第175話 ビジョン

かおる君、どうしたの?」

 香の首が訊いた。


 首だけになった香は、部室の居間のちゃぶ台の上に、菓子盆と一緒に並べて置いてある。

 首からは無数の配線が出ていて、それが千木良が作ったマイコンボードのコネクターにつないであった。

 配線には電源が来てるから、香は首を外された状態でも話せるようになっている。

 香の体は、玄関の土間にあって柏原さんが改造中だ。


「馨君、なんか元気ないみたいだけど、大丈夫?」

 香が心配そうな顔をした。


 ビジュアル的には、首だけになった香のほうが、よっぽど厳しい状況にあるんだけど。


「いや、別に……」

 僕は曖昧あいまいに答えた。


「そういえば、今日は私の胸をねっとりとチラ見する西脇君の嫌らしい視線を感じないね」

 一緒に居間にいる綾駒さんが言った(ねっとりとした嫌らしい視線、って失礼な!)。


 綾駒さんは、居間に置いた作業台の上で、香の新しい手に爪を着ける作業をしている。

 爪とその周りの皮膚の形を整えていた。


「先生に進路のこと言われて、悩んでるの?」

 香の首が訊く。


 さすがは香、人間の感情の機微きびにも敏感だった。


「馨君、まだ進路決まってないんだ」


「うん、そんなところ」

 昨日、うらら子先生に言われて、進路のことやっと思い出したくらいなのだ。



「綾駒さんは、進路どうするの?」

 僕は訊いた。

 同級生の綾駒さんは、もう、決めてるんだろうか?


「うん、やっぱり、フィギュアとか造形の道に進みたいけど、色々大変だろうし、自分を磨くためにも美術系の大学に進学しようと思ってるよ。そこで、彫刻とか基礎から勉強しようと思って」

 綾駒さんが言う。


「へえ、そうなんだ」

 もう、ちゃんと進路が決まっていて、それをすらすら言える綾駒さんが輝いて見えた。


「なに? 急に私のこと見たりして」

 綾駒さんがほっぺたをちょっと赤くする。


「ううん、綾駒さんのこと、尊敬するなと思って」


「もう、西脇君、へんなこと言わないでよ。手が震えるじゃない!」

 綾駒さんに怒られた。



「柏原さんは、進路どうするの?」

 僕は、すぐ隣の玄関で、香のお腹からバッテリーを取り出している柏原さんに訊く。


「うん? 僕か?」

 柏原さんは一旦手を休めて、首にかけたタオルで顔の汗をぬぐった。


「僕は、父の自動車修理工場を継ぐんじゃないかな。その前に、もっと色々勉強したいから、工学系の大学に行くかもしれない」

 迷うことなく言う柏原さん。

 柏原さんも、しっかりと将来に関するビジョンを持ってるらしい。


「どうした? 西脇」

 尊敬の眼差しで見てたら、柏原さんに訊かれた。


「うん、柏原さん、カッコイイと思って」

 汗と油にまみれて働く柏原さんは、本当にカッコイイ。


「馬鹿なこと言うな!」

 柏原さんは、なぜかタオルを被って顔を隠してしまう。


「ほら西脇、バッテリー外すから、一度香をシャットダウンしてくれって千木良に言ってきてくれ」

 柏原さんに頼まれた。


「うん、分かった」

 僕は、コンピュータールームにいる千木良のところへ向かう。



 八畳間の隣にあるコンピュータールームで、千木良は椅子にちょこんと座って、端末に向かっていた。

 椅子が大きすぎるから、いつものようにクッションをたくさん重ねてその上に座っている千木良。

 そのかたわらに封を切ったキャベツ太郎があるのは、言うまでもない。


「千木良、柏原さんが香をシャットダウンしてくれって」


「ええ、分かったわ」

 千木良がキーボードを操作する。



「あんた、どうしたの?」

 千木良が僕をチラッと見て訊いた。


「どうって?」

 僕は訊き返す。


「いえ、いつものあんただったら、私みたいな幼女を見ると、すぐに抱っこしたり、脇腹をくすぐるふりをして体を触ったり、スカートをめくったり、ほっぺたすりすりしたり、ペロペロしたり、くんかくんかしたりするのに、今日はそれをしないじゃない」

 千木良が言った。


「変なこと言うな!」

 ひどい風評被害だ。

 僕はいつも、今、千木良が言ったことの40%くらいしかしてないと思う。



「ちなみに訊いておくけど、千木良は進路どうするんだ?」

 僕は千木良にも質問した。


「決まってるじゃない。私はママの会社を継ぐわ。技術者、そして経営者として、会社をもっともっと大きくするの。これ以上、大学で学ぶこともないみたいだし、この学校を卒業したら、そのまま技術者としてママの会社に入るかもね。いえ、その前に自分で起業しようとも考えてるわ。親の七光りで会社に入ったって思われたらしゃくだし、起業して一旗揚げてからっていうのも悪くないかもね」

 千木良はディスプレイを見ながら自信たっぷりに言う。


 やっぱり、あまりにもスケールが大きすぎて、千木良が言うことは全然参考にならなかった。



「あんたはどうするのよ」

 千木良が一瞬だけディスプレイから目を離して僕を見る。


「今、それを考えてて……」


「あんたもう三年生でしょ?」

 千木良が肩をすくめた。


 それを言われたら、僕には返す言葉もない。


「しっかりしなさいよね」

 そう言いながら、カタカタとキーボードを打つ千木良。

 三面あるディスプレイには、僕にはまったく分からないコードがずらりと並んでいる。

 オリンピックの予選会に向けて、千木良がやっている香のAIの改造も、佳境かきょうに入っていた。



「あんた、進路が決まってないならさ……」

 今まで一定のリズムでキーを打っていた千木良が、その手を止める。


「進路が決まってないなら、私の、その、ひっ、秘書にしてあげてもいいわよ」

 千木良がそんなことを言い出した。


「あんた、幼女の抱き方が上手いし、私の言うことはちゃんときいて、不快にさせないし。あんたが私の身の回りのことしてくれたら、私の開発の効率も上がると思うの。だから、あんたがやりたいことを見付けるまで、秘書として雇ってあげてもいいわ。ちゃんとお給料も出すし。なんなら、マンションのお部屋も使っていいし」


「いや、だって……」


「べべべ、別に、あんたに卒業したあとも一緒にいてほしいとか、そういうことじゃないんだからね! これはあくまでも仕事の上で世話を頼みたいってことであって、プライベートは別なんだから!」

 千木良が慌てて付け加える。


「うん」


「そんな進路もあるんだって、覚えておきなさい」

 千木良が言った。


「うん、ありがとう」

 本気とは思わないけど、千木良は千木良なりに僕をはげまそうとして言ってくれたんだろう。




 居間に戻ったら、新入部員の滝頭さんが、僕の方を見て、なんか訊いて欲しそうな顔をしていた。


「そ、それで、滝頭さんは卒業後の進路どうするの? 何を目指してるのかな?」

 仕方なく僕は訊いた。


「はい、もちろん、我らアンドロイドによる全人類の支配を目指します! 人間の髑髏どくろさかずきにして、勝利の美酒ならぬ油を飲むのです!」

 滝頭さんがニコニコしながら言う。


「あ、はい」

 想像通りの答えが返ってきたから、スルーした。




「みんな、休憩しよう」

 台所から朝比奈さんが顔を見せる。


「僕、手伝うね」

 僕は朝比奈さんがみんなにおやつを配るのを手伝うために、台所に入った。


「朝比奈さんは、進路どうするの?」

 朝比奈さんも僕とは住む世界が違うから、全然参考にはならないと思うけど、一応、訊いておく。


「そうだなぁ」

 朝比奈さんは空で考えた。



「私、西脇君と結婚しようかな? 進路は西脇君のお嫁さんね」

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