ニューラルの先に

ニューラルの先に::0.プロローグ

ニューラルの先に::0.0 閑古鳥が鳴きながらも忙しい

 富田堂という中古パーツショップを遠巻きに眺めれば、そこは誰一人寄りつかない店なのがすぐに分かる。電気街として名高い秋葉原に店を構えているとは言い張っているものの、実のところはむしろ御徒町だとか新御徒町の方がむしろ近いところ、ほぼ詐称と言っても違和感はないのである。



 ところがどっこい、店主である富田洋に言わせれば暇ではなかった。富田は客一人いない、古い端末の部品が山積みの横で座っていた。左手側にはタブレット、これはレジスターだ。正面には薄いノート型端末があった。



「あの、一応は用意させていただきましたが、本当によろしいのでしょうか」



 富田がテキストチャットに打ち込む文字は客に対してはあまりに憂いを含んだものだった。店としてはただ要望に答えて、対価を貰えればそれでよいものだが。



 普通の物品であれば。



「こんなプログラム、単体では全く役に立たないプログラムですよ。特定のアドレスを起点に複数のポインタを交換するだなんて。それだけなのにこんな長いプロトコルを使うだなんて。提供するのであればもっと有意義なものにしたいのですが。」



「これでいいのです、いいのです」



「何か言いづらいことでもあるのですか? アイカさん、改めてお尋ねしますが、このプログラム、何に使うつもりなのですか」



「それは聞かないお約束でお願いしたはずですが」



「それはそうですが」



 富田はキーボードから手を離した。デスクのへちに手を置いてモニターの一点に視線を集めた。チャットアプリの裏で下敷きになっているファイルエクスプローラがちらりと見える。たった一つ、白地に歯車の描かれたアイコンがあった。



 無駄に長い、けれどもやることは極めて単純なライブラリプログラム。



 こんなもののために高級ソフト並みの対価を払うだなんて。



 何に使うかどうか分からない。普通のプログラムではなかった。とはいいつつも、商売で交わしたことだからしょうがないことだった。せめて、仕事を受ける前に『膨大な仕様書』を読んでおくべきだった。先払いではなく、後払いにするべきだった。ただならぬ金額に目がくらんだ富田の過失である。



 モニター上のアイコンに人差し指を添えた。しばらく触れたままにすれば縁取りが濃くなり、風に吹かれているように揺らぎ始めた。それをチャットアプリのコメント欄へに動かす。指を離せば言葉通り『落ちてゆく』。見えないほどに小さくなったアイコンは一転、チャットのタイムライン上に添付ファイルとして現れた。



「ありがとうございます。お願いしてよかったです」



 相手に対して返事を書こうと思った矢先に新しいタブに邪魔をされる。タブには見知らぬアカウントからの連絡が来ていた。タブに表示されるのは『薫ハイツ』という名前。富田のパーツショップは富田堂で、アパートのような名前ではなかった。



「薫、お客さんだ、対応してくれ」



「今日はカオルじゃないよ、カオリのほう」



 耳につけている小さなヘッドセットから聞こえるのは少年のような声だった。



「気分によって性別を変えるのはこの際いいとして、呼び方を都度変えろっていうのは何とかならないか? いいや今は答えなくていい、俺は店の相手をしているから入居希望者の話を聞いてくれ」



「はいはァい」



 薫の返事とチャットにトークが追加されたのはほぼ同時だった。いらっしゃいませ、から始まるセールストークを見届ければ富田の役目はなかった。残るのはプログラムを取引した相手に決まり文句を並べるだけだった。『こちらこそありがとうございます。今後ともごひいきに』。これだけを並べる作業だった。



 タブに戻っても、しかしその言葉を並べることはできなかった。客であるアイカなる人物はチャットのセッションから退出してしまっていた。失礼な店員とでも思われてしまったか。



 富田は店内を見渡す。運よく誰かが興味本位で物色してはいまいかと期待したものの、狭い店内に富田以外の人間はどこにも見えなかった。自動ドア越しに外を見ても、そもそも人が歩いている様子がなかった。



 やることがなくなった富田は薫の商談を眺めるに決め込んだわけだが、しかしそこで新しいタブが開くのである。富田堂とアカウント名が表示されたタブ、もしや注文の依頼かと思えば、道に迷ったAIが訪ねてきただけだった。



 富田堂。リアル店舗に閑古鳥が泣き続けているものの、仮想空間ではそれなりに賑わっているのである。

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