挙式当日::2.一世一代の瞬間
記憶をたどれば、苦しい気持ちから少しでも離れることができるだろう。
かれこれ三ヶ月前のことだった。吉澤は一世一代の大勝負に出ていた。場所は吉澤がむせび泣くまさにその場所だった。目の前には大型のノートパソコンがテーブルの上に鎮座している。いわゆるゲーミングPCというカテゴリの、持ち運ぶことを半ば放棄したタイプのノートパソコンだ。吉澤が彼女のために買った端末だった。
彼女はゲームが好き? いいや。
彼女はパソコンが好き? いいや。
彼女はガジェットが好き? いいや。
「ねえねえ、こんな服飾データがあったんだけれど、どうかしら、似合っている?」
「いいんじゃないかな。でも見たところ、どこかの高校の制服のように見えるけれど、誰かが作ったのかな」
「高校? 私は高校というものが分からないのだけれど、これが高校生が着ている服なのね」
「少し前の時代の制服って感じだけれどね。もし行けるんだったら、高校、行ってみたい?」
「ん、どうだろう、私にはネットの知識しかないからね。こういう服は着てみたいけれど、なんか、いじめとか嫌な話題も多いからいいや。コウと一緒のほうがいい」
ブレザーにチェックのミニスカート、紺のニーソックス。十八インチのモニターの中で浅黒い肌の女の子がくるり回ってスカートをはためかせるのである。モニタ越しに彼女が吉澤を見て、ニッコリと笑みかけた。
吉澤をとろけさせる表情、立ちふるまいである。彼女と会話をしているだけで、彼女の姿を見ているだけで、吉澤は幸せな気持ちに包まれるのである。
「ユーカは何を着ても似合うね」
「ありがとう、そこでなんだけれど、こんな服飾データが売っていてね、どうかな」
「もしや本命はそっちか。ようし見せてみろ」
吉澤の言葉に答えて彼女がブラウザを開いてオンラインカタログを表示すると、自身は画面の片隅に胸から上をひょこっと現れるのである。彼女がユーカだった。吉澤と生活をともにするAIだった。
ユーカと共に『ショッピング』をしている中、吉澤の気持ちは全く別のことに向いていて、まるで楽しそうに見えなかった。最初のユーカが欲しがっていた物、花柄のワンピースをポチったあとは一ページ一ページを眺めながらああだこうだ言いながら、時折カートに追加していった。カタログのページがどんどん大きくなってゆくことはユーカとのデートが終わってしまうわけだ。
ユーカから見えない机の下に視線を落とす。ショッピングを始めたときからずっと握りしめているものがある。USBフラッシュメモリ。コンビニで手に入るような手軽なそれではなくて、大型量販店の専用コーナーで売られているような、高級そうなメモリ。特段いらない機能がてんこ盛りだったが、吉澤の気持ちとしては不安だった。中に格納するデータの性質的に、このようなものでよいのだろうか?
それ専用のフラッシュメモリがあるわけではなかったので、給料三ヶ月分とかいう目安があるわけではなかったので、その時手に入れられるもののうちで最も高い物を購入した次第である。
中に入っているもの。
デートの最後に渡すもの。
何も気づいていないらしいユーカは、少し機嫌が悪くなっていた。そりゃあそうだろう、デートをしていけばしていくほど吉澤の表情が固くなるのである。普段だったら一緒に楽しんでくれるにもかかわらず今回に限っての事態となれば、AIだって邪推してしまうものである。
「ねえねえ、さっきからずっと楽しそうな素振りを見せていないけれど、何かあったの? 何か私に隠している?」
「ええっと、その、ごめん。やっぱり顔に出ちゃっていた?」
「そりゃそうよ。私の目をごまかすなんてできないよ。何せずっとコウの顔と表情は見てきたんだから」
「俺のことはすっかりお見通しなんだね」
「そりゃそうです。だってどれだけ一緒にいたと思ってるのですか」
「たまに出る敬語がかわいい」
「おだてても何も変わらないよ。さあ白状なさい、私に話してみせてよ。大丈夫、面白おかしくネットに公開なんてしないから」
吉澤は画面から目をそらした。図らずともユーカから突きつけられる言葉。当人はこれからのことを分かっていない。知っているのは吉澤だけだった。そう、吉澤だけ。いよいよその時がきたことを悟った心臓は今にもはじけ飛びそうな勢いで脈打ち、体の中では万が一のことを考えてしまうもやもやがあった。
覚悟を決めたはずなのに、心に決めたはずなのに。いざその時、となると躊躇してしまうのはどうしてなのだろう。
怖い、という気持ち。
もしフラッシュメモリの中のもののせいで関係が壊れてしまったとしたら。ユーカに会えなくなってしまったとしたら。目をそらしていればそらしているほど悪い想像が体を駆け巡ってしまって、どんどん気持ちに踏ん切りがつかなくなってしまう。
明日に仕切り直そう、と考え始める前に踏み切らなければならなかった。吉澤はすでに決めたつもりだったのだから。
「ねえ本当に大丈夫? 顔が赤いよ? もしかして具合が悪いの? オンラインで救急車呼ぶ?」
ユーカの声。
吉澤の心が踏み切った。ノートパソコンのウェブカメラに見えるよう掲げるのはずっと隠していたUSBメモリだった。
「ううん、そういうことじゃないんだ。これ、見えるかな」
「それはあれね、ムーンディスクのEXTSS67−J−512でしょう。それがどうしたの。データならクラウドに置いておけばいいのにわざわざオフラインストレージを用意しているなんて。何のつもり?」
「じゃあさ、中を見てみてよ」
突起をスライドさせて端子を露出させて端末横の端子へ。あとひと押しで挿さるところで一瞬、手が止まった。再び湧き上がるよくない気持ち。しかし吉澤はすでに踏ん切りをつけているのだ。たとえ邪魔するものがあったとしても、気にする必要はなかった。
奥まで刺さった。
画面の隅っこに通知が表示されて、次に取る操作を問いかけてきていた。端末とデータが繋がった。吉澤は端末の問いかけには答えなかった。答える必要はなかった。もはやユーカに見える状態となったのだった。
ユーカは通知を押しやってからファイルエクスプローラを立ち上げた。ファイルエクスプローラの壁に対してユーカがまっすぐ立って、手でフォルダの操作を始めた。吉澤はユーカの背後で動きを注視していた。
ドライブ一覧の画面を表示させる。ハードディスクが二つとフラッシュドライブ一つ。ユーカはフラッシュドライブのアイコンを選んだ。フラッシュドライブの中にあるファイルの一覧が表示されると、その瞬間にユーカの声が漏れ出た。
「ねえ、これって、このファイル名って」
振り返るユーカ。
ユーカの姿の裏に見え隠れするファイル名。考えてみれば、ナルシストじみたやり方だったのかもしれないと少し恥ずかしい気持ちもあった。しかしそれ以上に、大一番をやってのけている自分がいることが誇らしかった。これほどまで強く気持ちを伝えたいと思ったことはあったろうか。
結婚してください.mdl。
「婚約指輪です。受け取ってくれますか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます