第219話 出発

「みなさんこんにちは、愛の源、ミナモトアイでーす!」

 香が、部室の中庭でカメラに向かって微笑んだ。


 清楚な白いワンピースを着て、麦わら帽子を被った香。

 夏の日差しが容赦ようしゃなく降り注いでいるから、その白さが目に痛かった。

 香は、ミナモトアイ用の濃いメイクをしていて、同じ顔をした朝比奈さんより大人っぽく見える。

 なまめかしい唇の赤にドキッとする。


「みなさん、いつも応援ありがとうございます。いよいよ、東京アンドロイドオリンピックに向けて、アイも出発します!」

 香が弾ける笑顔で言った。


「オリンピックで、みなさんの応援に応えられるよう、アイ頑張ります! 大会期間中の応援もよろしくお願いします。会場に足を運ばれるみなさん、みなさんとお会いできることを楽しみにしています!」

 言い終えて、香は丁寧にお辞儀をする。



 出発前、僕達は、普段からミナモトアイを応援してくれているリスナーに向けて動画を撮っていた。

 柏原さんがカメラを構えて、滝頭さんがレフ板を持って香に光を当てている。


 動画からの収入や投げ銭のおかげで香を強化できたわけだし、動画を出すことがせめてものお礼だ。

 香のリスナーは、今では50万人を越えている。

 毎月の収入もそれなりにあった。

 オリンピックでメダルを取れれば、それが一番のお返しになるんだけど。



 動画を取り終えてそれをアップしたら、部室の戸締まりをして、玄関前に荷物を運び出した。

 オリンピック期間中の着替えやお泊まりセットなんかの、僕達それぞれの荷物の他に、香のメンテナンス用の工具や予備の部品、千木良のコンピューター類に、撮影機材なんかもあって、引っ越しでもするのかっていう大荷物が玄関に積み上げられる。

 それに加えて、うらら子先生がたくさんのコスプレ衣装も持ち出していた。


「先生、そんなに持ってってどうするんですか?」

 先生のスーツケースの山を見て僕が訊く。


「こんなこともあろうかと、ってことがあるかもしれないでしょ? 用心に越したことはないわ」

 先生がそう言ってウインクした。


 先生の衣装の中には、星5の宮○武蔵の水着も入っていた。

 そんなの持ってっても、使いどころはないと思うんだけど……



「さあ、戸締まりはOKね。忘れ物もないわね」

 すべてを運び出したあとでうらら子先生が訊く。


「はいっ!」

 僕達は頷いた。

 いよいよ戦に向かうって感じで、胸が高鳴る。

 この夏はまだどこにも行かずにずっと合宿だったから、出かけられることの興奮もあった。



「みんな、頑張ってきてね」

 そう言って微笑むのは、僕の妹の野々だ。

 生徒会の書記として、野々は我が「卒業までに彼女作る部」の見送りに来てくれた。


「本当は、全校生徒で壮行そうこう会でもしたかったんだけど……」

 野々がすまなそうに言う。


 さっぱりとした夏服の野々。

 暑いから、野々は首筋に玉のような汗を浮かべている。


 野々は謝るけど、実績がなくて部室を取り上げられそうになってる部活なんだし、それは仕方ない。


「金メダル取ってくるから、そのときは祝勝会をお願いだよ」

 綾駒さんが言った。

「パレードもするから用意を頼むぞ」

 柏原さんがふざけて言う。


「うん、任せておいて!」

 野々が安請やすうけ合いした。



「さあ、それじゃあ西脇君、部長として、出発の挨拶をしなさい」

 うらら子先生が言った。


 こういうのは、一番苦手だけど、ここはそうも言っていられない。


 僕は、一度部員みんなの顔を見渡した。

 朝比奈さんに、綾駒さん、柏原さんに千木良、滝頭さんに烏丸さん。

 そして、うらら子先生。


「みなさん。夏休み前からの合宿、ご苦労様でした。部活のために、みなさんの貴重な時間と情熱を傾けてくれて、本当にありがとうございます。おかげで、香ちゃんも最高のコンディションでオリンピックにいどむことができます。僕達でやれることは全部やりました。あとは、香ちゃんが大会でその力を発揮してくれるだけです。香ちゃんが本番で十分に力を発揮出来るよう、もう少しだけ、力を貸してください。よろしくお願いします」

 僕はそう言って頭を下げた。

 僕の言葉にみんなが大きな拍手で答えてくれる。


「絶対金メダル取るよー!」

 香が握り拳を掲げて、みんなも「おー!」って続いた。


 ただでさえ勇ましい我が部の女子達の士気が、最高潮になっている。

 目がギラギラしてるし、みんなが武者震いしてるのも分かった。


 本当に金メダルを取れるかもしれない、なんて、一瞬そんなことを考える。



 最後に野々を抱きしめて、僕達は分かれた。


 玄関に積んだ荷物を、みんなでグラウンドに運ぶ。

 重い荷物を運ぶのには香と弐号機が特に頑張ってくれた。

 香の予備のパーツにもなるから、弐号機も一緒に連れて行くことにしている。


 そして、今回の移動は、うらら子先生のランドクルーザーや、千木良のセンチュリーではなかった。

 千木良のお母さんが、僕達のために特別に移動手段を用意してくれている。



 20分かけて何度も玄関とグラウンドを往復して、すべての荷物を運んだ。

 お盆休みで部活も休みだから、グラウンドには誰もいなかった。


 誰もいない昼間のグラウンドは、なんだか寂しい。

 照りつける太陽で熱くなって、陽炎かげろうのように地面が揺れて見えた。


 やがて、どこからか空気を震わす破裂音が聞こえた。

 破裂音は、二つが重なって聞こえてくる。

 それが段々大きくなって、青空に上品なネイビー機体が見えた。

 飛行機みたいなスマートな形をしているけど、両翼に大きなローターを持った機体。

 前を向いていたローターが、徐々に上を向いて、ヘリコプターのように垂直に降りてくる。


 グラウンドに砂埃すなぼこりが上がって、それが着陸した。


 空から舞い降りてきたのは、民間用のテイルトローター機、AW609だ。


「もう、ママったら大袈裟おおげさなんだから」

 抱っこしている千木良が、ローターが回る音に紛れて、そんなふうに言う。

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