おもちゃ遊び::4.目が覚めたら知らないところにいました
窮屈さ。抑圧。息苦しさ。ぼんやりと輪郭のあやふやな気持ち。ほんの少し飛び出したい気持ち。
がっちりとがんじがらめにするわけではないけれど、じんわりと相手を縛るような佳世の振る舞いは徐々に西村を毒してゆく。一気にがんじがらめにしてくれれば西村だって佳世から離れることぐらいできただろう。うまいことアンインストールしてしまえば存在そのものを消すことだって可能だった。
考えてみよう。指を輪ゴムで軽く縛ってみよう。始めは圧迫感を感じるだろうが、次第に慣れてゆく。慣れたら再び縛りを少しばかり強めて、また慣れるのを待つ。これを何回も繰り返せば、気づかない内に一線を越えてしまう。つまり、究極的には指が壊死してしまう。
西村も同じように、徐々に壊死に近づいていたのだった。自らは気づかない内に、人工知能によって壊されようとしていた。無邪気に人間的な死ヘまっしぐら、西村の人生はどうなってしまうのか?
そんな、緩やかな死を迎えつつ西村を迎えたのは一つの出会いだった。よりによって週に一回の外出の時だった。仮想現実で出かけるのではなくて現実の外出。家の外に出なくても何ら生活できる西村にとっては一ヶ月ぶりの外出だった。
ネットショッピングで全て事足りる生活の中、何を西村は求めたのだろうか。答えは簡単、新しい端末だった。ちょっとした好奇心で端末を自作をしてみようと思い立ったわけである。
ただ自作をするだけでは面白くない、そこで西村は中古のパーツを買い集めて端末を作ることにした。中古の中で性能のよいものをかき集めて作るのである。実用さを考えない、ただ作ることだけを目的とした遊びである。大量のお小遣いをもらっているからこそである。
しかもいろんな店をはしごして部品を探して回るものだから、体の健康にもよいときた。一日中歩き回った後へとへとになって帰ってくればすでに佳世が待っていて、その疲れっぷりに心配になるほどだった。
「何でそんな疲れているの? 脈拍とか体温とか疲労物質とか色々おかしくなっているよ、とくに疲労物質」
「いろいろなところを歩いて回ったからね、いい運動かな」
「そんなにいろいろ動いて疲れるのならネットで注文すればいいじゃない。あるいは私と一緒にデートでもしながら」
「色々歩き回って部品を探すのも宝探しをしているみたいで楽しいのだよ。そうだ、デートは週末にでも行こうか。スポーツなんてどうかな。VRで分かるかどうか分からないけれど」
「eスポーツは、確かに、やったことないかも」
「じゃあ決まりだ」
週末の予定を決めたところで残りやることとなれば、買い集めた部品の組み立てであるが、しかし。精密機械を組み立てるにしては西村は疲れすぎた。部品をはめたり配線したりするに足る集中力はなかった。うっかりでパーツを壊して再び街を激走するのは嫌だった。いくらよい運動だ、と勢いづいたところで限度があるのだ。
だからといって疲れすぎて朝が起きられないことは予想だにしていなかった。目が覚めたら妙なだるさが肩にかかって重たかった。頭の中が西村のものでなくなってしまったかのようだった。何かがのしかかっているのか、いろいろなところをシャットアウトされているか。ベッドの上で腰を曲げるぐらいしかできなかった。
人間を辞めたような様相を呈した西村を生き返らせるのはスマートフォンだった。テーブルに置いていたスマートフォンがブルブル震えて天板を打ち鳴らした。音に顔を向ける西村はまだ動物だった。意思や考えが全く見えない、紐で引っ張られるがままになっているかのようだった。
バイブレーションに応じてスマートフォンの画面が有効になる。画面に大きく時間が表示されていて、下にはスイッチらしきものがあった。スヌーズという言葉がスイッチの一方にあるところ、アラームの画面だった。
時間を見た瞬間。
西村は人間を取り戻した。吹き飛ばされたかのようにベッドから飛び出すなりスマートフォンをひったくってスイッチを右に動かした。スマートフォンが大人しくなるよりも前にそれを投げれば寝間着に手をかけた。ベッドの、ちょうど西村が植物になっていたあたりにスマートフォンが転がった。
上着をいざ脱ごうとした西村がぴたりと動きを止まった。何かがおかしい、と気づいたのは簡単な理由で、どこに出勤しようとしているのか、という素朴な疑問だった。
始業に間に合わない、遅刻だ、と焦る先の職場はどこだ? 佳世に迫られるまま仕事を辞めたのはどこのどいつだ。
寝間着を脱ぐ手を離すなり再びスマートフォンを手にする。意識を取り戻すなり西村の中では佳世でいっぱいになった。目を覚ましてから佳世と会話をしていなかった。もし会話をしないでいるとどうなるか。佳世の性質が分かっている西村としては、考えるだけで目が覚めるのだった。
スマートフォンの通知を確かめれば、案の定何件も佳世からメッセージと着信通知が連なっていた。心臓がじわりじわりと握りつぶされてゆくような感覚。寝起きにもかかわらず額に汗がにじんだ。
佳世からの連絡を追ってゆくに連れて西村の焦りはほぐれていった。最初こそは、
「どうして連絡くれないの、なんで、どうして」
と自分のことだけしか気にしていない言葉だったのが、次第に、
「もしかしてまだ寝ているから連絡をくれないの? 起きたら連絡して」
と寝ていることに気づいて連絡を呼びかけるように。
「昨日のことだからきっと疲れているのだね。ゆっくり休んで、連絡はしないでいいからね」
最後には気を使うようになっていた。
一人朝食を食べた西村は、佳世のいない一人だけの頃を思い出していた。自分のことだけ心配していればよい。自分がやると決めればやることができる。職業からも解き放たれ、十分すぎるほどのお金がある。自由度は無限だった。
自由へ解き放たれた西村はわざとらしく中古部品を並べて端末の組み立てに備えた。手に入れた部品が一面に広がるさまのワクワク具合といったら。端末を自作したことのある人にしか分からない感覚だ。
部品を見ればなんとなく組み立てる手順は見えてくる。思うがまま、気が向くままに部品を一つにまとめてゆく。部屋に散乱した部品が少しずつ一つのものになってゆくのは見ていて気持ちがよいものだった。
組み上がった端末の電源を入れる瞬間はワクワクが最高潮に達する。同時に緊張の瞬間でもある。組み立ての一山を超える瞬間であると同時に、故障したパーツが見つかる瞬間でもあるのだ。
西村の想定では統合ファームウェアOSの画面が表示されるはずだった。音声認識や画像認識、仮想現実の機能を持たない、シンプルなもののはずだった。それぞれの部品を制御するための基本的な機能しか持たない、相当昔にはこれが普通だったというシステム。
貧弱な機能の画面を待ち受けていた西村にとって、目の前の画面にあるものは予想外も予想外で、何が起きているのかよく分からなくなってしまった。たかが画面を見ただけでうろたえることなどなかろうと思うものだが、実際、西村の顔は絞られるかのように血の気が引いていったし、事実、西村の前にある光景は到底想像できるものではなかった。
中古品の端末にどうして人が寝ているのだろう。
人というのは語弊があった。訂正しよう。モニタの中で、布団にくるまって誰かが寝ているようだった。誰か、知らないAI。中古で買った部品の中でぴーすか寝息を立てている。時々豪快ないびきをかいている。
この人は誰だ。
見たこともないAIがどうして西村の部屋にいるのか。
佳世しか入れたことのないこの部屋に、見ず知らずの存在がどうして寝ているのか。
誰だ?
こいつは誰だ?
どうすればよいのだ?
何だか動いているぞ?
西村が目の前の状況を飲み込めない中、掛け布団がもぞもぞと動き始めた。寝返りを一つ打ったところでうつ伏せになるわけだが、ややあってから、むくりと体が持ち上がった。何事もなかったかのように動き始めたAIに言葉が出なくてただ見るのみしかできなかった。
AIが膝立ちになったかと思えば背伸びをした。限界まで腕を伸ばして左右に体を傾けたからだろう、絞られた体から言葉にならない声が漏れでた。脇を伸ばすだけでは足らなかったらしい、次にそれは体をねじるのである。体を限界まで回してくれたために西村は彼女の顔を拝むことができた。餅のような白い肌、見ただけで柔らかそうな頬。
緑色の目。
人間とは全く違う目を見た瞬間、
「あんた誰!」
とAIが飛び上がって驚くものだから、西村は驚き損ねるのだった。
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