外視したかのような匿名通信。記事として書いている内容は、記者に起きた事実をつづったものだった。



 藤田だった。この記事で示されている人工知能の記者と住人とが重なった。もしかしたら富田のマンションに住んでいて、部屋取り上げの危機に陥っている彼は、もしかしたら記事に書かれている記者かもしれなかった。



 いや、まさか。単なる想像に過ぎない。たまたま似たような体験をしたから安易に飛びついてしまっているだけだ。



「薫、どんな感じ?」



 暇つぶしがてら薫に呼びかけてみた。どうせ進展はないのだろうけれど、気分を紛らわせる話し相手が欲しかった。



「何にもないよ。千葉ニュータウンはハズレ。今は多摩センターのデータセンターにお邪魔してる。いい商談があってね。やっぱり大きなデータセンターにはお金が眠っている」



「AIがパーツを持っているって?」



「それもあるけれど、ほら、データセンターに閉じ込められてひたすら運用を見守るだけの開発者とかいるじゃない。暇を持て余しているように見えたから話しかけてみたら、色々売りたいものがあるらしくて」



「迷惑だけはかけるなよ」



「もちろん、私は行商人だよ。あ、誰か呼んでいる」



 新しい商談相手が見つかったらしく、富田を放ってデータセンターの中を駆け巡る。富田よりもよっぽど商売人らしかった。

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