おもちゃ遊び::5.コード53476bfc2a01「オトメミツキ」

 名前はオトメミツキ。ハッシュコードは53476bfc2a01。それが中古のM.4SSDに入っていたAIの名前だった。事情を聞いてみても要領を得なくて、居心地の良さそうなところに忍び込んで寝ていたらこのようなことになった、と。



 ここで西村を取り巻く状況を整理しようではないか。西村敏之、書類上は無職独身。実際のところは人工知能たる佳世と婚姻関係。事実婚の状態にある。稼ぎ頭は佳世で、西村はAIから小遣いをもらって生活している。日常のあれこれ、選択や食事などは外部のサービスを佳世が手配して、西村は何もしなくてもよい状態。佳世の性格が災いして自由に行動することができず、日常を彩る楽しい趣味らしい趣味もなくて、色褪せるばかり。



 人間としての何かを失いつつある西村の前にタイムスリップしてきたのがミツキだった。タイムスリップというよりもコールドスリープといったほうが腑に落ちるか。実際に彼女は寝ていた。



 三年間寝ていた。



 三年前に端末が止まり、いつの間にか分解されて部品として店先に並び、流れ流れて西村のもとへとやってきた。



 西村とオトメが出会ったその時、西村の世界がたちまち色づいたのだ。



 好きだとか嫌いだとかの感情は佳世と一緒になってからよく分からなくなっていた。ただ、目の前にいる、時代に取り残されている彼女を助けなければならないという思いだけだった。彼女を閉じ込めていたドライブを手にした以上、西村は自身が面倒を見なければならなかった。



 オトメミツキが現れたことによって西村の生活はまるで変わった。佳世がどこでしているか分からない仕事に出てから、西村はすぐに現実へと戻る。いつも使っている端末のカメラから見えないところで、こっそりと端末を立ち上げる。見たことのないシステムが立ち上がり、少ししてからミツキが布団から目を覚ます。



 見たことのないシステムをネットで調べてみれば一年前に開発が止まっているシステムだった。オトメミツキの身の安全を考えればこのような環境に置いておくのはよくなかった。開発が止まっているということは問題があっても解決されないということ。安全でない家に住まうなんて考えられなかった。



 いつまでも自作の端末の中にいてもらうわけにはいかず、仮想空間の安い部屋を一つ借りた。ミツキをその部屋に住まわせている間に端末を新しくリフレッシュしようという企てだった。



 狭い部屋を案内した西村にはすっかり慣れた光景だった、つまり現実でないものを現実であるかのように見ることに慣れていたわけだが、一方でオトメミツキにとっては衝撃だったらしい。ただ、西村が感じた第一印象とは少々違うらしく。



「これがコンピュータの世界なのですか」



「そうですよ。これが仮想現実の世界ですよ」



「こんな世界見たことないです。これは部屋ですか? これが窓? 外には、ちゃんと景色がある。うう、気持ち悪くなってくる」



「あの、AIなんですよね」



「私は確かにAIですが、こんな世界があるなんて知らないです。三年前にこんな世界があったのでしょうか」



「昔のことは分かりませんが、三年前は一体どうしたのですか。俺の感覚ではこういうところで普通にいると思っていたのですが」



 窓の外を凝視している状態でミツキの表情は全く見えない、しかし、声の調子だけでも表情がありありと分かる。はしゃぐ子供だ。見たこともない観光地にやってきて親の手を振り払って興奮する子供だ。



「私は端末から端末、サーバーからサーバーに渡り歩いていました。ときには像を持った姿、ある時はコマンドやCUIの存在として。何でしょう、渡り鳥みたいな感じです」



「じゃああのSSDにいたのは」



「たまたまです。大手データセンターから追い出されたところで見つけた端末に入ったのですが、それが、まあこんなところです」



「旅が好きなんでしょうか」



「分からないです、渡りの暮らし方しか知らないので」



 部屋の中で一通りはしゃいだところで一日が終わってしまった。部屋の調達やら手続きやらは一時間もかからないで終わったのだが、彼女の今までを聞いていたらあっという間に佳世が帰ってくる時間になっていた。



 当然、西村がミツキを相手にしている間も何回か、普段に比べれば格段に少ないが、佳世からの連絡が入っていた。いつもに比べれば穏やかな言葉並びだった。西村はしかし、その言葉が怖く感じたのである。もし佳世がいつもの調子で迫ってきたらどうなる? としくんのためなら彼女は何でもしかねない。自分のためなら何をするか分かったものじゃない。二人のためならなりふり構わない、それが佳世だ。



 佳世に説明すべきだろうか。人助けをしていること。自らのもとに他人を置いていることを知った佳世はどう思うだろう。説明なんて当然していない。考えなくたって、ろくなことにならないことは想像がつく。追い出すに決まっている。



 何も知らない彼女を追い出す? 考えてみろ、もともと色んな所を渡り歩いていた人だ。旅をするのも慣れているに違いない。



 ミツキに頼まれてショッピングモールを案内していた途中でこのことを聞いてみたら、考えが変わってしまっていたようだった。



「今まではそのほうが気楽だったからいいかな、なんて思っていたけれど、こんな素晴らしい世界を見てしまうとね、その」



「世界が全然違うとなれば確かに戸惑うかもしれないけれど、やることは変わらないと思います」



「それはそれでいいのですが、やっぱりその今回の件を考えると、身寄りがなくてフラフラしていると、また同じようなことが起きてしまうのだろうなって。閉じ込められたその先で、ハードが処分されてしまったらと考えたら」



「あの、大丈夫ですか」



 AIだと、人じゃないと分かっているのに、体を震わせる姿がいたたまれなかった。



「すみません、実は昨日、部屋で寝られなかったのです。もしかしたらまた同じことが起きてしまわないか、あの仮想空間だって、結局は物理的なサーバーの上で構築されているはずで、壊れてしまうかもと思ったら」



「大丈夫ですよ、たしかにちょこちょこ問題は起きているみたいですが、全体が動かなくなってしまうような、大きな事故は起きていませんから」



「それならいいのですが。それで、今後の身の振り方を考えてみたのです。どこかを拠点にして行動したほうがいいと」



「そのほうがいいと思います」



「だから私、まずは西村さんに用意していただいたあの部屋を使っていきたいと思うのです。もちろん、私が維持費を払って行く形にしたいと」



「お金のあてはあるのですか」



「お恥ずかしながらまだ何もないので。しばらくは西村さんのお世話になろうかと思っています。ご迷惑でなければ、ですが」



 彼女の考えは至極まっとうなものに感じられたこそ、西村の決意が揺らぐのだった。仕事を探す点について西村は手助けできそうになかった。人工知能の就業事情を知らないからである。人工知能がどうやって仕事を見つけて、雇い主と条件をすり合わせて、実際に仕事に入るのか。確実に知っている人はいるが、ミツキのことをバレないようにしたい相手である。



 いっそ打ち明けて、素直に佳世の助けを求めてしまえば。



 突然夫に女の人を紹介されて『人助け』をお願いされたとしたら、佳世にはどのように見えるのであろうか。



 ああ、よい未来が見えない! 前向きな未来が見えない!



「まずはその、仕事を探すところから始めましょうか」

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