一 隣にいるということ②

 人生に必要なのは、生まれ持った才能ではなく、運命力だと思う。

 上ノ原智志はタッパがあって、顔もそこそこ整っていて、加えて運動神経が悪いわけではない。勉強もそれなりにできる。過大評価だと笑われてもいい。大言壮語とみなされても構わない。俺自身は客観的に見ればそれなりに良くできた人間だと勝手に思っていた。

 ところがなんだ、このザマは。受験に失敗したのを皮切りに名前もよく知らない大学に入学し、彼女はできたが別れてしまい、大学も専門科目の内容についていけずに中退し、それから始めたアルバイトも数ヶ月おきに勤務先が変わっている。どう考えても負け組の旅路をのらりくらりと歩み始めている。ちっぽけな矜持はまだ何とか平静を装っているが、いつ崩壊してもおかしくはないだろう。ちょっと前までは、そんなことをよく考え、引きこもりがちになることも多かった。

 最近は、そんなこともなくなった。

 こだわることをやめるのに、こだわりはじめた。

 必要なのは才能ではなく、運の強さなんだと気づいてしまったのだ。

「稀代の才能を持っていたとしても、環境に恵まれなければ宝の持ち腐れだ」

 煙草に火をつけ、吹かしながら呟いた。

 土曜日の街路は老若男女がざわめき、活気で満ちている。着飾った人々、すれ違う雑踏。俺たちは行くあてもなく、歩行者天国の交差点をのんびり歩く。

「それが俺に該当するのかは、さっぱり分からないけどな」

「環境に恵まれないのは、自分から求めようとしないからじゃないの?」

「違うな。天恵みたいなもんだよ。環境、居場所ってのは自分から手に入れるもんじゃなくて、自ずと与えられるものなんだ」

「じゃあ、マリオはこれからどうするの?」

「それが分かれば、苦労はしないな」

 自分に見合う居場所なんて、探そうとして見つかるもんじゃない。

 結局は全て、運任せ。

 無才の人間が、ふとしたきっかけで大富豪に成り上がることがある。

 金持ちの子が、親の倒産でストリートチルドレンに陥落する事だってある。

 善意の行動を取って、何の罪もなく殺される人がいる。

 悪意の行動を以って、飯にありつける人だっている。

 その人の素性なんて、人生には何ら関係ない。

 結局は全て、運任せ。

 そして俺はその運に、いわば神に見捨てられた人間の一個体。

 いつでも俺の隣では、悪魔がカードを引いている。

「神様は俺を選ばなかった。俺は値踏みされた」

 タバコの味がいつもと違う。ポケットに入れた箱を確認したが、いつもと変わらないメーカーだった。

「でも、もしかしたら何とかなるかもしれないじゃない」

「それはお前だから言える言葉だ」

 由紀は俺とは違う。今までの人生を考察する限り由紀は特に突出すべき点もなく、成績だって平凡だった。入学した大学も並より少し上程度だった。しかし彼女はそこで良い教授に恵まれ、良い就職先を紹介してもらい、今では立派な歯車として社会貢献している。言うなれば、由紀は神に選ばれた人間だ。

「成功者とは分かり合えない。負け犬の飯の味がお前に分かるか?」

「分かるよ。生クリームの味がした」

 それはさっき食べたカルボナーラだな。

「私は幼馴染の好みで、割と本気でアンタのこと心配してるんだからね」

「心配するだけ無駄さ」

 湿った排水溝に煙草を押し込んだ。五月の終わりにも拘らず、そこらの街路樹では蝉が産声を上げている。ん、違うな。連中は死ぬ直前の一週間に鳴き始めるから、産声ではないか。死ぬ間際の叫びみたいなもん。何かあったな、そんな言葉。

「俺の生き方はもう決まってるんだ。どう足掻こうと、今更無駄さ」

「案外、行動したら変わるもんよ」

 はい無視した。この人無視しましたよみなさん。俺がこう、決め顔で言うようなセリフ並べているときに限ってこの人は華麗に無視してませんかね。

「あのマリオだって、最初から恵まれているわけじゃないでしょ? 彼は命を捨てて一国の姫を助け出したことによって、名声を得た。彼の生き様に倣うなら、行動することが人生を変える一番の近道じゃないかと思うんだけど、違う?」

「ぬぐ」

 由紀の言葉はいつも筋が通っているので、反論は難しい。

「彼はその気になれば幾つでも命を増やすことはできるけど、私の横で歩いているマリオの命はたった一つだけ。死んだら終わりハイそれまでよ」

 由紀は前を向いたまま、微笑んで言う。

「人生の失敗は許されない。それを心配することが、何か悪いこと?」

「本当におせっかいだなお前は。お前と俺では生き方のベクトルが違うんだ、いいから放っといてくれ」

 俺は歩みを早める。

 ああそうだ、思い出した。断末魔だ。

「お前は正のベクトル、俺は負のベクトル。交わったらお前まで消えてしまう」

 やがて隣を歩いていた由紀の気配は、雑踏に紛れて消えた。振り向くと、由紀は少し離れたところで笑っていた。気の強そうな瞳で、嘲るのではなく、まるで見守るように笑っていた。

 一体、なにがしたいんだろうか。

 俺は蝉の断末魔越しに手を振った。

 空には雲ひとつなかったが、一雨来そうだな、とぼやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る