第218話 太鼓判
「西脇ちょっとこれを持っててくれ」
部室の中庭で洗濯物を干してたら、急に柏原さんがそんなふうに言って、僕に何かを手渡した。
手を見ると、それは某ドーナツショップの、ポ○デリングだ。
その、球体が繋がった輪っかのようなフォルムのドーナツを、柏原さんが僕に持たせた。
手に持った感触はぷにぷにしていて、もちもちな食感であることが触覚でも分かる。
普段からすりすりしてる千木良のほっぺたみたいだ。
「それじゃあ、それを顔の横辺りに掲げていてくれるか?」
柏原さんに言われて、僕はわけも分からずその通りにした。
右手でポ○デリングを持って、右頬のすぐ横で掲げる。
「よし、そのまま動くなよ。絶対に動くな」
柏原さんが言った。
絶対に動くなって、これはフリだろうか?
「香、いいぞ、打て!」
ところが、柏原さんが僕の後ろに向けて大声で号令をかけた。
すると、ビュンと右耳に空気を切り裂く音が聞こえて、何かが僕のすぐ横を通り過ぎる。
正確に言うと、僕が掲げたポ○デリングに開いた穴の中を、何かが通り過ぎた。
あまりの速さで、何が通り過ぎたのかは見えない。
通り過ぎたあとで、それが庭の端に張ったネットに引っかかるのを見て、やっとそれがゴルフボールだったって分かった。
僕が掲げたポ○デリングの穴を、ゴルフボールが突き抜けたのだ。
通り過ぎるとき、風圧でもちもちの生地がちょっとだけ伸びた気がした。
振り向くと、僕の15メートルくらい後ろに、ゴルフクラブを持った香がいて、スイングを終えた姿勢をしている。
紺色のワンピースみたいなゴルフウエアを着た香。
真夏の太陽に、香の真っ白な太股がさらされている。
「どうだ、香のクラブコントロールは完璧だろ」
柏原さんが言った。
僕にポ○デリングを持たせて、
「もう、柏原さん
僕は抗議した。
僕の顔スレスレのところをゴルフボールが突き抜けたのだ。
ちょっと間違ったら、ボールが僕を直撃していた。
まあ、精密機械である香の手元は、絶対に狂わないんだろうけど。
「ごめん、ごめん」
柏原さんが手を合わせて謝った。
「ホントにごめん。代わりに、なんでもいうこと聞くから」
柏原さんが言う。
んっ? 今なんでもって…………
僕は、一瞬で柏原さんにさせることを100万通り考えた。
「だけど、こんなふうに香の仕上がりは完璧だよ。ゴルフボールをポ○デリングの穴に通せるくらいに精密に動ける」
柏原さんが言うと、向こうから香が駆け寄ってくる。
「どう? 香、すごいでしょ」
香は素直に喜んでいた。
雷を受けた傷から復活した香。
修理するとき綾駒さんが言ったとおり、前よりも肌がぴちぴちになってる気がした。
透明感が増している。
はじける笑顔がいつもより
その目を見ると、ぞくぞくってして、香がアンドロイドだってことを忘れる。
いや、もうアンドロイドだとか人間だとかは関係なくて、香を香という生命として認めたい気がした。
「さあ、これでもう僕のするべきことは全部したな。あとはオリンピックに挑むだけだ」
柏原さんが言った。
柏原さん、肩を回しながら、やり遂げたって顔をしている。
オイルまみれの作業着が誇らしげだ。
「お疲れ様でした」
僕が言うと、柏原さんは「うん」って深く頷く。
ちなみに、的に使ったポ○デリングは、あとで柏原さんがおいしく頂きました。
僕が空になった洗濯かごを持って部室の中に戻ると、居間で綾駒さんが頷いている。
「綾駒さん、どうしたの?」
「ええ、香ちゃんの彫刻なんだけど、見て」
綾駒さんに言われて、僕はその視線の先を見た。
そこには、今まさに香が作った彫刻が置いてある。
僕がモデルになった木彫で、僕を三分の一くらいに縮めた大きさだった。
木彫の横には、ノミを持った弐号機がいる。
香は庭でゴルフの練習をしながら、部室の中の弐号機を操作して彫らせたんだろう。
その木彫を見て、僕も綾駒さんみたいに頷いてしまった。
モデルは確かに僕なんだけど、ギリシャ彫刻みたいな、生々しい写実的な体がそこにある。
筋肉の流れがよく表現されていて、たくましい僕がいた。
木から、息吹のようなものが感じられる。
モデルになったとき、腰にシーツを巻いていて良かった。
下に何も着けてなかったら、そこまで写し取られていたかもしれない。
とにかく、とても機械であるアンドロイドが彫ったようには思えなかった。
「もう、私が教えられるようなことはないよ。香ちゃんなりの作風も見えてきたし、オリンピックでもそれを出していけば、審査員を
綾駒さんが
こうして、芸術種目でも準備は整った。
その日の夕飯は、朝比奈さんが手を出さずに、香が全部作る。
中でも
ローストビーフにかかっているサワーソースの酸味が食欲をそそって、冷たくてするするとお腹に入った。
珍しく、千木良がお代わりをしたくらいだ。
「暑いから、冷たくてさっぱりとしたものの方がいいと思って」
エプロンをした香が言う。
香は、気温や僕達の体調のことも気に掛けて料理するようになっていた。
「もう、香ちゃんに全部任せられるね」
朝比奈さんが言って、香が「ありがとー」って朝比奈さんに抱きつく。
朝比奈さんと朝比奈さんが抱き合う姿は、神々しい以外のなにものでもない。
夜は、体育館を使って烏丸さんが香のダンスの最終チェックをした。
レオタード姿の香が、音楽に合わせて烏丸さんが考えてくれた振り付けを踊る。
香は、体育館の中を
バスケットコートが二面取れる体育館が、狭く感じる。
僕達人間と違って、アンドロイドの香は、ジャンプする前に踏み込んだり、手で反動をつけたりしないで、いきなり足の指の力だけで高く跳んだりするから、この空間から重力がなくなったのかと錯覚した。
人間なら止まれないところでピタッと止まったり、手足の骨が折れるくらい力がかかるところを、カーボンやチタンの骨格が、がっちりと受け止める。
「なんか、私の振り付けじゃないみたい」
香のダンスを見ながら烏丸さんが言った。
「確かに、私の振り付けなんだけど、しなやかさとか、手先の動きとかで全然違って見える。音を意図的に外したり、タメを作ったり、その加減が微妙で……」
烏丸さんは、感心するというより、もう、ちょっと引いているみたいに見えた。
「さあ、これで堂々とオリンピックに行けるわね」
うらら子先生が言う。
二日後の出発に向けて、準備は整った。
「よし、景気付けに、壮行会をしましょう、明日は焼き肉パーティーで精を付けるよ!」
先生が言って、肉食系女子達が「おーっ!」って受ける。
香と弐号機も、ぴょんぴょん跳ねた。
「どうした千木良?」
女子達が盛り上がってる中、僕に抱っこされている千木良だけが、浮かない顔をしている。
「ううん」
どこか歯切れが悪い千木良。
試しに僕が脇腹をくすぐっても、千木良はいつもみたいにキャッキャと反応しなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます