第172話 QRコード
「ほら、先輩、見てください」
滝頭さんの声がする。
僕は固く目を
なぜなら、さっき滝頭さんはシャツのボタンを外してたし、そのあとで衣ずれの音がしたから、きっと今は、裸か、それに準ずる姿をしてると思う。
保健室のベッドの上で、下級生の女子が半裸になってるって、それ、目を瞑っていても想像するだけで倒れそうになるシチュエーションだ。
「
滝頭さんが言った。
「だって……」
「先輩、私にいつまでもこんなカッコさせておくつもりですか? 私、
滝頭さんが続ける。
そうか、このまま僕が目を開かないと、滝頭さんは風邪をひいてしまう。
そうなったら大変だ。
滝頭さんは、自分のことアンドロイドだとかいうエキセントリックな人だけど、それを言い張るくらい
そうだ。
これは人助けだ。
滝頭さんに風邪をひかせないために、僕は仕方なく目を開けるんだ。
これはエロい気持ちとかでは全然なくて、目の前の女の子を救おうという清い心からの行動なのだ。
却って目を開けないほうが
僕は、ゆっくりと目を開けた。
するとそこにいたのは、裸でもそれに準ずる格好でもなくて、シャツのボタンを外して、左の肩口を
ちょっとだけ
「西脇先輩、見てください』
滝頭さんが言った。
「左肩のうしろに、QRコードみたいなのがあるでしょ?」
「うん」
「これが、私がアンドロイドだっていう証拠です」
「はっ?」
「これが私に付けられたタグなんですよ。私を作った人が、これで私を管理してたんです」
「お、おう……」
僕は、そう言うしかなかった。
滝頭さんが言うそれは、確かにQRコードに見えないこともなかった。
だけど、四角いアザっていう可能性の方が高い。
「私、父にも母にも全然似てないし、二人のお姉ちゃんにも似てないし、家族で私だけ浮いてる感じで、ずっと前からおかしいと思ってたんです。だからこれを見付けたとき、ピンときました。私はアンドロイドなんです。きっと私を作った人が、どこまで人間に近づけるかテストするつもりで、人間の家庭に送り込んだんだと思います」
滝頭さんは、至って真面目な顔で言った(滝頭さんに二人のお姉さんがいることは、心にメモしておく)。
でも、自分だけ家族から浮いてる感じとか、自分はこの家の子ではないんじゃないか、とかは、思春期に誰でも感じることで、そういうのはだいたい中学校くらいで卒業しちゃうものだ。
僕がそんなことを考えてたら、それが滝頭さんに伝わったのかもしれない。
「私、決定的な証拠もつかんでるんですよ」
彼女がさらに言った。
「確かめてみようと思って、私、このQRコードをスマホのカメラで撮ってみたんです。そしたら、それはある会社のサイトに繋がったんです。どこの会社だと思います?」
「えっ? いや、分からないけど」
「ヘカトンケイレス・システムズです。その子会社のサイトに繋がりました。ヘカトンケイレス・システムズって、知ってますか? あの、アンドロイドを作る会社です」
滝頭さんが言うその会社は、よく知っている。
その代表とこの前会ったし、その代表の娘を、僕はいつも抱っこしている。
「そのページは、たくさんの意味不明な文字が並んでいて、何が書いてあるのかは分かりませんでしたけど、それはきっと暗号です。管理している私に関する情報が載ってるに違いありません」
滝頭さんの言葉に力がこもった。
QRコードみたいに見えるアザがサイトに繋がったのはただの偶然だろうし、その文字だって、ただ単に画面が文字化けしてるとか、文字コードが違うとかじゃないんだろうか。
ただ、そんな偶然が重なって、自分がアンドロイドだって思ってる滝頭さんの妄想を、補強してしまったのかもしれない。
「だけど、滝頭さんにも小さい頃の思い出とかあるんでしょ? アンドロイドは成長しないし、滝頭さんが生まれた十数年前は、まだ今くらいアンドロイドも
「私はアンドロイドなんですから、記憶なんて、いくらでも書き換えが出来ますよ。確かに、私には家族との過去の思い出がありますけど、それは、書き換えられたものなんです。誰かが作ったシナリオを、私は記憶としても持たされているに違いありません」
滝頭さんが真面目な顔で言った。
なんか、とりつく島がなくて、どんな反論しても受け入れてもらえそうにない。
「分かったから、とりあえず、服を元に戻そうか」
僕は言った。
滝頭さんは、まだ肩を出したままだ。
「あっ、はい。すみません」
彼女は急に照れた顔になって、シャツを上げた。
ところが、ボタンを閉めようとして、シャツのボタンが中々閉まらない。
「すみません、私、手先が不器用で、それに、先輩に恥ずかしい姿見られたって思ったら、急に手が震えてきて……」
滝頭さんが顔を赤らめながら言う。
もし、アンドロイドとして彼女を作った人がいたら、こんなドジっ子には作らないと思う。
滝頭さんの人間っぽさに吹き出しそうになるのを、彼女に悪いような気がして我慢した。
「僕が閉めてあげようか?」
僕は訊いた。
いつまでも彼女を衣服がはだけた状態で置いておくことは出来ない。
「はい、お願いします」
彼女が恥ずかしそうに言った。
僕は、ベッドに座る彼女の前に立つ。
そして、シャツのボタンに手をかけた。
だけど、シャツのボタンが三つめまで外れてると、彼女の白いブラジャーまで見えているわけで、僕の手も震えてしまった。
「あれ? 上手くいかないな」
そんなふうにボタンかけに手間取ってたら、
ガラッ
と音がして、保健室のドアが開いた。
開いたドアから、室内に数人が入って来るのが分かる。
桃の香りと、バニラビーンズの香り、ココナツオイルの香り、苺シロップの香り、ダージリンティーの香り。
そんな香りが混じった匂いがする。
振り向かなくても僕が絶望的な状況にあることを理解した。
僕は、今、滝頭さんのシャツの、三つめのボタンをかけようとしているわけだけど、それはまた、時間軸を知らない人から見ると、僕が滝頭さんのシャツのボタンを三つめまで外しているっていうふうにも見えるわけで…………
「で、西脇君は、新入生の彼女になにをしようとしてるのかな?」
うらら子先生の平板な声がした。
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