サザエさんタイムをもう一度

不貞寝コアラ

第1話

京から実家の最寄り駅へと向かう赤い電車。

車窓からは、学生の頃と変わらぬ風景が広がっていた。


両親から、

私が小学校から大学まで暮らした賃貸マンションを引っ越すと告げられたのは、

1ヶ月前のことだった。


「経済的に困窮し、家賃の安い県営住宅に移る必要がある」という引越しの理由。

なかなか物悲しいが、社会人3年目の手取りでは、どうしてやることもできない。


大学生の頃、父親の会社が倒産して以来、家計は一気に困窮した。

両親の仲も悪くなり、息子に心配をかけまいと、仲良さそうに繕う二人を見るのが嫌で、実家に帰るのを躊躇うようになっていた。


自宅のドアを開けると、

「おかえり~」という声と共に、母が出迎えてくれた。


どうやら父はいないようで、少し安堵した。


家を見渡していた私を見て、

「良い家だったんだけどねぇ~」と、母は明るく振る舞うように言った。

家を見渡さなければよかったと、心の中で後悔した。


「今日、ご飯は?」

と、気まずい空気を回避するために母に尋ねる。


「ああ、どうしようかね~」


「鮭の切り身にクラッカーとマヨネーズ乗っけて焼くやつあるじゃん?あれ、久々に食べたいんだけどな」


学生時代、私が好んで食べていて、

母親も自分の発明のように、嬉々として出してくれたものだった。



「ちょっと材料ないかも・・・ハンバーグとかでもいい?」


「ああ、全然大丈夫だよ」


「すぐに作るから、お風呂にでも入ってて」


母のもてなしに従い、風呂場に向かった。

そこには、私が学生時代に使用していたシャンプーがそのまま置いてあった。


私が学生時代に癖毛を気にしていたために、

母親が通販で見て、買っておいてくれたものだった。

思ったよりは効かなかったが、それでも母親の気遣いに応えたくて、

ずっとそれを買ってもらうように頼んでいた。


「このシャンプーも引っ越しで捨ててしまうのかもな」と思った刹那、

この風呂に入るのも、今日が最後なんだろうという実感が湧いて、

寂しさが込み上げてきた。


まだ17時だが、私はお風呂に入った。

働いているので、今では寝る前に入る習慣となっていたが、

実家では、いつもこの時間に入っていた。


特に日曜日は、のぼせ上がった状態で、

笑点を見るのが好きだった。


画面の中の畳や座布団の絵面と、画面の前の自分の温まった体温が相まって、

まるで温泉旅館にいるような「くつろぎ」を感じていたのかもしれない。


その後に、ちびまる子ちゃんを観て、

サザエさんの時間に両親と食事をするのが、

日曜日の夕方の、幸福な過ごし方だった。


湯船に浸かると、幼少期の様々な思い出が浮かんできた。


小学生1年生の頃、

父親の私の頭の洗い方が、ゴリラが犬を洗ってるのかというくらいにガサツで、

もう一緒にお風呂に入りたくないと宣言した思い出。


小学2年生の頃、

周りの様子を見て、流石に母親とお風呂に入り続けているのはまずいと気付いて、

自ら母親との決別を選んだ思い出。


小学3年生の頃、

初めて好きな子ができて、

「この熱い温度に耐えきれたら、その子に好きになってもらえる!」なんて、

変な願掛けをしながら、湯船に入っていた思い出。


時系列順に思い出していくと、

小学4年生頃に、妙な記憶があったことを思い出す。


私は度々、お風呂の中で、ひとりで泣いていたのだ。


「両親がいつか死んでしまう」という考えに取り憑かれ、

寂しくなって、泣いていたのだ。


事の発端は、私が小学4年生の、10月の父親の誕生日。


学校で、両親の年齢の話が盛んになった頃で、

「お父さんは、いくつになったの?」と母親に無邪気に聞いた時に、

「よんじゅー"しち"さい」と言われたことだ。


周りの両親の年齢が、35歳程度と聞いていたので、

47歳という年齢は、あまりに衝撃的だった。


「よんじゅー"いち"さいだよね?そうだよね?」

と父親に何度も確認していたが、


「よんじゅーしちさいなんだよ」と答えられた。


その頃の、父親は困った顔をしていた記憶があるが、

今ならば、裏で見ていた母親の、心底気まずそうな顔まで想像できる。


父親の年齢の認識は、

「自分の父親・母親は、いつかいなくなってしまうものなんだ」

という想像を、幼い私の頭に植え付けた。


その日を境に、お風呂に入って、ひとりになると、

両親がいなくなる瞬間のことを想像してしまい、涙が溢れてくることがあった。


今思えば、小学生にとって、

自分を支えてくれる人がいなくなるというのは、相当な恐怖であったように思う。


ーー今はどうだろう。


あの頃、私を支えてくれていた両親がいなくなることは、

それほどまでに、私の恐怖心を煽るものなのだろうか。


自立と共に恐怖心が薄れていることを知って、私は胸が締め付けられる思いだった。


今は婚約者もいて、仕事も忙しくて、私の心の中心から、徐々に両親は遠ざかっていった。

良くも悪くも、「異なる人生を生きる者」として、両親を見ているような気がした。

あの頃のようには泣かなくても、私はあの頃のような気持ちで、両親を大切に思えているのだろうか。


私が9歳の頃、47歳だった父親。

いま私が27歳ということは、父はもう65歳で、母は63歳だ。


長生きの時代といえど、

あと10年で、もう両親がいなくなってしまうことだって十分にある。


「あの、シャンプーまだ使えた?」

と咄嗟に母親に聞かれ


「ああ、大丈夫だったよ。」

と泣いているのを悟られないように答える。


「ちなみに、あの鮭にクラッカーとマヨネーズ乗っけるやつ作ったから」

と追撃を受け、危うく泣きそうになったが、


「お、ありがとう。」

と返事をする。


ーーと同時に、玄関の扉が開き、

「おぉ~、帰ってるのか~」という声が聞こえてくる。


一瞬気まずい感情が心を過ったが、

私がそう思っていては、何も始まらない。


私はもう一度、

小学生の頃のように家族全員で食卓を囲み、

サザエさんを観るような、そんな時間を取り戻したいと思った。

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サザエさんタイムをもう一度 不貞寝コアラ @futa3

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