第233話 抜け道

 一生懸命頭を回転させて、僕の頭に一つのアイディアが浮かんだ。

 気まぐれな風の影響を受けずに、地上から東京都庁の屋上ヘリポートまでボールを打ち上げる方法だ。


 それは、あまりにも無謀むぼうすぎるアイディアだったけど……


 香が渋谷の街の建物をピンボールみたいに使ったのを見て、それが思い浮かんだ。

 僕達人間には絶対に出来ないけど、香ならそれをやってのけるかもしれない。


「ねえ、香ちゃん。ちょっといい?」

 僕はそのアイディアを香に耳打ちした。

 香は、不思議そうな顔で僕の話を聞く。

 言っている僕自身も、半分無理じゃないかって思ってるようなアイディアだ。


 ところが、最後まで話を聞いた香が大きく頷いた。


「うん、おもしろいアイディアだね! 馨君って、変なこと考えるよね」

 香がそう言って微笑む。

 変なことを考えるのは僕の得意技だ。

 この「卒業までに彼女作る部」なんて部活を作ったのも僕だし。


「ちょっと待ってね」

 香はそう言うと、目をつぶってなにかを考え始めた。

 たぶん、僕のアイディアが実行可能か、頭の中でシミュレーションしてるんだと思う。


 目を瞑って、眉間に皺を寄せて考える香。

 周りの雑音をシャットアウトして、自分の世界に入る。


「ちょっとあんた、香の頭の温度が上がってるわよ」

 ヘッドセットから千木良の声が聞こえた。

 香が頭をフル回転させてるから、相当の負荷ふかがかかっているのだ。

 頭の中にあるコンピューターの冷却が追いついてないらしい。


 僕は用意していたクーラーボックスから保冷剤を取り出して、香のおでこに当てた。

 他のチームからしたら原始的な方法でも、これが一番簡単に頭を冷やせる方法だ。


 僕は一生懸命シミュレーションしている香のおでこに保冷剤を当てて、もう片方の手で頭を支えた。

 香の頭を優しく抱くような形になる。


 そんなふうにしながら、もし、僕と朝比奈さんが恋人同士で、朝比奈さんが風邪とかで熱を出したら、こんなふうに看病するんだろうか、とか、そんな妄想をした。


 普段からチークを入れてるみたいにほっぺたがほんのりと赤い朝比奈さんが、熱を出して余計に赤くなっている。

 弱々しくて、僕に体のすべてを預けている朝比奈さん。

 僕は、そんな朝比奈さんに「大丈夫だよ」って声を掛けながら看病する。

 朝比奈さんは、無理して僕に微笑みかけてくれる。

 もしかしたら、お風呂に入れない朝比奈さんの体を濡れタオルで拭いてあげるかもしれない。

 もちろんそのときは朝比奈さんが着ているパジャマを脱がせることになるけど、それは別に、エロい意味ではなく…………


 って、真っ昼間に新宿のど真ん中でこんな妄想してる場合じゃなかった。



 僕が妄想してるあいだも、前の組の選手のプレーは続いていた。

 みんな、中々グリーンに乗せられなくてプレー時間が長くなる。

 コースが空かなくて待たされる時間が続いた。


 おかげで、香がシミュレーションをする時間はたっぷりととれた。



 そして、長考に入っていた香が、ぱっと目を開く。


「うん、大丈夫。馨君のアイディア実行出来そうだよ!」

 キラキラとした目で言う香。


「任せておいて。香、絶対にホールインワンをとるから」

 香が自信たっぷりに言って、親指を立てる。


 その輝く瞳を見てたら、もう、勝ったも同然って気がした。




 大きくスコアを落とす選手や、棄権きけんする選手がいるなか、ようやく最終組の順番が回ってくる。


 同じ組の香の前の選手は、一打でグリーンに乗せることが出来ずに、ボールは都庁の壁面に当たって落ちた。

 ボールはアスファルトの上を跳ねてあさっての方向に消える。

 直前のそんな失敗を見た後でも、香の目は自信を失ってなかった。


 僕は香にクラブを渡した。

 香が無言で頷く。


 香がボールをティーアップして、スタンスを取った。

 その姿勢で、青空にそそり立つ都庁のツインタワーを臨む。


 なにかを待つように、そこで少しの間静態していた香。


 周囲の歓声が止んで、せみの声だけが聞こえた。

 みんな、固唾かたずんで香を見守っている。


 すると香は、好機を掴んだとばかりに大きく振りかぶって、それを思い切り振り抜いた。

 あまりに速くて、クラブが見えない。


 パンっと、ボールが粉々に弾けたような音がして、シュルシュルと風を切る音が続いた。


 ボールは屋上を目指して上には飛ばずに、ほぼ水平方向に飛んでいく。


 都庁の玄関方向に真っ直ぐ飛んだ。


 ギャラリーから、「おっ?」と、戸惑いの声が上がる。

 誰もがそれをミスショットだと思っていた。

 打ち上げるべきボールを水平に打ってしまった香のミスだと。


 だけどこれは、ミスショットじゃない。


 観衆がざわめく中、香はスイングの姿勢から直って、僕にクラブを返しに来た。


「馨君、やったよ」

 打っただけでもう成功を確信している香。



「ミナモトアイ選手、ホールインワンです!」

 しばらくしてそんなアナウンスが流れて、公園に設置されていた臨時のスクリーンに、グリーン上でボールがカップに吸い込まれる様子が映った。

 グリーンに乗ったボールは、生きてるみたいにグリーンの目を読んでカップに落ちる。


 だけど、観客の誰もが、なにが起きたのか分からなくて唖然あぜんとしていた。



 都庁の玄関から屋内に入ったボールは、廊下を跳ねて非常階段に到達し、その階段ホールを跳ねて、243メートルの都庁を登ったのだ。

 風の影響をまったく受けずに、都庁を登り切った。

 屋上のドアから飛び出したボールは、香の計算通りグリーンの上を走って、カップに入った。


 スクリーンにその様子が流されて、仕掛けが分かった観衆から驚きを通り越して呆れたような声が挙がる。

 ざわめきは中々収まらなかった。


 ティーグラウンドにいるしーちゃんと、キャディをしている千木良のお母さんが、香に拍手を送ってくれた。



 コースの下見のとき、このゴルフ競技準備のためにすべての非常階段のドアが解放されているのは知っていた。

 屋上まで続く一本道が、建物の中にあるのは分かっていた。

 僕は、そこを通せばいいんじゃないかって思い付いた。


 あとは、香がシミュレーションするだけだった。


 渋谷の街でボールを跳ね回らせたのと同じで、廊下と非常階段のホールを誘導すればいいのだ。

 もちろん、正確無比なショットが打てる香だから出来る技だ。

 都庁内の監視カメラの映像から、廊下や階段にいる人が邪魔にならないタイミングを計る必要もあった。

 だけど、香はそれをすべてこなした。


 僕達はハイタッチして喜び合う。



 香の後のちまちゃんとしーちゃんは、香のようにホールインワンは取れずにイーグルでこのホールを終えた(それでも十分にすごいことだけど)。


 11番ホールを終えて、しーちゃんが-24、ちまちゃんと香が-22で並んだ。


 次の池袋、上野、秋葉原、水道橋、有楽町、品川、これらのコースではスコアが動かなかった。


 香は首位のしーちゃんと二打差で、勝負は残り1ホールの結果に託される。

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