三 ほとんどの悪を吐き終えたら③
俺は定期的に優子の元を訪れるようになった。
さすがに毎日だと怪しまれるかもしれないので、人目を盗んでこっそりと。理由としてはやはり食事代を渡したりだとか、それができなければ自分で買ってきた弁当や、他の場所から盗んできたゲームなどの娯楽品を置いて行くためだった。
優子は、少しも疑う素振りを見せなかった。普通なら、突然現れた大人の男が食べ物を置いて行っても、喜んで食べはしないだろう。見知らぬ人からもらったものは食べないと言った、人としての危機本能が働くはずだ。俺も最初は「もしかしたら空き巣を捕まえるための罠かもしれない」と若干訝しんでいたが、楽しそうにゲームで遊んでいる優子を見ていると、そんなことを考えるのも馬鹿らしくなった。
俺は優子と一緒にご飯を食べたり、ゲームで遊んだりしながら、優子がこんな状況に陥った経緯を聞きだした。
結論を言えば、優子は昔の俺に似ている。
数ヶ月前に両親は旅行に出かけたきり、戻ってきていないそうだ。
違う点と言えば捨てられたのではなく、その両親は旅行先(と優子は言っているが、恐らくただの外出だろう)で、帰らぬ人となった可能性が高い。両親の名前を聞いて、俺はその名をニュースで見たような気がしてならなかった。思い出せそうな気もするが、最近物覚えが悪くなったのか、まるで浮かんでこない。
金池町の屋台通りを歩きながら、一人で唸り続ける。
これでいいのだろうか。
俺のやっていることは、間違ってないだろうか。
ソースのこげる香りとイカ焼きのにおいと綿あめのにおいとリンゴ飴のにおいが混ざって、決していい空気ではなかった。
夜の金池町は、不思議とお祭りのように出店を出しているところが多い。屋台通りと呼ばれる由縁だ。名前が先か屋台が先かは分からない。大体の店はお好み焼きだとか焼きそばを売っているが、博多とかそこらへんの屋台よろしく、ラーメンだったりおでんだったり種類豊富で、居酒屋風の店だって当然ある。俺は通い慣れた屋台の暖簾をくぐり、席が空いてるのを確認して座った。
「おやじ、熱燗と鶏皮ね」
俺がそう言った刹那、おやじは熱燗をカウンターに差し出した。まさか、俺が来るのを分かっていたのか。まあ、同じ曜日の同じ時間に何度も通っていれば、そうなるか。俺はくっくっと笑い、酒を嚥下する。
そのとき、少し離れて座っていたスーツ姿の男が、こちらを振り向いた。
「お前……まさか、博人か?」
名前を呼ばれ、俺は男のほうを見やる。
短く切り揃えられた髪に、まつげの長い切れ長な目。一瞬、俺の名前なんかを知っているのは……と思ったが、つい最近思い返した記憶の中に、その姿を見つけた。
「……もしかして、マサチカ?」
「ああ! そうだ、マサチカだ覚えてるか!」
「うおう、なんて偶然だよ」
俺達はおやじが驚いているのを横目に、隣同士に座って肩を組み合った。
「驚いたぜ。マサチカがこの街にいるなんてな」
「最近異動になったばっかりなんだよ。まあ、とりあえず飲もうぜ」
マサチカと俺は、迷うことなく生ビールを注文した。
少しだけ、胸が痛かった。
「……ってわけで、四月から金池署で勤務してんだ」
何杯か生ビールを一気飲みした後、マサチカは赤ら顔で話し始めた。
話をまとめると、警察学校は無事に卒業できて、その街の警察署でキャリアを積んだ後、生まれ育った街で勤務したいと志願して戻ってきたということだった。俺は心からすごいことだと思った。マサチカは昔から有言実行する奴だったが、夢を本当に叶えてしまうとは。
「まったく、警察官ってのも楽じゃないぜ。おやじ、ビールおかわり」
「おいおい、あまり飲み過ぎるなよ」
俺は生ビールをちびちび飲みながら笑った。
楽じゃない、と話すマサチカは、とても楽しそうだった。
「そういや博人は、画家にはなれたのか?」
笑顔混じりにマサチカは言う。
彼からすれば、お互いの現況を確認するためのさりげない一言だったんだろう。だが俺は、その言葉に息が詰まる思いがして、少しだけ逡巡した。
「……いや、まだ見習いだ。バイトしながら、絵を描き続けている」
「そうか。お前なら大丈夫だ、博人! 俺が見込んだ絵描きだからな、ハハハ」
「そりゃどうも」
耐え切れずに、ビールを一気に飲み干す。
「おやじ、俺もビールおかわりだ、ジョッキでな」
俺とマサチカは程よく酔いながら、卒業してからの話と、世間話と、これからの話に花を咲かせた。
「博人ぉ。お前あれだ、彼女とかはいねえのか、ん?」
「いるわけないだろ。中学時代の俺を知ってるお前が何を言ってるんだ」
「まあいてもいなくてもよ……大事にしろよ、彼女はよ」
「……? できたらの話だけどな」
時間を忘れて、二人で話し続けた。
ビールを三杯ほど飲んだ辺りからは酔いが回ってきて、屋台のおやじも話に参加させた記憶がある。おやじはずっと俺たちの話を聞きながら、にこにこ笑っていた。いや、もしかしたら不機嫌そうな顔をしていたかもしれないが、その時は酔いすぎてよく覚えていない。ドラマに出てくる俳優に似ているなとは思った。タイトルが思い出せない。ナントカ直樹だったか?
ひとしきり飲んだ後、俺達は屋台を後にして夜の金池を歩き始めた。
昔はビルなんて殆どない小さな街だった金池だが、昨今では都市計画が順調に進み、金池の駅も出来て、いつの間にか高層ビルの立ち並ぶ地域になってしまった。マサチカと一緒に歩いているのは、中学の頃小石を蹴りながら帰った道だったが、その記憶も今ではアスファルトに閉じ込められている。
「いやー、博人に会えただけでも、ここに帰ってきた意味があるってもんだ」
「ずいぶん大袈裟だな」
ぐでんぐでんなマサチカの肩を担ぎながら歩く。
「俺に会ったところで、なにか特別なことが起こるわけでもあるまい」
「んなことねえよ! 俺はお前には不思議な力があると思ってる、博人」
酔っているはずなのに、あの真摯な眼光を俺に向ける、マサチカ。
「いいか。お前には人を動かす力があるんだ。少なくとも俺はそう思ってる。お前との約束があったから、俺は警察官になって世の治安を守るという夢を叶えられた。きっと他にもそういうやつがいるはずだ。だから今度は、お前自身にその力を使うべきだ。お前の夢だった画家になるためにもな」
ひっく、としゃっくり混じりにマサチカは言う。
「夢を諦めんじゃねえぞ! 人はなあ、今日頑張れば明日には今日を超えた自分になれんだ! だから不断の努力を続けりゃあ、いつか報われる日がくるさあ!」
「……分かった。分かったから今日はもう帰ろう」
なんだ調子狂うなあー、とマサチカは笑う俺も笑いながら少しだけ俯いて歩き、病院の近くにあるというアパートまで、マサチカを送り届けた。
「じゃあな博人! いい夢見ろよ!」
「ああ、お前もな。おやすみ」
扉を閉め、自宅への帰路に着きながら、煙草に火をつける。風のない夜空に煙がゆらゆら昇っていくのを、馬鹿みたいに眺めていた。
「……悪いな、マサチカ」
明日は、何を優子に持って行こう。
考えながら夜は更けていく。
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