第171話 保健室
「西脇せんぱーい!」
廊下を歩いてたら、後ろから僕を呼ぶ声が聞こえた。
振り向くと、
新入生で、我が「卒業までに彼女作る部」に体験入部中の、滝頭
自称、アンドロイド。
滝頭さんの艶々の三つ編みが、その胸元で揺れている。
「きゃん!」
走っていた彼女の足がもつれて転んだ。
滝頭さんは、廊下にうつ伏せで大の字になる。
彼女はすぐに立ち上がって、子犬みたいに僕のところへ走ってきた。
転んだ時にぶつけたのか、膝小僧が赤くなっている。
なんだこのドジっ子感。
一連の流れに思わず抱きしめそうになったけど、ここは校舎の廊下だし、昼休みで他の生徒がたくさん行き交ってるから、我慢しておいた。
「どうしたの? 大丈夫?」
僕は訊く。
「はい、大丈夫です! 私、普段から転んでばかりなんですけど、体は頑丈なので、びくともしません。きっと、姿勢制御のソフトのバグか、センサーの不調だと思います」
滝頭さんはそう言って僕を笑顔で見上げた。
膝の赤くなったところが痛々しい。
それにしても滝頭さん、自分がアンドロイドだっていう設定、結構ガチなのか。
「それより先輩、なにか、ご用はありませんか?」
彼女が訊く。
「ん? 別にないけど」
「先輩も、なんでも言いつけてくださいね。私、なんでもするので
彼女は笑顔のままで言う(ん? 今、なんでもするって……)。
滝頭さんが言う「先輩も」っていう部分が引っかかった。
「先輩も」ってことは、他の誰かが彼女に何かを言いつけてるのかもしれないって、鈍感な僕でもすぐに気付いたのだ。
「滝頭さん、うちの部の部員に、なにか言いつけられた?」
僕は訊いた。
体験入部の新入生をこき使ったりするのは、あまり感心する行為ではない。
「はい、柏原先輩に誘われて、今朝、10㎞ほどのジョギングにお付き合いしました」
彼女が言う。
朝から10㎞って、柏原さん、運動部じゃないんだから……
「それから、綾駒先輩には、フィギュアのヤスリ掛けを50体ほど頼まれてます」
彼女が笑顔で続けた。
綾駒さん、フィギュア50体って、業者じゃないんだから……
「それと、千木良先輩には、コンビニでキャベツ太郎を買ってくるように言われました。お金を渡されて」
滝頭さんが、10円玉を一枚僕に見せる。
「この10円でキャベツ太郎を買ってこい、って、言われたの?」
僕は訊いた。
「はい!」
彼女が頷く。
千木良のヤツ、なに考えてるんだ……
「10円ではキャベツ太郎買えないし、ちょっと困っていたところです」
滝頭さんが眉を寄せて言った。
「ああ、それはいいから。あとで僕から千木良に言っておく」
言っておくっていうか、罰として、脇腹くすぐりの刑に処することにした(罪の重さに
滝頭さんをパシリに使って、10円しか渡さない悪戯をするなんて。
「僕は今のところなんの用事もないよ。ありがとう」
僕が言うと、
「そうですか」
って、彼女は少し残念そうな顔をした。
「それでは先輩、ごきげんよう。また放課後部室で……」
そう言って僕の前から立ち去ろうとした滝頭さん。
去り際、そんな彼女からふと力が抜けたと思ったら、突然、僕の方に倒れかかってくる。
僕は反射的に彼女を受け止めた。
彼女の体は、アンドロイドというにはあまりにもか細くて、大切に受け止めないと壊れそうだった(それから、見た目はちっぱいだったけど、触れてみると千木良のそれより弾力があって、大きさもあるって分かる)。
「滝頭さん! どうしたの!」
僕が訊いても彼女はぐったりしていて返事がない。
首をもたれて、完全に僕に体を預けている。
滝頭さんからは、キャラメルみたいな甘い香りがした。
僕は、抱き留めた彼女をお姫様抱っこして保健室に急いだ。
周りの目を気にしてる場合じゃなかった。
息を切らせて辿り着いた保健室には、保健の先生以外誰もいない。
「あら、どうしたの?」
滝頭さんを抱っこする僕を見て、先生が訊いた。
今年着任したばかりの保健の先生は、白衣をまとって紺のタイトスカートを穿いている。
ショートボブの髪で日焼けした先生は、うらら子先生とは違うタイプの大人の女性だった。
僕は、滝頭さんが目の前で急に倒れたことを告げる。
「静かにベッドに寝かせなさい」
先生に言われて、僕は滝頭さんを無機質な白いパイプベッドに寝かせた。
先生は滝頭さんのおでこを触ったあと、彼女の制服のジャケットを脱がせる。
「ほら、あなたはそっちで控えてなさい」
先生に言われた。
「あ、すみません」
僕がベッドの脇からどくと、先生がカーテンを引いて、ベッドを僕の目から隔離する。
カーテンの向こうから、
「うーん」
って声が聞こえて、滝頭さんが気付いたらしいことが分かった。
先生が、二言三言、彼女に質問をしている。
それに答える彼女の声も聞こえた。
少しして、先生がカーテンの後ろから出てくる。
「どうですか?」
「うん、彼女、貧血かもね。少し休ませて様子をみるわ」
先生が言った。
カーテンの隙間から、掛け布団で口元まで覆った滝頭さんが見える。
「運んでくれてありがとうね。彼女は私がちゃんと面倒見るから、あなたは午後の授業にちゃんと出なさい」
先生に言われた。
もう少し様子を見てたかったけど、そう言われたら保健室を出ざるをえない。
僕は、そわそわしながら午後の授業を受けた。
授業のことなんて、まったく頭に入ってこなかった。
ホームルームが終わった瞬間、僕は一番に教室を出る。
保健室を覗くと、そこに保健の先生の姿はなくて、滝頭さん一人がベッドに横たわっていた。
滝頭さんは、ちょっとだけ口を開いて寝息を立てている。
ほっぺたとか、さっきより赤みが戻っていた。
無防備に寝ている滝頭さんは幼く見えて、起きてるときみたいな委員長っぽさがない。
せっかく寝てるのに起こしたら悪いから、僕はそこから立ち去ろうとした。
そしたら、
「西脇先輩」
滝頭さんに呼び止められる。
目を開いた滝頭さんが、ベッドに横になったまま僕を見ていた。
「先輩、ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
滝頭さんが枕から頭を上げようとする。
「ああ、そのまま、寝てていいから」
僕は彼女を止めた。
「いえ、もう大丈夫ですから」
彼女はベッドの上で体を起こした。
僕は、部屋の隅にあった丸椅子を持ってきて、ベッドの脇に座る。
「倒れちゃうなんて、アンドロイド失格ですね」
滝頭さんが言った。
「新しい生活が始まって、ただでさえ緊張してるのに、朝からジョギングしたりして疲れちゃったんだよ」
僕が言ったら、
「いえ、私はアンドロイドなので疲れません!」
彼女はそう言って口を尖らせる。
どこまで本気なのか、それを訊いていいのか困って、僕は次の言葉が出せなかった。
保健室の中で気まずい沈黙が続く。
保健室は校舎の端にあるから、前の廊下を通る生徒もいなくて静かだ。
ドキドキしている僕の心臓の鼓動が、彼女に聞こえちゃうんじゃないかってくらいの静けさだった。
「先輩」
彼女がぽつりと言った。
すると彼女はなにを思ったのか、突然、シャツのボタンを外し始めた。
「なにしてるの?」
当然、僕は訊く。
訊いているあいだに、彼女は上から三番目のボタンまで外してしまった。
「ダメだよ、そんな!」
これは、お礼ってことだろうか?
僕が、倒れた彼女を助けてあげたお礼、とか。
僕は
「先輩、私を見てください」
彼女が言う。
「ダメだよ」
「いえ、いいんです」
彼女の衣ずれの音が続く。
いや、これは完全にマズいから!
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