第154話 難解なクイズ

「ねえねえ西脇君、なんか、気付かない?」

 綾駒さんが、突然、僕にそんなことを訊いた。


 放課後の部室で、僕の目の前にいるのは制服姿の綾駒さんだ。

 いつも通り可愛くて、悪戯っぽい笑顔の綾駒さん。


 相変わらず、制服のシャツの前がはち切れそうなくらいの立派なものが二つ、そこにはある。

 

「ねえ、私といて、なにか気付かないの?」

 綾駒さんがもう一度訊いた。

 向かい合って立っていて、僕と綾駒さんは目と目が合っている。


 マズい。

 これは、正確な答えを要求されるヤツだ。


 髪を切ったとか、新しいアクセサリーをつけてるとか、彼女に訊かれるあれ。

 間違ったことを言ったら、怒られるあれに違いなかった。


 でも、僕は彼女いない歴=年齢だし、今までに女子からこの手の質問をされたことがない。

 だから、彼女を持つ男になるためにも、この質問の試練にはパスしないといけないと思った。


 僕は、あらためて綾駒さんを見る。

 内巻きカールで、ショートボブの綾駒さん。

 少し目尻が下がった優しそうな目元に、笑窪えくぼがある口元。


 髪を切った感じはないし、目立ったアクセサリーとかもつけていない。

 制服も、普段綾駒さんが着ている普通の制服だ。

 いつも見ているけど、立派な胸の大きさも、揺れ具合も、普段と変わらないと思う。


 どれだけ見ても、変化は感じなかった。

 綾駒さんの質問に、僕は答えを出せない。



「あーあ、西脇君、私の変化に気付いてくれないんだ」

 綾駒さんが、わざとねたように口をとがらせた(控えめに言って、カワイイ)。


「西脇君、私のことなんか興味ないんだね」

 僕を言葉で追い詰めるのを楽しんでる感じの綾駒さん。


「えっと、えーと……」

 僕は、なにか変化がないかと目を皿のようにして探す。

 でも、どんなに探してもそれを見付けることは出来なかった。



「もう、仕方ないな。正解を教えてあげるね。ほら、感じない? 私、西脇君が作ってくれた柔軟剤で洗濯してみたんだよ」

 綾駒さんが言って、ニコッて笑う。

 その笑窪がくっきりと浮き上がった。


「私の香りが変わったの、気付かなかった?」

 綾駒さんが小首を傾げて訊く。


「うん、ゴメン」

 なんだ、匂いだったのか。

 それならいくら見詰めても気付かないのは当たり前だ。


「どう? いい匂いでしょ」

 綾駒さんがあらためて訊く。


「う、うん」

 でも、正直、柔軟剤の香りは僕の鼻にあんまり届いてこなかった。

 微かに、そうかなって感じるくらいだ。


「あっ、そっか、西脇君の柔軟剤で洗ったのが、ブラジャーとかパンツとか下着だけだったから、分からなかったのかな」

 綾駒さんが言う。


 綾駒さん、ブラジャーとかパンツを、あの柔軟剤で洗ってくれたのか……


「ほら、こうすれば分かるかな?」

 綾駒さんがそう言って、シャツの胸の部分を指でつまんで、ぱたぱた上下させた。

 シャツが肌との間で上下して、綾駒さんの胸元にあった空気が、正面に立っている僕の鼻先に運ばれてくる。


「匂い分かる?」

 もう一度、綾駒さんが訊いた。

「えっと、いまいち……」

 ちょっとだけ香ってくる気もするけど。


「しょうがないなぁ」

 綾駒さんはそう言うと、シャツのボタンをもう一つ外した。

 綾駒さんの胸元が、ボタン一つ分、あらわになる。


 その状態で、綾駒さんがシャツを上下にぱたぱたした。

 僕が綾駒さんをイメージして作った柔軟剤の、バニラとシナモンの香りが、濃厚のうこうただよってくる。

 それはブラジャーの辺りから運ばれてくる空気だ。


「ほら、もう少し顔を近付けてみて」

 綾駒さんに言われて、シャツの開いたところに顔を近付けた。

 そうすると、柔軟剤の甘い香りと一緒に、綾駒さんの体温とか、少し汗ばんだ湿気みたいなのが伝わってくる。


「どう?」

「うん、すごくいい匂い」

 僕は嗅ぎながら答えた。


 やっぱり、柔軟剤をプレゼントして良かった。

 嗅いでいるだけで心地よくなるんだから、それを身にまとっていると、すごく良い気分だろう。



 匂いを嗅ぎながら、僕がそんなふうに満足していたときだ。



「西脇君、なにしてるの?」

 近くで、朝比奈さんの声がした。


 ゆっくりと顔をそっちに向けると、そこに、朝比奈さんと柏原さん、それに千木良と香がいる。


 みんなが、僕と綾駒さんを能面のうめんみたいな顔で見ていた。



 客観的に見ると、僕はシャツのボタンを開けた綾駒さんの胸に顔を近付けて、くんくん匂いを嗅いでいる。

 そんなの、不審者以外のなにものでもなかった。

 もし僕が誰かのそんな姿を目撃したら、痴漢ちかんかって思うだろう。

 変質者かって思うに違いなかった。


「ち、違うんです! これは絶対に違います!」

 僕は、みんなにどうしてこうなったかを説明する。

 綾駒さんと二人で、小一時間、必死になって説明した。


「二人とも、抜け駆けはよくないよ」

 朝比奈さんが言う。

「部室で堂々とこんなことしてるとはね」

 柏原さんが舌打ちをした。

「結局、男って大きい方が好きなのね」

 千木良が言う(千木良に声を大にして言いたいけど、それは違う!)。

「二人とも、仲いいね」

 よく分かっていない香が言った。



「あなた達、なにしてるの!」

 僕のピンチを救ってくれたのは、やっぱりうらら子先生だ。

 職員会議を終えた先生が、玄関に立っている。


 先生にも訴えて、なんとかみんなに勘違いだと理解してもらう。

 どうにか、事なきを得た。



「綾駒さんもあの柔軟剤使ったんだ。私も、今日のパンツはプレゼントの柔軟剤で洗ったんだよ」

 うらら子先生が言う。


 先生が、僕の柔軟剤でパンツを洗ったのを想像すると、ちょっとドキドキした。



「そうだ、西脇君に報告があったんだ」

 先生が話題を変える(なんとか、綾駒さんの件は逃げ切れた)。


「どうしたんですか?」

 僕は訊いた。


「うんほら、ヨハンナ……いえ、霧島先輩、無事に赤ちゃん産まれたって。たった今報告があったよ。元気な女の子だって」

 先生が教えてくれた。


「そうなんですね。よかった!」

 僕がベビーシッターのアルバイトをしていた霧島さんの奥さんが、赤ちゃんを産んだらしい。

 僕が面倒を見たフレドリカちゃんに、妹が出来た。

 病院に入院してるっていうから心配してたけど、本当に良かった。

 僕に柔軟剤作りを教えてくれた霧島さんも、安心してるだろう。


「それと、娘さんのフレドリカちゃんが寂しがってるって言ってたよ。彼女、西脇のお兄ちゃんに会いたいって言ってるって。また、抱っこして、一緒にねんねしてほしいってせがんでるみたいだけど……」

 うらら子先生が言いかけて、空気を読んで言葉を止めた。


 なんか、背後から突き刺すような視線を感じる。


「フレドリカって、誰?」

 ドスのきいた声で、千木良がそう言った。


 一つのピンチから抜け出したのに、僕には、もう一つのピンチが待っているらしい。

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