第249話 外堀

 千木良のお母さんの工場から、どうやってここまで戻ったのか、自分でも分からなかった。

 気が付くと僕は、学校の裏門をくぐって部室を目指している。

 ただ、そこを目指してずんずん歩いていた。


 昼下がりの太陽が容赦ようしゃなく僕に照りつけている。

 夏休み中で、なおかつお盆休みの期間だからか、学校の敷地内は部活の生徒もいなくてひっそりとしていた。

 せみの大合唱だけが、無人の校舎に反響している。


 暑くて、僕のあごからは絶え間なく汗がしたたり落ちた。

 ほら、こんなに汗をかいてるんだし、僕が千木良のお母さんの会社の研究室で作られたアンドロイドだとか、そんなわけがないと思う。



 僕は、校舎裏の林を目指した。

 僕達「卒業までに彼女作る部」の部室がある、学校の裏の林だ。


 ところが、グラウンドや校舎は静かなのに、林の周りには何台ものトラックが停まっていて騒がしかった。

 作業服を着た知らない大勢の大人がいる。

 大勢の人達が、林の獣道を通って工具や資材を持ち込んだり、逆に部室から荷物を持ち出していた。


 僕と部員のみんなの大切な場所で、勝手になにしてるんだ。


「ちょっと、すみません!」

 僕は、その人達をかき分けるようにして獣道を進んだ。


 林の中にある、部室を目指す。



 部室の中庭には、小型のショベルカーが持ち込まれていて、僕達がバーベキューをしていた煉瓦れんが作りのコンロを崩していた。

 無残に壊されたコンロから、土煙が上がっている。

 部室の建物の方には、鉄パイプで足場が組まれていた。

 建物を壊そうとしてるのか、それとも改修してるのか、作業員の人達は、僕のことが目に入ってないって感じで作業を続ける。


 僕達の場所を、他人が土足で踏みにじっていた。



 部室の玄関の引き戸は開いている。

 部員のみんなかうらら子先生を探して、僕は部室に飛び込んだ。


 だけど、部室の中にみんなの姿はなかった。

 その代わりに意外な人がいる。


 汐留さん。


 人形作家の汐留み春さんだ。

 み春さんが、助手のアンドロイド、リセさんをともなって部室の居間にいた。


 白髪交じりの髪を緩くまとめたスモッグ姿のみ春さんと、栗色ショートボブの髪で、黒いワンピースの上に白いエプロンをしてるリセさん。

 二人は、アトリエにいるときと同じで、落ち着いた感じだった。


「こんにちは」

 み春さんがそう言って僕に微笑んだ。

 み春さんの後ろで、リセさんも会釈をした。


「こんにちは」

 僕はわけも分からずオウム返しする。


「私達は、この子を引き取りにきたの」

 み春さんが八畳間を指して言った。

 そこには、椅子に座っている球体関節人形がいる。


 グレンチェックのベレー帽を被って、同じ柄のショートパンツをサスペンダーで吊った服装の人形。

 その大きな瞳は、無感情に虚空を向いている。

 長いさらさらの髪と白く透き通るような肌で、人形は少女にも少年にも見えた。

 うれいをびた表情は、笑っているようでもあり、憎まれ口をきいているようでもある。

 その唇には、薄いピンクの口紅がさしてあった。


 いつ動いてもおかしくないって感じの人形が、気配なく椅子に腰掛けている。


「この部室を壊すっていうから、その前に持ち出さないとね」

 み春さんが言った。


「えっ? 壊すって……」

 いや、ちょっと待って、部室を壊すってなんだ。

 確かにこの部室は生徒会から取り上げられそうになってたけど、オリンピックで金メダルを取って結果を出したから、それは逃れたはずだ。

 このまま、僕達が使っていいはずだ。


「一体、どうなってるんですか?」

 僕は訊いた。


 するとみ春さんは、人形の脇まで歩いて行く。



「この人形が、父と父の前妻のあいだの男の子をモデルにしているっていう話は、以前しましたね」

 み春さんが訊いた。


「はい、伺いました」

 確か、この学校の創設者の一人、作家の柿崎重と前妻の間の、若くして亡くなった息子さんをモデルにしたのがこの人形だって、以前、み春さんは言ってた。

 柿崎が、み春さんのお母さんで人形作家の汐留み冬さんに人形の制作を依頼して、その過程で懇意こんいになった二人の間に生まれたのが、み春さん。

 だから、この人形は自分の兄だって、み春さんが言ってたのを思い出す。


「父は、亡くなった兄のことが忘れられずに、この人形を作らせたのです。母にこの美しい人形を作らせて、自分の著作の表紙にするくらい、気に入っていたんです」

 み春さんが言う著作っていうのは、前に読んだ「閉じ込められた姫君」っていう本のことだ。

 僕がうらら子先生のランクルの中で、千木良に読み聞かせした本だ。


「私の兄は、それほどに父に愛されていたのですね」

 み春さんはそう言って人形の肩に手を置いた。


「だけどね、父はこの子を作っただけでは満足しなかったんです」

 み春さんが重々しい声で言う。


「父は、物言わず動かない人形に魂を持たせたい、なんて、そんな馬鹿なことを考えたんです。そしてそれを実行しました」

 なんだか、パズルのピースが揃っていく気がした。


「今は第三次AIブームなんて言われて、機械学習とか、ディープラーニングの話題に事欠かないけれど、最初にAI、人工知能っていう言葉が使われたのは1956年のダートマス会議で、ジョン・マッカーシーという人が提唱しました。当時、多くのSF作品も手掛けていた父は、その概念を知って可能性を感じたのです。もしかしたら、人工知能を使って、この子に魂を持たせられるかもしれない、そう考えたのです。兄を模した人形と、会話出来るかもしれない、そう考えました。父は、関連する論文を読みあさります。そして、それを研究している機関や企業にコンタクトをとりました。その中の一つで父に協力したのが、『東京情報工学株式会社』。それは、後の『ヘカトンケイレス・システムズ』、あなたもよく知っている会社です」

 もちろん、言うまでもなく、千木良のお母さんの会社だ。


「作家をしていた父には先見の明がありました。やがて人工知能を使って生まれた知性には、教育の場所が必要だと考えたんです。生まれ落ちた人工知能を健やかに育む場所が必要でした。本当にそれが知性であるのか確かめる実験の場も必要です。そこで、父は作家業で貯めた資金を叩いてこの学校の設立に加わります。やがて生まれる知性のために、この学校を作って、学校の脇にこのアトリエも作りました。学校という外界から隔離された閉鎖空間は実験にぴったりなのです。そう、この学校自体が、父の欲望を満たすための巨大な装置だったんです」

 み春さんの話を聞いているうちに、蝉の声とか作業の音が、どんどん遠のいていく。


「ですが、今のように発達したコンピューターなんてない時代。人工知能は、とても知能と呼べるような代物ではなくて、結局、父は目的を果たすことができませんでした。その完成を見ることなく、失意のうちに亡くなります。しかし、父が亡くなっても、この学校での実験は続きました。くだんの会社がそれを引き継ぎました。昨今のコンピューターの処理能力の向上や、インターネットによって膨大なデータの収集や管理が可能になったとこで、人工知能は飛躍的に発達しました。そしてついに、本当の知性を獲得したのです」


「もう分かったでしょう? 父の悲願、それがあなたです」

 み春さんが言った。


「だから、あなたの顔の造形には私も協力しました。それが父のやり残したことなら、やり遂げたかったから」

 み春さんが、僕の目の奥を見詰める。


 全部が繋がって、外堀が埋められていくような気がした。

 本当に僕がアンドロイドだってことになって、言い訳の余地がなくなっていく感じ。



「西脇君」

 声がして振り向くと、そこに朝比奈さんがいた。

 朝比奈さんと、綾駒さんと、柏原さん、滝頭さん。

 そして、うらら子先生もいる。

 そして、妹の野々もいた。


「ごめんね」

 朝比奈さんがそんなふうに口を開く。

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