第248話 鳥籠
「懐かしいでしょ? ここがあなたが生まれた場所よ」
千木良のお母さんが言った。
皺一つないダークグレーのパンツスーツのお母さん。
長いパーマの髪が、いつものように胸元でコサージュみたいに巻いている。
僕より背が高い上にハイヒールを履いているから、僕は見下ろされていた。
その顔には笑顔が浮かんでるけど、目の奥に冷たい氷の塊があるみたいで僕は震える。
「あなたは、この研究室で生まれたアンドロイド、K-6。我が社の最高傑作よ」
お母さんは自信たっぷりに言い放った。
「えっと、なに言ってるんですか?」
僕は半笑いで訊く。
千木良のお母さん、冗談にしては
なんにも面白くないし、あり得ない話だし。
「あなたはここで作られたの。ここで基本的な学習をして、人間の生活様式を学んで、あの高校で人間としての知性を磨いていたのよ。まあ、覚えていないのも無理はないかもしれない。ここから出るときに記憶を消して、偽の記憶を埋め込んであったのだし」
お母さんが笑顔のままで言った。
確かに、この研究室のフロアには作業台があるし、一般住宅を模したセットもある。
なんとなく、見たことがあるような、ないような気がしないでもないけど。
「意味が、分かりません……」
僕は、喉の奥から言葉をひねり出した。
「あなたは、本当の知性を獲得して人間を越える存在になったわ」
「だから、まったく……」
「あなたは実に高校生らしくて、悩んだり恋をしたり、本当にすばらしい成果を見せてくれた。人間性を獲得した。それだけでもあなたを作った意味があったのに、高校二年生になって、あなたが『卒業までに彼女作る部』なんて部活を思い付いて、自発的にアンドロイドを作りたいって言い出したときには、私、震えたわ。興奮して眠れなかった。このプロジェクトに関わる研究者全員でお祝いしたのよ。ついにこの日が来たんだって。ついにシンギュラリティを迎えたのねって、嬉しくてたまらなかった」
僕は、お母さんが言ったシンギュラリティって言葉を頭の中で
「シンギュラリティって分かる? 技術的特異点のことね。あなたは香ちゃんっていう自分より優れたアンドロイドを自発的に作った。やがて香ちゃんは、自分より優れたアンドロイドを生み出すでしょう。そのアンドロイドがさらに高度な知性を生み出す。その次のアンドロイドが、さらに高尚なアンドロイドを、そしてその次が…………あとはもう、あなた達アンドロイドが人間に代わって文明を作ることになるわ。歴史はあなた達が作るのよ。私達は、その歴史の転換点を目撃しているの」
もしかして、お母さんが香の金メダルを自分のことのように喜んでたのは、こういうことだったんだろうか。
「もうすぐ、こんな研究施設も不要になるわね。私達人間が大量の資本を投下してアンドロイドを研究する必要すらなくなるの。我が社は
お母さんの口調は、なにかに酔ってるみたいだった。
だけど、確信に満ちた顔をしている。
「さあ、あなたを詳しく分析させて頂戴。船では簡単なチェックしか出来なかったから、うちの研究者もあなたのことを調べたいってうずうずしてるわ。我が社が作ってきた多くのアンドロイドのなかで、なぜ、あなただけが高度な人間性を獲得したのか、徹底的に調べたいの」
船で作業台に乗せられてる夢を見たけど、もしかして、あれが?
「そんな、嘘だ!」
僕は大声を出した。
大声を出して自分自身に言い聞かせる。
抱っこしていた千木良がびっくりして、僕の腕から下りた。
下りてお母さんに寄り添う。
「だって、僕は父と母と、妹の野々と一緒に暮らしていて…………」
「そうね。あなたを人間として生活させるために、そんな
「嘘だ……」
「それじゃあ、あなたのお父さんは何をしている人?」
「えっ?」
訊かれて、僕はすぐに答えられない。
「あんな一軒家を構えて、息子を学校に通わせているからには、なにか職業についているのでしょう? お父さんの職業はなに?」
「それは……」
「それ以前に、お父さんの顔を思い出せる? お母さんの顔は?」
「…………」
「妹の野々ちゃん以外、家族の顔が思い浮かばないのでしょう?」
言い返せなかった。
おかしい。
確かに、僕には父と母がいるはずなのに、その顔が思い浮かばない。
妹の野々の顔しか出てこない。
「あなたには同じクラスに雅史君っていう男の子の友達がいたわね。それ以外に親しい知り合いはいる? ああ、棘学院女子の生徒達と、合宿に行った民宿の親子以外でね」
「…………」
「あなたは、一日のほとんどを、学校の、それもあの林の中の部室で過ごしていたわね。そして、ほとんど特定の女子生徒と過ごしていた。あそこは良い
お母さんが平然と言う。
「それじゃあ、部員のみんなと、うらら子先生も…………」
「彼女達には、あなたの教育のための実験に協力してもらったの。アンドロイドに興味があった彼女達は、喜んで協力してくれた。元々あの学校と私達は深い関係にあって、協力的だったの。文部科学省の人間とアンドロイドの共存に関する実験校に指定されていたしね」
「そんな……」
頭が真っ白になった。
今までの思い出が、全部崩れて消えるような。
「彼女達にあなたと一緒過ごしてもらったことで、思わぬ発見もあったわ。彼女達、あなたには本当に心から気を許してたでしょ? 体を触ったり、一緒に寝たりするのになんの抵抗もしなかった。思春期の女の子達が、機械であるアンドロイドには簡単に気を許す。そのデータは役に立ったのよ。我が社のこれからの製品にも生かしていこうと思ってるの」
「製品」っていう言葉が響いた。
「そして、最後にあの部活に入った一年生の滝頭さん? だったかしら、自分のことをアンドロイドだって言ってる女の子が現れたとき、あなたは彼女のことをおかしな子だと思った。自分をアンドロイドだって思っている人間をおかしいと思う。それはまさしく、あなたが人間性を獲得した証拠。そこで私達は、あなたに本当の知性が目覚めたと確信したの。それまでのテストヘッドは、ここで混乱して崩壊しちゃったのよ。自分のことをアンドロイドだって言い張る人間が理解できなくて、壊れちゃったのね」
そんな、滝頭さんが僕を試す存在だったとか……
「千木良は?」
僕は訊いた。
お母さんの横で、縮こまってる千木良を見る。
部員のみんなが協力者だったっていうなら、千木良は、千木良もその一人なのか。
「里緒奈は私の後継者で、あなたの設計に関わった技術者の一人でもあるわ。設計者としてあなたを身近で見たいっていうから、飛び級させてあの高校に入れたの。学校関係者とは
お母さんは、千木良の肩に手を置いて言った。
千木良は目を伏せていて、僕の目を見ようとしない。
あんなに僕に甘えて、いつも抱っこをねだったのに、それも、僕を監視するためだったのか?
今までの関係は、全部嘘だったのか。
「嘘だ!」
僕は部屋を飛び出した。
エレベーターで地上まで上がって、研究棟から出る。
とりあえず、帰ろう。
そうだ。
きっと悪い冗談に違いない。
部室に帰れば、みんながいつものように迎えてくれる。
そして、今のがドッキリだって言うに決まってる。
僕は、工場の敷地を抜けて部室を目指した。
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