第216話 雷鳴

「私が外の様子を見てくる」

 香が言った。


 酷い雨は降り続いていて、一向に止む気配がない。

 相変わらず雷も鳴り響いていた。

 停電も続いていて、蝋燭ろうそくの灯りの下、僕たちは外からの情報が得られない状態が続いている。

 部室を囲む林から出られる唯一の道は、濁流だくりゅうになっていた。

 普段は林の木々が外からの目隠しになってるんだけど、こういうときには逆にそれが壁になって僕達を外界から隔離している。


「私ならみんなより力もあるし、風で飛ばされたり、水に流されたりすることはないから」

 香が自信たっぷりな顔で言った。


「駄目だよ。香ちゃんはオリンピックを控えた大切な体なんだし、なにかあったら大変だよ」

 僕が言って、女子達も深く頷いた。


「だけど、避難指示とか出てて、ここだけ孤立してたら大変でしょ? 先生とか、みんなのお父さんお母さんも連絡がつかなくて心配してるかもしれないし、状況を見てこないと。私、普段はみんなにお世話になってるんだもん。こういうときに役に立ちたいの」

 香が言う。

 目がキリリと輝いて、凜々しい顔だ。


「それなら、弐号機を行かせれば?」

 烏丸さんが言った。


「いえ、弐号機ちゃんは防水仕様じゃないから、私じゃないと無理」

 香が首を振る。



「よし、それじゃあ頑張ってこい。でも、無理しちゃ駄目だぞ」

 柏原さんが言った。

「危なくなったら、すぐに帰って来るんだよ」

 部長として、僕も許可することにする。


「レインコートとか着て雨に濡れないようにしないと。先生のコスプレ衣装から、適当なのを借りましょう」

 朝比奈さんが言った。


「でも、どうせ濡れるんだから、水着でよくない?」

 綾駒さんが言う。


「そうですね。私達アンドロイドは人間と違って体温の低下とかないし、その方が合理的かも」

 滝頭さんが言う(滝頭さんのアンドロイド設定には、もう、誰も突っ込まない)。


「そうだね。先生の衣装の中から水着を借りましょう」

 朝比奈さんが言って、僕達は押し入れや箪笥たんすから水着を探した。

 スマホをライト代わりに使ってるけど、停電が続いてそろそろバッテリーが心配になってくる。


 押し入れや箪笥には、ワンピースからビキニから、ただのひもにしか見えない水着? まで、たくさんの水着があった。


「香、これにする!」

 数々の中から香が選んだのは、紺色のスクール水着(旧型)だ。

 サイズが大きくて、うらら子先生が着られる大きさがあった。

 ひとまず、先生がなんでこれを持っているのかは、置いておくことにしよう。


 僕が八畳間から追い出されて、香がスクール水着に着替えた。

 香は水泳帽と、水中めがねもかける。

 本当に、うらら子先生は、なんでも持っている。



「じゃあ、行ってくるね」

 玄関の土間に立ったスクール水着の香が、僕達を見渡して言った。

「気をつけて」

「頑張って」

「無理するな」

 僕達が口々に声をかける。


「私、帰って来たら馨君に告白するんだ」

 香が悪戯っぽく言った。


「もう、フラグ立てちゃダメでしょ」

 綾駒さんが言って、みんなが笑う。


 香が玄関の戸を開けた。

 途端に雨風が吹き込んできて土間がびしょ濡れになる。


「行ってきまーす!」

 香が外に出て、すぐに戸を閉めた。


 そのまま、獣道の方へ走っていく香。

 僕達は玄関のガラス戸からそれを見守る。


 暗がりの中、稲光がストロボみたいに香の後ろ姿を照らした。

 香が力強いフォームで闇の中を疾走する。

 水着にしたのは正解だったかもしれない。

 服なんか着てたら、たちまち風で吹き飛ばされてただろう。



 そうして、香が獣道の入り口に差し掛かろうとしたときだった。



 突然、目の前が真っ白になったと思ったら、部室の建物が10メートルくらい浮かんだんじゃないかってくらい、激しく揺れた。

 遅れて、鼓膜こまくが破れそうな破裂音がして、一瞬耳が聞こえなくなる。

 何が起きたのか分からず僕達は固まった。


 少しして、耳が元に戻って、自分の心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしているのが分かる。



 僕達の目の前に、雷が落ちた。



 林の中の一本の木が裂けて、炎が上がる。

 大きな枝が、バサバサと落ちてきた。

 一瞬に上がった炎は、しかしすぐに雨風に消される。


「香!」

 僕は思わず叫んだ。

 それは、香が走っていたすぐ脇の木だった。


 びっくりして、僕は裸足のまま土間に降りて、玄関の戸に向かう。

 まだ雷が鳴ってるとか、木が倒れてくるかもしれないとか、そんなことを考えてる場合じゃなかった。


 すると、僕よりも早く土間に降りた柏原さんが、戸を開けて雨の中に飛び出している。

 みんなも、雨風関係なく外に出た。



 獣道の入り口に、香が倒れている。

 うつ伏せに倒れてぴくりとも動かない香。

「香!」

「香ちゃん!」

 僕達は雨音や雷鳴に負けないように叫んだ。

 けれども香は動かない。


 ひとまず僕と柏原さんが肩を貸して、香を抱き起こした。

 そのまま、動かない香を玄関に連れて行く。

 僕は、自分でも信じられないくらい力が出て、香を軽々と運んだ。


 柏原さんと二人で土間の整備台に香を乗せる。

 香は動かない。

 なにか焼け焦げたような匂いがして、香の肌に黒ずんだ部分があった。

 スクール水着も所々破けている。

「香!」

「香ちゃん!」

「しっかり!」

 女子達が口々に呼びかける。


 悲痛な声が部室に響いた。


 僕は、あまりにショッキング過ぎて、かえって冷静になっていて、香の状況をよく見るために蝋燭を一つ玄関に持ってこよう、なんて、そんなことを考えている。


 すると整備台に小さな影が飛び乗った。

「香、起きなさい!」

 それは、千木良だった。

「どうしたの? あなたは、この私の最高傑作よ。雷に打たれたくらいで壊れるわけないでしょ!」

 千木良が叫んだ。


 ひねくれていて、いつもしゃに構えている千木良が、感情を剥き出しにしていた。

 香にまたがって揺り起こそうとする。


 しばらく、それを続ける千木良。


 僕は、そんな千木良の背中を優しくさする。

 暗闇で見えないけど、千木良は大粒の涙を流してると思う。


「ほら、千木良、柏原さんによく見てもらおう。そこから降りよう」

 僕が言うと、千木良が僕に抱きついてきた。

 僕は、千木良を強く抱きしめて落ち着かせる。

 やっぱり千木良は、大粒の涙を流して、体を震わせて泣いていた。



「里緒奈ちゃん、馨君と抱き合ったりして、ずるいな」

 すると、暗闇からそんな声が聞こえた。


 整備台の上の香が、そう言って上半身を起こす。


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